2026年3月14日
昨年の大阪・関西万博には当社も関係しましたが、すべての始まりは1970年に大阪・千里で開催された日本万国博覧会でした。この万博によって、現在の社長・中川は大きな影響を受けました。人生が180度変わったと言ってもよい出来事です。
また会社にとっても大きな転機となりました。今日は当社の会社戦略と博覧会との関わりについてのお話です。
1970年万博では、当社は杭丸太や木矢板などを会場内で工事をしていた大手ゼネコンへ大量に納入していました。しかし当時の社長であった中川藤一は、社内でこんな言葉を漏らしました。
「これだけ大量に木材を納入したのに、パビリオンが完成したら何も見えない。何か形の残る仕事ができないものかなあ。」
杭丸太や木矢板は土木仮設材と呼ばれ、建築前や建築中に仮設として使われる部材です。建物が完成すると、木材は土の中に残されたり撤去されたりして、完成した建物からは木材を使ったことさえ分からなくなってしまいます。
この藤一の言葉を横で聞いていたのが、後に社長となる中川でした。3年後に中川木材産業へ入社するのですが、この言葉はずっと頭の隅に残り続けていました。
土木仮設材の分野は将来、木材が鉄に置き換わるのではないか。何か新しい仕事を見つけなければならない——そんな思いを常に抱いていました。
また万博では1年間、協会職員として働いていた経験もあり、博覧会の魅力や楽しさを実感していました。そこから「遊園地や博覧会など、人が集まる場所で木材を使った仕事ができないか」という発想が生まれました。
そのころ神戸では地方博として『神戸ポートアイランド博覧会』が開催されました。地方博としては成功した博覧会です。
ここで芙蓉グループのパビリオンにおいて「世界最大の丸太展示」という仕事が舞い込みました。大手出版社からの依頼でした。丸太の加工、運搬、据え付け、展示、そして会期終了後は六甲の神戸市立森林植物園への設置まで、一連の仕事を担当することになりました。
これがきっかけとなり、博覧会を新たな仕事のターゲットにするようになりました。
その後、
淡路島の「くにうみの祭典・愛ランド博」ではウッドクラフトの店舗を出店。
大阪の「国際花と緑の博覧会(花博)」では、政府館のトラス材の企画・加工・納材を担当しました。グリーンミュージアム館では一部屋の展示とイベント、販売を行い、さらに屋外のメインデッキ工事やさまざまな施工も手掛けました。またウッドデッキの工事・材料の無償提供も行いました。
続く「世界リゾート博覧会」では、従来価格の半額で施工できる方法を考案して受注。ここでも大型スロープ2基などを無償施設として提供しました(デッキ・スロープ・フェンスの施工と材料)。
2000年以降は、大手テーマパークの屋外木造景観施設の多くを受注することができました。テーマパークには特殊な事情があり詳しくはお話できませんが、この仕事によって「イベント・博覧会・テーマパークの景観木造施設」という分野は一つの区切りを迎えたと思っていました。
ところが、再び大阪に万博がやってきました。
そして昨年の大阪・関西万博です。ここでも当社は「ポップアップステージ東外」の無償施設提供を行いました。
このように、自分たちが設計・施工したものを一般のお客様が実際に見てくださり、評価をいただけることは、まさに仕事冥利に尽きます。
2026年3月13日
万博で一番印象に残った建築は何でしょうか。
日本館の総費用は約360億円。
大屋根リングの建設費は約350億円。
金額だけ見るとほぼ同じ規模です。
しかし実際には、空撮写真やニュース映像に必ず登場するのはこのリング。
全周約2km、建築面積約6万㎡、木材使用量約2万7千㎥という世界最大級の木造建築です。
スギやヒノキなど国産材を中心に使った巨大木造建築でもあります。
ところが建設当初、SNSでは「税金の無駄」「高すぎる」さらには「外国の木ばかり使っている」
といった誤情報まで広がりました。
私は1970年万博のとき、お祭り広場で働いていました。
当時は「太陽の塔」よりも「お祭り広場」が万博の代名詞になるほど人気がありました。
そして55年後の万博では、
その象徴が巨大な木造建築になりました。
木材面からみた大屋根リングと日本館を見てみました。
https://wood.jp/12-product/expo2025/ring-japan.html