前回は当社の製造するキットデッキを木の種類ごとに分けてご説明しました。
今回は作られる方が「何を優先するか」という視点で述べたいと思います。
● 耐久性が最も重要であり、長くそのまま利用できるものをお求めの方には「KitDeckハード/ウリン」がピッタリです。現在日本で手に入る木材の中で最も高い耐久性を持っています。木材とプラスチックを混合している人工木材よりも耐久性があります。ただし、一般的な欠点としては重たいこと、ねじれや反り、割れなどが生じやすいことです。当社のキットデッキは特殊工法によりねじれや反りの発生を最小限に抑えています。
● DIY未経験者や高齢者、女性でも作りやすいもの
これには2つの考え方があります。デッキ面と束関係です。
〇デッキ面の場合
「KitDeckコンセ」が最適です。3枚の木材が1つのロングパネルになっているため、ビスの使用量を減らすことができます。KitDeckシリーズの中で最も簡単に作れるものです。ただし、耐久性はウリン、イタウバ、アマゾンジャラに比べて劣ります。日本のヒノキと同程度です。
〇束(デッキ下)を簡単に設置したい場合
「KitDeckラクーナ」が最適です。材質は軽く、扱いやすく、調整束によってデッキ面を簡単に水平にできます。次の選択肢としては、「KitDeck選べるハード(イタウバまたはアマゾンジャラ)」です。ラクーナに比べて重たいですが、その分耐久性があります。
● 肌触りがよく、表面が超高温にならないものをお求めの方には、「KitDeckコンセ」や「KitDeckラクーナ」にレッドシダーを使用したものが最適です。高耐久性のウッドデッキ(ウリンなどのハードウッド、人工木材)と比較して、レッドシダーの温かさややさしさがあるため、今でも製造されています。耐久性は日本のヒノキより少し上です。
●デッキ面にトゲなどのないものをお求めの方には、「KitDeck選べるハード(イタウバ)」が最適です。
多くの木材は割れが発生しますが、イタウバというハードウッドはその欠点が最も少ないです。材面はやや冷たいですが、非常に滑らかです。耐久性はウリンとレッドシダーの中間程度です。
以上、選び方の判断基準の違いについて説明させていただきました。https://wood.co.jp/deck/diy-kit-hikaku.html
私達の製造しているキットデッキのご紹介です。
発売して30年以上になりますので、最近はリピートのお客様も増えてきました。
ハードウッド(広葉樹)のウリン材は近年人工木材よりも耐久性が優れていることが理解されてきたため、
カナダのレッドシダー材のデッキよりウリン材ものを指定される方が多いです。
でも時折、ウリン材のキットデッキが設置されていて、それはそのまま利用し、違う場所に新たに設置する場合、
レッドシダーを選ばれる方もいます。これは年齢を経ている方に多く、ウリンは重いので、耐久性よりも作りやすいもの、つまり軽いものが良いというお考えです。
なるほど、そのような判断もあるのかと勉強させられました。
現在生産販売しているものは
レッシシダー《針葉樹》を利用したもの
・キットデッキ キットデッキ ラクーナ(269種類)
・キットデッキ コンセ(195種類)
ウリン《広葉樹》を利用したもの
・キットデッキ ハード ウリン(47種類)
イタウバ《広葉樹》を利用したもの
・キットデッキ 「選べるハード」イタウバ(309種類)
アマゾンジャラ《広葉樹》を利用したもの
・キットデッキ 「選べるハード」アマゾンジャラ(309種類)
以上 5シリーズ 1129種類、自信をもってお勧めします。DIY未経験の方用のキットデッキです。
今日は『ウッドデッキの日』です。日本記念日協会の資料によりますと、ウッドデッキの設計・施工、キットデッキの開発・販売を手がけ、大阪府堺市に本社を置く中川木材産業株式会社が制定しました。ウッドデッキの魅力を伝えるのが目的で、日付は4月が販売台数が増える月であり、ウッドの「木」は分解すると「十」と「八」になることから18日とされています。 当社が最初にウッドデッキを作ったのは1976年、兵庫県の阪急日生ニュータウンの事務所でした。坂の土地で丸太で組んだ高床構造で事務所とデッキを作りました。この時は事務所としてデッキを併設したのですが、商品としてウッドデッキを考えたのが同時期に豊中の自宅に試作したデッキです。将来間伐材が大量に市場に出まわるので、それを利用した商品ということで、間伐材利用のデッキを作りました。当時は間伐材といってもまだ細いままでしたので、板としては加工できず、間伐材丸太を太鼓引きにして利用しました。写真をご覧いただければ、太鼓引きの床板がよくわかると思います。日本で最初のウッドデッキであり、その時のデッキの定義は現在に引き継がれています。リビングから屋外に出る、外のリビングで物干しのスペースやバーベキューができる場所、屋外のリビングというコンセプトです。施工方法や組立方法には試行錯誤し、耐久性の実験も兼ねました。これが現在のウッドデッキの原型です。しかし、ビジネス的には間伐材を利用したこの商品は失敗しました。その後地道にウッドデッキの施工を行い、ノウハウを蓄積しました。1994年にウッドデッキの登録商標を出願しましたが、名詞(ウッド)と名詞(デッキ)の組み合わせということで却下されました。しかし、同時に日本記念日協会にウッドデッキの日を登録しました。組み立てるタイプのものとして、キットデッキを商標登録申請し、こちらは通りました。ウッドデッキを作り出してから50年近くが経ちますが、これほど普及するとは思いませんでした。DIYで作るウッドデッキは特許2件がありましたので、長い間優位性はありましたが、安価で安全性や構造に問題がある中国製が輸入されてからは、主流が中国製に変わってしまいました。しかし、当社では、かたくなに、構造上問題なく安全で、誰でも作れる、プロ並みの出来上がり、そして耐久性がある、というコンセプトで生産しています。
関西万博、さまざまな批判もでていますが、今さら批判してもしかたがないと思います。もうあとに引けませんから。あと1年です。
1.未来社会の実験場 万博は、新たな技術やシステムを実証する場として位置づけられています。参加者は世界を一度に遊覧できる体験を通じて、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を問い直す機会を得ます。
2.経済的側面 関西万博は、経済効果が2兆円に達すると言われており、大阪・関西の成長戦略の柱となることが期待されています。
3.文化交流とクリエーターの発信 大阪・関西は悠久の歴史と文化を誇り、異なる文化との交流を通じてさらに豊かなものとなり、世界における圏域の認知度が向上することが期待されています。また、日本の次世代の若いクリエーターが自らの才能を世界に向けて発信できる場でもあります。
以上の3点は一般に言われていることですが、フェィスブック担当者の私は外国館に働く日本人の中で若い人達に大きな影響力を与えると思っています。これは自分の体験だけでなく、当時の仲間を見て来たからです。https://www.youtube.com/watch?v=qr-yhOLfjKU
また、会場をとりまく木製リングは木材業界の人間としてはとても魅力があるものです。大阪の木材業界団体では日本の原木丸太をそのまま使えるように協会に運動していましたが、採用されず、海外の樹種で集成材となりました。丸太の方が後の再利用がやりやすいのですが、構造的な強度計算にバラツキがあるので、専門家はどうしても工業製品(=集成材)を使います。でも同じ木材ですから。
今までは一連の構築物としてはUSJのラグーン周りを一体としたら、木造で最も大きな構築物だと、私は言ってましたが、確実に日本で一番の最大構築物になります。
この木製リングは設置してよかったと、きっとなると思います。
写真は2025年日本国際博覧会協会の許可でUPしています。
当社の組み立てウッドデッキである『キットデッキ 選べるハード アマゾンジャラ』という商品です。この書品は材質を「イタウバ」か「アマゾンジャラ」を選べます。お客様はアマゾンジャラを選ばれたということです。どちらも高耐久の木材です。岡山県Kさん宅ての事例です。以下は送られてきた感想そのままです。 今回ウッドデッキを購入しようと思ったきっかけは、庭へ出るのにリビングの窓から出入りしていました。段差が大きかったため、ウッドデッキがあればスムーズに出られると思い計画しました。材料を切って塗装をして作るのは大変そうだったためキットを探していたところ、素敵なウッドデッキがありました。木材は耐久性があり、防腐剤もされており、送料も他社に比べ比較的安かったため購入に至りました。到着したキットは想像以上に重く、大きく、2人でやっと運べるものでした。こんな物が作れるのかと正直思いましたが、材料は切ってあるので説明書を読んで組み立てていくだけ。しかし、主人は絵だけを見て作り始めたため、途中少しやり直しをしたようです。試行錯誤しながらも土日の午後を使って、年寄り2人でトータル3日ほどで作成することができました。お陰で庭への段差もなくなり、出入りも楽にできるようになりました。完成したウッドデッキは、購入前のイメージ通りで大変満足しています。主人へ作成の感想を尋ねたところ「説明書はきちんと読みましょう。」でした。今後ウッドデッキが雨風にさらされて、我が家の庭に馴染んでいくのが楽しみです。黒猫店長カブさん、副店長ちょびさんの物語・・・大変可愛かったです。https://wood.co.jp/deck/example/a219/
ソメイヨシノが満開です。これからウッドデッキを作る人々が増えてきます。ただし、新築住宅の着工数が少なくなっているため、ビジネス的には厳しい状況ですが、当社の組み立て式(キット)ウッドデッキは、多くがDIY初心者の方々です。高齢の方や女性の方も含まれます。感想や喜びの声、写真をいただきますが、共通するのは、作業前は「自分にできるか不安だった」という点です。しかし、完成後は「素晴らしいものができた」「家族から評価された」「近所の方が驚いた」といった声が多いです。 送られてきた写真に写るご家族の笑顔から考えると、幸せがさらに増します。そこで、「キットデッキは家族を幸せにします」という言葉を思いつきました。 wooddeck.info
昨日は「サザンイエローパインの日」という記念日でした。
これは大阪に2001年開園したテーマパーク・USJの開園日が3月31日だったことと、その中で大量につかわれた木材が米国産のサザンイエローパインで、3(サ)3(ザン)1(イエロー)の語呂合わせの2つが合致したため、記念日になったのです。米国農務省や米国の木材団体も日本にあらたな木材の輸出拡大のチャンスとばかり、会期後2回もセミナーを開いたほどです。
このテーマパークと木材は非常に関係があります。
東京のディズニーランドと比較するとよくわかります。同じ年に開園した東京デイズニーシー(TDS)とUSJ、当初のコンセプトから比較してみましょう。
「ディズニーの夢がかなう場所」と「ハリウッド映画の世界を体験できる」が大きなコンセプトです。「子供たちが主なTDS」と「大人が主のUSJ」。「安全性が一番で、次に見た目のTDS」と「見た目が本物で次に安全性のUSJ」などが考え方の違いです。ここでUSJの見た目が本物というのは例えば200年前のアメリカの港湾施設、桟橋、デッキや杭は本物の木材を使っています、西部開拓時代は塀や門、柵やデッキは木造です。それらを大人が見ても本物に見える事が重要、つまり擬木ではダメと考えているのです。
屋外(エクステリア)に使われた木材は1200立法メートルでその内の850立法メートルが先に述べた米国産のサザンイエローパインだったのです。その他の樹種としては国内の杉間伐材、カナダ産のウエスタンレッドシダー、ロシアのエゾマツ、ニュージランド産のポンデロッサパイン、日本信州産のカラ松が利用されています。
ラグーン周辺の護岸の材や丸太は常時水面に隠れていますので、簡単に取り外せません。
そのため防腐処理も日本でなく、米国の産地で日本より強力な薬剤と処理で行っています。一般的には、軽い木材を日本に運び、日本で防腐処理をした方がはるかに安くあがるのに、わざわざコストのかかる米国から重量のある材を運んだのです。
ちなみにこのサザンイエローパインはすべて植林された木です。
多くの方にこのUSJと木材の関係を知って欲しいと考え、USJセミナー・見学会を2回、会社創立90周年祝賀会・見学会、その他団体のセミナーと見学会などを2001年に開催しました。
ここでのコンセプトなどは開園前後の株式会社ユー・エス・ジェイ時代のもので、現在とは異なります。
USJセミナー・見学会
https://wood.co.jp/.../nakagawa/history/2001-usj-seminar.htm
会社創立90周年祝賀会・見学会
https://wood.co.jp/.../nak.../history/2001-90shyunen-usj.htm
昨年近くの公園でコウゾの木を見つけました。知識としては知っていましたが、実物を見るのは初めてでした。和紙の材料として有名で、和服やネクタイにもなっています。私の父は半天に作ってもらって利用していたが、冬には軽くて暖いと言っていました。写真は昨日撮ったその花です。この公園で3本のコウゾを見つけています。https://wood.co.jp/8-jumoku/wood/m696.htm
昨日は夕方から北大阪経営塾の例会を兼ねた『稲盛塾長追悼パネルディスカッション』にパネラーの一人として参加させていただきました。 盛和塾北大阪の元塾生という立場です。少し稲盛和夫さんと縁があり、追悼記念誌にも思いを書かせていただきました。 そんなことから呼ばれたと思います。 14年間在塾していたのですが、すっかり雰囲気を忘れていましたら、みなさんの会社経営と塾長にたいする熱い思いは半端なかったです。塾の組織文化は塾長が亡くなっても32年前と同じです。私はずつと緊張していました。 小森(丸大食品)、津山(キャットアイ)、滝野(ミラテック)の各氏と担当しました。 写真は昨日のイメージを画像生成AIで作りました。稲盛和夫と入力し出来上がったもの顔写真はさすがに無理でしたが、ちゃんと名前は判読したようです。実際の会場はこんなに大きくありませんけど。
今朝の通勤途中で、いまこのような状態です。このカーブ通りが好きです、富田林市は街路樹や花、緑がとても多く歩いていて気持ちいいです。奥に南海バスが見えますが、バス路線も多く充実しています。 昨日は高校時代の同窓会、楽しくて写真を撮るのも忘れてしまいました。今日は夕方から盛和塾、稲盛さんの思い出を語ります。
今日は『ウッドデッキの日』(日本記念日協会)です。
1976年から兵庫県の阪急日生ニュータウンの事業所で責任者として働いていました。住宅の木材・建材の供給の仕事です。とくかくよく働いた時期です。その合間に木材を屋外で使う実験をしていましたが、工務店の監督、大工さんから材木屋のくせに木の使い方を知らないと批判を受けました。しかしある工務店の社長が、地面に直接木材を敷いているのを見て、「おもしろい使い方をしている、斬新だ」と褒めてくれたのがきっかけでいろいろ試みました。
そんなときに父が将来間伐材が大量に出てくるので、それを利用した商品を作ろうということで、豊中の自宅に間伐材を使ったデッキを作ったのです。月見台と名付けていましたが、これが現在のウッドデッキの原型です。ビジネス的には間伐材を利用したこの商品は失敗したのですが、ウッドデッキ施工や組立のノウハウは残りました。そしてその後地道にウッドデッキの施工をしておりました。1994年に「ウッドデッキ」の登録商標を出願(名詞(ウッド)と名詞(デッキ)の組み合わせということで、却下)、同時に日本記念日協会に「ウッドデッキの日」を登録しました。
写真は豊中の自宅で日本初のウッドデッキです。1976年撮影の白黒写真をAIでカラー化したものです。テーブルなどは防腐処理をしたもので30年以上利用できました。奥のデッキが細い間伐材を利用しているのがおわかりと思います。https://wooddeck.info/3-1.html
昨日は業界の仲間と50周年記念会を芦屋のホテル竹園で行いました。50年前の写真ですがこの仲間です。左から松原先生、中川(善)、小郷、浦本、山本、貝本、西畑、そして私です。場所は三保の松原。この会いまだに続いています。
さて、このホテル大学時代によく利用したのですが、当時から巨人軍の常設宿になっていて、昨日も廊下などで選手となんどもすれ違いますが、あいにく巨人ファンではないため、誰が誰かわかりませんでした。
12時から4時まで盛り上がりました。そのあと一人で急な山道を革靴スーツ姿で30分近く歩き保久良(ほくら)神社(神戸市東灘区)に行き、ヤマモモの巨樹を撮影、その後西宮北口にもどり大学卓球部の後輩と夜の9時まで飲んでいました。
阪急、地下鉄、南海と乗り継いで帰ったのですが、どのように帰ったか記憶がありません。
民家の垣根にあるカラタチの花が咲きました。
数年前まではカラタチの花を見たことがありませんでした。
でもカラタチの垣根を見るたびに、島倉千代子さんの「カラタチ日記」を思い出します。
この曲は大阪市西区の堀江小学校の低学年の時に流行っていました、大ヒットになったようで、とにかくラジオで鳴りっぱなしでした。
うんざりするほど聞こえ、その歌い方が嫌いで、それで歌謡曲が嫌いになったと思います。
Youtubeで聞きましたが、同じ感覚で、好きにはなれず、どうしてヒットしたのかわかりません。
それでも懐かしいです、
『こころで好きと 叫んでも
口では言えず ただあの人と
小さな傘を かたむけた
ああ あの日は雨
雨の小径に 白いほのかな
からたち からたち からたちの花』
https://wood.co.jp/8-jumoku/wood/m396.htm
あと1年で万博ですね。さまざまな批判もでていますが、大阪人として、1970万博協の関係者として、期待しています。未来社会の実験場や経済の活性化などの効果が言われていますが、私は外国館に働く日本人、関係者の中で、特に若い人達に大きな影響力を与えると思っています。https://www.youtube.com/watch?v=qr-yhOLfjKU 会場をとりまく木製リングは木材業界の人間としてはとても魅力があるものです。実物を見ていませんが、想像するだけで楽しいです。この木製リングは設置してよかったと、きっとなると思います。 写真は2025年日本国際博覧会協会の許可でUPしています。本来ならトリミングしたいのですが、そのままでないと使えないためです。
富田林から堺市までの通勤途中の道にはソメイヨシノが立ち並ぶ道が多く、この季節は優雅な気持ちで歩いていましたが、近年は急速に桜が少なくなりました。今年は花吹雪の中を歩くことはできないでしょう。外来種のカミキリの侵入が原因とされています。道端の桜にもそのような看板が掲げられています。放っておくと、将来は花見ができなくなるのでは、と危惧されています。
昨日は「サザンイエローパインの日」の記念日でした。 ハリウッド映画の世界を体験できるテーマパークとして2001年3月31日にUSJがオープンしました。(早いものですね、23年も経ちました) 同年オープンした東京デイズニーシー(TDS)と比較すると、TDSはセメントやプラスチックの擬木を使っているのに、USJが本物の木材を多用しています。 とりわけラグーン周辺の杭、護岸の材、ウッドデッキは迫力があります。これらは米国産のサザンイエローパインという木材を利用しています。そのようなことで、3(サ)3(ザン)1(イエロー)の語呂合わせと、USJのオープンの日から記念日となりました。 写真は当時のセミナー、説明会、講演会などで利用したものです。