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2025年3月に掲載したもの

 /中川木材産業 2025年3月31日

【今日は「サザンイエローパインの日」です】 3月31日は「サザンイエローパインの日」。 日本記念日協会や各種メディアの記事によると、屋外での耐久性に優れたアメリカ産木材「サザンイエローパイン」の普及を目的に、この木材を輸入し、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のエクステリアや護岸施設の企画・設計・施工を手がけた大阪の業者が制定した記念日です。 日付は「3(サ)3(ザン)1(イエロー)」の語呂合わせと、USJの開業日(2001年3月31日)にちなんでいます。 ▶ 詳細はこちら:https://wood.jp/9-building/usj/usj-wood.htm 当社は1970年の大阪万博の際、ゼネコン各社に相当量の木材を納入いたしました。しかし、完成したパビリオンや施設では、それらの木材はほとんど目に触れることがありません。これらの木材は「土木仮設材」と呼ばれ、杭丸太・木矢板・腹起し・キャンバー・桟木・胴縁・バタ角など、建設を支える重要な資材です。 当時、大阪にはこのような仮設材を専門に扱う会社が30社ほど存在していました(現在ではわずか3~4社にまで減少しています)。当社もその中で、主力事業の一つとして仮設材の供給に取り組んでおりました。 万博が開幕したある日、当時の中川藤一前社長が「建物が完成すると、納入した木材が見えなくなってしまう。これでは仕事の甲斐がない。なんとか木材が残るようにならないものか」と、ため息まじりに話していたのを、当時学生だった私は今でも覚えています。 その後、偶然にも万博協会の職員として現地で働く機会を得て、その楽しさや魅力を肌で感じました。以降、見本市や博覧会などのイベント施設での木材活用をライフワークの一つとし、エクステリアを中心に、さまざまな企画提案を行ってまいりました。 25〜6年前、アメリカのテーマパークが大阪に開業するというニュースを聞いたときは、本当に驚きと期待で胸が高鳴りました。 大阪にはディズニーランドがなく、少し寂しく感じていたこともあり、アメリカから本格的なテーマパークがやって来るというのは非常に嬉しい知らせでした。 さて、このユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は、木材業者にとっても非常に興味深い施設です。 ディズニーランドでは「木に見えるもの」が、実はプラスチックやセメントなどで作られたものが多く、いわば“フェイク”が主流です。 一方、USJでは「木に見えるもの」の多くが“本物の木”でできており、実際に相当量の木材が使用されています。 中でも最も多く使われているのが、アメリカ南部産の「サザンイエローパイン」です。 米国のユニバーサルパークでも採用されているこの木材が、日本でも指定されて使われることになりました。 USJ全体では6種類の木材が使われており、一部にはスギやヒノキなど、国産の間伐材も利用されています。 木材業者の視点から見れば、東京のディズニーは「フェイク」、大阪のUSJは「リアル」と言いたくなるところですが、これは単なる素材選択の違いではなく、それぞれのパークが持つ「哲学」や「空間の演出方針」の違いに基づくものだと考えています。 当社としては、今後も木材の魅力を活かした空間づくりに携わりながら、本物の木が持つ力や美しさを広めていければと思います。

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 /中川木材産業 2025年3月29日

キットデッキをご購入いただいたお客様から、荷物到着時から制作途中、そして完成までの写真を送っていただきました! 当社の組み立て式デッキは、ハードウッド4シリーズ、レッドシダー2シリーズの計約1,000種類を販売しています。 今回のお客様が選ばれたのは、レッドシダー材を使用した「キットデッキ コンセ」シリーズです。 近年はハードウッドの人気が高まっていますが、レッドシダーには固有の魅力があり、派手さはないものの根強い人気があります。 特長としては、軽量で断熱性能が高く、腐れに対する耐久性も杉より上で、ヒノキと同程度かやや上。実際、当社のお客様の中には、20年以上使い続けている方もいらっしゃいます。 DIY未経験の方でも問題なく組み立てられるよう設計されており、ご用意いただく工具は「メジャー」「水準器」「インパクトドライバー」の3つだけです。 ▼以下、お客様のレビューをご紹介します(写真は5枚) 先に束石を購入し、水平出しを行った後、高さを測ってから発注しました。 納品後、束石の上に束を載せて大引を載せたところ、ぴったりと水平が出ており、精度の高い製品だとすぐに分かりました。 さらに、素人の工作でもしっかりと仕上がるよう設計されていて、素晴らしいと思いました。

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 /中川木材産業 2025年3月17日

屋外の担当責任者がブログを更新しましだ、いつも批判的だった人工木材に一定の評価を与えてしますので、転載します。 【人工木材の成功例(欠点を把握してドライな割り切りが必要)】 2025-03-07 13:45:45 | ウッドデッキ これまで公的な物件で人工木材を見る度に、人工木材特有の欠点で使えなくなっている事例を見てきましたが、 今回、初めて人工木材がうまく使われている現場を見ることができました。 これは伊丹空港の屋上デッキです。今回この現場を見て驚いたのは、人工木材最大の欠点の熱変形で、根太と根太の間が垂れてしまったり、床板と床板の間の隙間が熱膨張で盛り上がってしまうと言う問題が、ありませんでした。 納まりを確認して理由が分かりました。 ■床板の長さを2mまでしか使っていません。 木材であれば長さ3mや4mを使うのが一般的ですが、人工木材は熱膨張するので、床板同士がぶつかり合い、それが盛り上がったりするトラブルになっていましたが、長さを2mまでしか使わないと割り切れば、トラブルは大幅に解消できます。 ■根太のピッチを455mmとする。 このピッチは木材のデッキの場合よりも半分ぐらいですが、手間がかかっても、ここまで根太ピッチを縮めれば根太と根太の間で熱変形しても垂れる可能性はかなり低くなります。 これまで人工木材を使う場合、ここまでの割り切りが出来なかったことが人工木材のクレームにつながっていたと思います。 人工木材にしろ、高耐久の無垢の木材にしろ、それぞれの欠点を把握し、適材適所とその材の特徴に合わせた使い方をすべきと言う考え方に、ようやく人工木材のメーカーも目覚めたのかもしれません。 ただ、解決できない問題として ■人工木材は、中が空洞なので、このような木口が見える使い方をすると、木口用の板を接着しなければならず、数年経過すると、どうしてもこのように剥がれてしまうと言う欠点はあります。 ■ピッチを455mmにしても、木材のように強度がありませんので、多少のフワフワ感はありますが、まあこれはかえって気持ちが良いぐらいですので私としては悪いとは思いませんでした。 ■人工木材は中が空洞なのと、強度がないので、夏場に傘の柄で突っつかれたりすると、穴があいたりしますし、イベントで重量のある台車を持ち込まれたりすると床板が割れたりしますが、その場合に、床板を1枚だけ交換と言うことができません。 (熱膨張を逃がすためにデッキの床板を横から固定しているので、真ん中の1枚を外すとなると端から全部外していかないといけなくなります) 結論としては私が伊丹空港の管理者であれば、屋上デッキに人工木材を使ったことは成功であると考えますが、 私が高級レストランが並んでいるベイエリアの管理者であれば、木口のかぶせが取れて雰囲気を壊すような人工木材は使いたくありませんし、ウリンは人工木材よりも腐りにくいことを考えると、色褪せても重厚感があるウリンを使います。 要は両者の欠点を把握した上で、適材適所です。

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 /中川木材産業 2025年3月7日

昨日、万博協会に提供したデッキ材と工事施工写真の撮影のため、会場に入りました。 今回の施設提供は、設計事務所さんからの依頼で始まりました。商談の結果、万博の趣旨に賛同し、デッキ材を無償提供することを決めました。当初は、ゼネコンさんへの材料納入でサプライヤーとしての役目は終わる予定でしたが、その後ゼネコンさんから施工の依頼を受け、有償で引き受けることになりました。結果として、同一物件において万博協会への寄付とゼネコンさんからの工事受注という形になりました。場所は東ゲートを入ってズグのところで、住友館、電力館、木製リングに囲まれたエリアにあります。 これまで、神戸ポート博覧会をはじめ、淡路アイランド博、花博、和歌山リゾート博と、木造の屋外景観施設の仕事に携わってきましたが、今回の関西万博まで継続できたことを感慨深く思います。施設提供(寄付)は、花博、リゾート博に続いて3回目になります。 当社としては今回の万博への関わりは難しいと考えていましたが、最後に少しだけでも関与でき、サプライヤーの一社となることができたのは光栄なことです。 撮影後、万博協会の施設担当の方が会場を案内してくださいました。 木製リングについては、木材施設の専門家としてある程度想像していましたが、実際に見ると想像を超えた規模と迫力に驚き、感動しました。トラックがリングを横切るのは理解していましたが、リングの内部に普通の道路があり、車が走れる構造になっていることには驚嘆しました。 リングの材質は、国産スギ・ヒノキが約7割、欧州アカマツが約3割使用されているようです。 また、若手デザイナーが設計したステージや休憩施設、トイレなども、建築方法や意匠が非常に興味深いものでした。さらに、パビリオンにも木材がふんだんに使用されており、「地球環境を大切にするために木材が有効である」という考えが広まり、時代が変化してきたことを強く感じました。 建築やデザイン、木材、環境、いのち、未来の物語に関わる人や仕事をしている方、そしてこれらのテーマに興味がある方は、ぜひ訪問すべきだと確信しました。

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 /中川木材産業 2025年3月5日

木材工法の特許 その3:ウッドデッキの手すりの取り付け 日本では、ウッドデッキに手すりを取り付ける際、デッキの床下構造を作る段階で束を延長し、それを手すり柱として使用するのが一般的です。 しかし、その方法では床板をL字やコの字に加工する必要があり、一般の方には難しく、プロの業者が施工しても綺麗に仕上げるのが難しいという課題がありました。 そこで、弊社の手すり取り付け工法の特許では、これらの問題を解決するために、手すり柱の中にボルトを埋め込み、それを床下から強固に締め付ける方式を採用しました。 この工法なら、小学生でも取り付けることができるほど簡単で、さらに、お相撲さんが体当たりしても外れないほどの強度を誇ります。 例えば、写真①は一般の方がキットで作られたデッキの施工途中の様子です。 完成時の写真②③を見ると、この手すり柱は簡単に取り付けられるだけでなく、高い強度を持ち、しかもデッキ完成後でも設置できるため、DIYを楽しむ一般の方からプロの業者まで幅広く好評をいただいています。 また、結果として手すりの取り付け金具が不要になり、とてもスマートな仕上がりになります。

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 /中川木材産業 2025年3月31日

今日は「サザンイエローパインの日」です🌲
25-6年前、大阪に新しくテーマパークができると聞いて、思わずときめいてしまいました。というのも、私は1970年の万博以来、そのワクワク感にすっかり魅了されて、見本市や博覧会、体験型施設や複合型施設などのイベント系スポットを趣味や仕事を通じて追いかけてきたからです。 大阪にはディズニーランドがなく、ちょっとさみしく思っていたのですが、アメリカ発のテーマパークがやってくると聞いて、本当にうれしくなりました。
さて、この新しいテーマパークは、実は木材業界にとっても大きな注目ポイントがあります。
ディズニーランドでは「木に見えるもの」は、実はプラスチックやセメントなど、木に似せた素材が多いのですが、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)では違います。なんと、木に見えるもののほとんどが「本物の木」なんです!✨
その中でも特に多く使われているのが、アメリカ南部産の「サザンイエローパイン」という木材。アメリカのユニバーサルパークでも使われていて、日本でもその流れで採用されたそうです。全体では6種類の木材が使われていて、その一部にはスギやヒノキの間伐材も使われています🌿 🔹サザンイエローパインの日とは?
屋外での耐久性に優れたアメリカ産木材「サザンイエローパイン」の普及を目的に、この木材を輸入してUSJのエクステリアや護岸施設などを手がけた大阪の業者が制定した記念日です。
日付は、3(サ)3(ザン)1(イエロー)の語呂合わせと、USJのオープン日(2001年3月31日)にちなんでいます。 ▶ 詳しくはこちら:https://wood.jp/9-building/usj/usj-wood.htm

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 /中川木材産業 2025年3月28日

車の思い出です。 初めて車を購入したのは、1970年の万博の時でした。 当時、豊中から神戸市東灘区にある大学と、千里の万博会場を行き来する必要がありました。阪急電車では時間がかかりすぎてしまい、何らかの乗り物が必要だったのです。
当時、父からは「学生のうちはバイクや車の購入は禁止」と厳しく言われていましたが、弟が中古のリトルホンダ(初期型)を購入したのを見て、私も大丈夫だろうと思い、新型のリトルホンダを購入しました。初代は時速20kmしか出ませんが、新型は50km近く出せるようになっていました。 初めて乗った日は、万博での仕事を終えたあと大学に向かう途中のことです。東灘区の交差点で左折しようとしていた車に追突してしまい、空を飛びました。本当にスーパーマンみたいでした。全身打撲でしたが、たまたま万博で工事用のヘルメットをかぶっていたので頭は守られました。バイクは廃車になりましたが、買い取ってもらいました。相手の方がたまたま甲南大学の卒業生で、何から何まで親身に面倒を見てくれました。 そんなことがあり、父から「車を買ってもよい」というお許しが出たのです。ただ、お金もなかったので、格安の車を探していたところ、大学の友人が「5万円でいいよ」と言って譲ってくれたのが、写真のトヨタ・コロナでした。
このコロナ、あちこち凹んでいるし、ボンネットはきちんと閉まらない。右折ランプはつかないし、突然エンジン回転数が上がりっぱなしになることも。車検も確実に通らないだろうという代物でした。そんなボロボロの車だったので、私はこの車を「ボロナ」と呼んでいました。 甲南大学には高級車で通学している学生も多く、そんな中で真逆の私の「ボロナ」は、ある意味で存在感を放っていました(※学生の通学は一応禁止されていました)。
1970年9月3日、万博に83万人が入場した日。地下鉄の最終列車が出たあとも、会場には10万人ほどの人が残っていました。職場のお祭り広場では、野宿する人のために毛布や寝袋を用意しました。深夜にその仕事を終え、自宅に帰る途中、中央環状線を西に歩く人たちの姿が多く見られ、あまりにも気の毒だったので、阪急石橋と万博会場を3回往復し、3家族を送り届けました。「お金はいらない」と伝えましたが、皆さん無理やり置いていかれました。
インドネシア館の方々を、2〜4人ずつ交代で自宅のパーティや食事会に招待していましたが、この時「ボロナ」は大活躍。とびきりの美人や、音楽・芸術・舞踏などの分野でトップクラスの方々が乗ってくれました。奈良や大阪城の見学にも使いました。今思えば、そんなボロボロの車に誰も文句を言わず乗ってくれたことが、不思議なくらいです。
万博協会の上司や関係者を、自宅まで送り届けることもありました。京都の紫竹桃ノ本町、宝塚、芦屋、西宮、奈良市などへ。行きは話しながら楽しいのですが、帰りは一人、いつ止まるかわからない車で、不安のなか運転しました。私は最年少だったので、便利に使われていたのかもしれませんが、私にとってはとてもいい思い出です。
翌年1月に万博協会を退職するまで、「ボロナ」を愛用しました。たった1年足らずの付き合いでしたが、私にとっては濃密な時間を共に過ごした、大事なパートナーでした。 ※写真は白黒をカラー化したものです。

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 /中川木材産業 2025年3月24日

万博の思い出写真 自宅が豊中にあり、万博会場まで10分ほどと近かったこともあり、よくインドネシア館の方々を自宅に招いていました。 この写真のときは、バリの民族舞踊のダンサー3人を招待しました。
左からマデ、私、ナニー、母、スカサニー。いずれも当時のインドネシアでトップクラスの舞踏家たちですが、プライベートでは子供のようにはしゃいでいたのが印象的です。年齢は当時18〜22歳くらいだったと思います。
妹のようで可愛かったマデとは、5年ほど前に電話で話しました。色気のあるお姉さんタイプのナニーは、万博後にジャカルタの自宅を訪ねたこともあります。そして、美人で圧倒的な存在感のスカサニーは現在メルボルン在住。今でもFacebookでつながっています。 私はというと、まだお腹が出ていない21歳でした。

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 /中川木材産業 2025年3月21日

写真は、1970年の大阪万博の際、インドネシアから派遣されていた公式カメラマン、ウォノ(Wono)さんです。会期中ずっと写真を撮り続け、それをインドネシアに送り届けていました。インドネシア館で親しくなった友人の一人です。
当時ちょうどカメラに興味を持ち始めた頃で、カメラを手にしたウォノさんの姿は、私にとって憧れそのものでした。
彼が使っていたのは、ニコンFに50mm-300mm F4.5のニコンレンズ、さらにモータードライブとビストルグリップ付きという、当時としては非常に高性能で重厚な装備でした。フィルムは白黒で、増感現像によりASA800で撮影されていました。
この写真は、万博のお祭り広場での催しの際に、私がウォノさんを白黒フィルムで撮影したものです。今回、AIでカラー化してみました。 ▶ サイン帖のウォノさんのページ
https://wood.jp/indonesia/expo/wono.htm
その翌年、私は商社のニチメン(現在の双日)に入社し、インドネシアへの赴任を控えていました。語学への不安もあり、大阪・梅田にあった「ワールドランゲージスクール」という外国語教室をテレビで知り、インドネシア語の会話講座があることを見つけました。そこで、私費で個人レッスンを受けることにしました。講師はワンタ先生で、10回ほど教わったでしょうか。
ある日、レッスン中にお話ししていると、なんとワンタ先生の兄がウォノさんであることがわかり、その偶然にとても驚きました。 万博の終了とともにウォノさんとは連絡が取れなくなっていましたが、2005年にジャカルタで行われた同窓会で、再会することができました。その後、10年ほど前にお亡くなりになったことを知りました。

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 /中川木材産業 2025年3月17日

万博も、いよいよ開幕まで1か月を切りましたね。
やはり、一部の施設やパビリオンは開幕に間に合わないところも出てきそうです。
前回の大阪万博でも、開会式の時点でまだ工事中の場所がありました。
開会式当日、私は駐車場に車を置き、北ゲートから入場してお祭り広場へ向かいました。その途中、とある施設の周辺道路と歩道がまだ工事中だったのを覚えています。開会式まであと1時間しかないのに、なぜ完成していないのかと驚き、非難の気持ちを持ちました。私も、当時の日本人は、何事も完璧があたりまえと思っていた時代だったからです。
しかし、帰り道に同じ場所を通ると、すっかり綺麗に仕上がっていました。 写真はお祭り広場で開催された「アジアの祭り」イベントの様子。カンボジアのメンバーのパフォーマンスです。

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 /中川木材産業 2025年3月14日

勤途中や昼の散歩時にはアセビの花を見かけます。馬酔木と書きますが、本当に馬がこの花を食べると酔っぱらったようになると、馬と生活をしていた父が言ってました。
今週はぜんそくと風邪で辛かったです、今日から朝礼に間に合うように出社しましたが、楽しみにしていた友人との飲み会はキャンセルに。

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 /中川木材産業 2025年3月7日

昨日、初めて万博会場の中に入りました。
サプライヤー企業として提供したデッキ材と、ゼネコンから受注した工事の完成写真を撮影するためです。
会場では、書ききれないほどの感動と驚きの連続でした。
写真撮影は雨でなくてよかったものの、冬の曇り空で彩度が低く、全体的に平坦な印象になってしまったのが少し残念でした。
東ゲート(地下鉄・舞洲駅近く)から入ると、ほぼ正面に位置し、隣には住友館と電力館があり、木造リングにも近い場所でした。とてもいい立地で驚きました。
会場には若手デザイナーが設計した3つのステージがあるそうですが、そのうちのひとつ「ポップアップステージ東外」のデッキ部分が、当社が関わった場所です。
撮影後、協会の職員の方にリングに沿って会場を案内していただきました。
パビリオンや施設の外観はほとんど完成しており、一部の海外パビリオンがまだ工事中でした。特に驚いたのは、木材が多用されていたことです。 1970年の万博では、日本関連の施設はまるで木材を避けるかのように非木材ばかりでしたが、今回はまったく違います。
さまざまなデザインのパビリオンや休憩施設、トイレなど、見ているだけでもワクワクするものばかりでした。そして、やはり木製リングの迫力には圧倒されます。 国産のヒノキ、スギ、欧州アカマツなど、樹種ごとの木目の違いがはっきりと見て取れます。 ぜひ通期パスを購入したいと思いました。

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 /中川木材産業 2025年3月3日

1970年万博の思い出写真。私の誕生日に集まった人たち。
二十歳を過ぎての誕生日。インドネシア館の人たちとパーティーをするつもりでしたが、 父が会社の人を招待し、母は隣の従妹に手伝ってもらい、 気づけばこんなにたくさんの人が自宅に集まりました。
インドネシア館の人たち7人、父母、弟、友人の近藤・戸田、弟の友人の宇野、 従妹の和子・知子・えい子、そして会社の社員たち。
当時は外国人が珍しかった時代。そんなこともあって、たくさんの人が集まったのかもしれません。 今になってみると、友人や従妹たちも懐かしい存在です。
みんな歳をとっただろうなあ。 敬称略、ご了承ください。

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