【パールハーバー 戦艦ミズーリ】
半日パールハーバーを見学 見たかったのは甲板のチークのデッキ
1.戦艦ミズーリの甲板から艦橋を見る
2.期待していた甲板はやはりチーク材だった。米国の戦 艦は木を使い、
日本では鉄板であった。ガイドさんの説明 では木は断熱効果があるから
というが、それ以外に修理が やりやすい、重量が軽いなどの理由もある
3.戦艦ミズーリの誇る16インチ主砲
4.この弾が重さ1.2トン、この砲弾を37km先まで 飛ばすことができた。
右は火薬袋で4袋を装填するという 。
5.6インチ主砲前での記念写真、この日は新郎新婦を囲 む9人で行動。
6.機銃を操作する私、何ミリ砲かは確認していないが、 7.7ミリぐらいか。
7.1945年9月2日午前9時2分 降伏文書調印式がまさにこの場所に
テーブルが設置された 。
8.マッカーサーを筆頭に連合軍代表者(韓国は入ってい ません)と
日本からは外務大臣や参謀総長他総勢11名が 出席。
9.これが調印書です。調印文書にはちょっとしたミスが あり、日本語
ガイドさんが丁寧に説明してくれました。最 初のカナダ代表のサインが
一段ずれてしまい、本来の記載 場所と異なったため、日本がクリームを
つけたとのこと。 最終的につじつまを合わせたようです。
10.セカンドデッキには当時の水兵の食堂や厨房、およ びチーフ・
オフィサーの居住区間などがあり見ることがで きた。
11.士官食堂と思います。
12.ベッドと物入れ、なるほどと思いました。船室なら ではですね。
13.5インチ砲(副砲)、艦砲射撃では砲弾は14.5 キロ先まで届く、
14.カミカゼと書かれた案内がありました。0戦が対空 放射をくぐり
抜けて、突撃する直前の写真(丸印の中)、 よくこんな写真が撮られて
いたと思います。
15.14番の写真の0戦がここに衝突して、艦橋に墜落 した。少しへこんで
いるところに衝突したという。
16.4つのトマホークが描かれている。ここから4基の トマホークが発射
されたという意味。トマホークとはアメ リカンインディアンが戦いのとき
に用いた斧の意味。射程 距離1600kmという驚異的なもので、湾岸戦争
の折り には大活躍し、合計で28発が発射された。
17.実は米国は降伏文書調印式は2枚の星条旗を用意し ていた。ひとつ
が1853年(嘉永6年)ペリー提督が浦 賀に来航した際に使用した連邦31
州の星が描かれた星条 旗で、もう1枚は日米開戦時(1941年)にホワイト
ハ ウスに飾られていた星条旗。演出のためにわざわざ、本国 から持ち
込みました。2枚の星条旗を掲げることで、再び 日本を屈服させたこと
を表したと言われています。
18.何カ所か装備品がベンチに改良にされている。社員旅行の中で
唯一の親子。
19.戦艦ミズーリの誇る16インチ主砲は、重さ1.2 トン以上の砲弾を37km
先まで飛ばすことができた。
主砲は艦首に二基そして艦尾に一基の
合計三基がついてい ます。
20.20.先の14.15の0戦の激突に関する追加話です。 特攻機の操縦士の
遺体の一部が甲板で見つかり回収された 。ウィリアム・キャラハン艦長
はこの飛行士を、名誉を持 って自らの任務を全うした、敵ながらあっぱ
れということ で、海軍式の水葬で弔うことを提案。多くの士官からの
反対を押し切り翌日水葬が執り行われた。
水葬を執り行うために日本
海軍の海軍旗を3名の水兵が徹 夜で作ったと言われている。
当時、この操縦士の身元は不明だったが、「戦艦ミズーリ 記念協会」
のボランティアの方々が調査した結果、この機 は鹿児島県の鹿屋を
飛び立った「第五建武隊」の16機の うちの一機、石野二等飛行兵曹
(当時19歳・岡山県出身 )であることが判った。