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最初のキットデッキの写真/中川木材産業 2018年1月9日

今日は当社がメーカーとして最初の商品を開発した時の話ををupします。 昭和54年に桧間伐材を利用したウッドデッキを試作施工しました。これが日本のウッドデッキの最初と思います。 それまで屋外には濡れ縁などがありましたが、これは木材を縦使い(写真に解説)します。 ウッドデッキのコンセプト定義を考え、船の甲板イメージで作りました。木を横使いしたことで当時の大工さんたちに常識外れだと批判されましが、気にしませんでした。   その後数多くの設計施工をしてまいりましたが、一般の方がご自分で安価に設置できるようにと開発したのが「キットデッキAタイプ」です。写真が昭和63年にメーカーとして開発した最初の商品になります。 素人には危険な丸鋸を使わなくても完成できる、活気的なものでした。 しかし問題もないわけではありません、写真のように手すりです。この時からたえず改良が加えられてます。いきます。    さて、ウッドデッキは当社が考えた名称です。 ウッドデッキは見たイメージが船の甲板に似ていたため、木(wood) の甲板(deck かんぱん、こうはん)つまりウッドデッキと名付けました。   その事から、長い板材を横使いにしたものが定義となります。ウィキペディアにも当社がこれで登録しています。現在の日本では本来のウッドデッキでないものがウッドデッキとして呼ばれてしまっています。 ちなみにウッドデッキの名称は特許庁に商標として登録申請を出しましたが、単純名詞の組合わせとなり却下されました、しかしキットデッキは登録できました。

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 事務所/中川木材産業 2018年1月5日

本日より仕事開始です。社員出勤前の事務所です。本年も当社の商品、会社の情報をここで発信してゆきますが。ホームページ(木の情報発信基地)、インスタグラム、ブログと平日毎日、木に関する情報を更新します。どうぞよろしくお願いいたします。

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 の写真/中川木材産業 2018年1月9日

今日は義母のお通夜があるのですが、大阪市立大学での講義もあります。急なことで代理を立てることも出来ず、今日の第5時限を担当します。約70名の工学部学生に「ろうそく製造からウッドデッキまで(変化への挑戦)」のタイトルで体験談を語ります。 写真は講義前の教室、いつも、席は後ろから詰まっていきます。「もっと前に来なさい!!」

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 の写真/中川木材産業 2018年1月8日

家内の母が亡くなりました。波瀾万丈の95年の人生でした。戦前に婚約者を追って満州に一人で渡ります。終戦の混乱期にはロシア軍から身を守るため男の格好をしていたそうです。夫となった人は満鉄・アジア号の設計者で工場長をしていました。そのため夫婦で抑留され、鉄道の技術提供をさせられます。彼は周恩来さんと何度も喧嘩しながらも協力しました。無実の人民裁判にかけられた時は周恩来さんに助けられたそうです。そのため家内は中国漢口で生まれています。怖いのはロシア軍、日本軍と日本人、反対に親切だったのは中国人だったと生前話を聞きました。 一番最後の引揚で日本に帰国したと聞いています。その後大阪での貧困生活のあと、ジェトロにお世話になりアジア、中近東の代表として活躍されました。 それで義母や家族はインド・ボンベイで長い間生活することになります。 この地で義母はネール首相や現皇后、美智子妃にも拝謁しています。 インドでは立場上贅沢三昧の生活ですが、夫は3度目の結婚ですので、前妻の子供たちとの確執もあり、さまざまな問題が発生ていました。 生死の境、忍耐、苦労、怒り、貧困、贅沢などを体験されましたが、今は解放されました。 ちなみに容姿ですが、若い時代の義母の写真はどれも驚くほど美人&スマートで並の女優以上でした。 写真は義母が植えたエリカ ホワイトデライト 宝塚の自宅にて2004年

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