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木のこころ 森があるから人間は生きていられる

森と木は生きて日本を育ててきたはじめに

 

普段、特別な感慨をもって見ることもない森は、静かに生き、生命を生み、生命を育 てています。
日本民族は、その昔から森の神、木の神を崇めてきましたし、神の使いとしての森の 精を信じてきました。
森は、日本人の暮らしの基点でした。
前項で触れたように、狩猟民族が最初に文明を興したメソポタミアでは、レバノン杉 を切るために森の神を殺すところから神話が始まっているように、森は狩猟民族の豊か さのための材料でしかありませんでした。
ですから皆殺しのように木を切り倒し、文明 の滅亡を招いています。
狩猟民族は、ここから、森を殺せば文明が亡びるという教訓を学ぶこともなく、次々 と森を切りつくし、砂漠を拡大し続けています。
地球温暖化防止の京都議定書(これで 温暖化が防止できるはずはありませんが)さえも拒絶しているのが、砂漠の民・狩猟民 族の現代の領袖であるアメリカです。
それだけに、日本の私たちは、森の民の代表として、森を知り、森を育て、森こころ を広げなければなりません。
●人間の誕生を準備した森
地球上での森と木の歴史を見ると、地球環境がある程度出来上ってきて必要となった ものは、ほど良い酸素を持つ大気組成の完成とエネルギーを持つ土・大地でした。
それ に生態系を維持し、水の循環と浄化の機能をつくることでした。
人類の誕生と生存の条件を満たすかのように、植物の究極の存在として出現したのが 木であることについては、繰り返すまでもありません。
その木の中で、最初に急いで出現したのが針葉樹でした。
急いだためかどうか、針葉 樹は木としては未完成で、生命活動を支える血管(導管)を持っていません。
水や栄養 を全身に行きわたらせるために、血管の代用として細胞から細胞へと順送りに届ける方 法の仮の管(仮導管)を使って成長します。
しかし、針葉樹の優れていることは、スギの語源の「直ぐやか」に表わされるように 早く、高く、真っ直ぐに伸び、常緑の葉を繁らせることにあります。 これは、光合成(炭酸同化作用)が旺盛であることを示しています。
また、高く成長 して葉を繁らすことで、直射日光に弱い植物の生育を助けることにもなります。 針葉樹よりも遅れて1億5千万年から1億年前に出現したのが広葉樹です。 広葉樹は、針葉樹よりも進化した血管(導管)を持ち、広い葉を繁らせます。
広葉樹の大きな特徴に、1年ごとに葉を落として新しく芽生えさせることと、花を咲 かせ、衣で被われた果実(種子)をつけることがあげられます。
針葉樹を裸子植物に分 類するのに対し、広葉樹を被子植物と分類するのはこのことからです。
毎年、新しい葉を生むことで広葉樹は光合成の不十分さを補うのですが、意味のある のは葉を落とすことです。
広葉樹の大きな葉は、葉表で太陽と宇宙のエネルギーをあらん限り吸収し、葉裏に無 数のミネラルと微生物を宿します。
この葉が落ちては腐り、落ちては腐ることを年々積 み重ねます。
葉の形も残る腐葉土からさらに土へと変化します。
このようにしてつくられる土は、100年間で1㎝にもならない量ですが、これが1億 年以上の時代を経て堆積されてきました。
広葉樹は、高く伸びるよりも、枝を広げてエネルギーを吸収しようとするために、 それを支えるように根を広げます。
この根の広がりが土を守り、保水力も高めることに なります。
どのようなおいしい水になるかは、広葉樹の葉の種類による土質で左右され ることになります。
広葉樹には、秋に葉が色づいて落ちる落葉樹と、常緑のまま次の葉に席を譲って落ち る常緑樹(照葉樹)とがありますが、ミネラルや微生物をより多く宿しているのが常緑 の広葉樹の葉です。
照葉樹林から流れる水に名水が多いのは、この葉のお蔭です。
この広葉樹が繁り、実をつけ、枯れ落ち、春には芽吹き、花を咲かせることで季節と いう名の自然の循環が形成されます。
さらに、山に降った水が海へ流れ、水蒸気として 上空に上り、雲となって山に雨を降らすという水と大気の循環という自然の循環が完成 します。
ミネラルと微生物を大量に含んだ山の土は、風に吹かれ、雨で流されることになりま す。
長い時間の中で、地表約1mの厚さで土がつくられたと言います。
流れた土や水は、栄養分豊かな川となり、流域の土壌ともなります。
この水が川や海 の生物を豊かに育てる力になります。
循環システムが確立され、食糧となる果実を実らせることも作用して、生態系が維持 されるようになります。
このように、森が生まれる見事なプロセスと森の偉大な役割は、はるか人智を超えた もので、壮大なスケールのドラマのように、人類誕生の日を準備してきたと言えます。
これを見ても偶然の積み重ねではなく、大いなる宇宙の意志を感じざるを得ないものが あります。
●日本民族は森を愛した森の民
少し長い説明でしたが、針葉樹と広葉樹の意義と役割は、それぞれ特有のものがあったのです 森の姿は変わるということについては、本誌で鳥取大学の古川郁夫さんの連載「日本人と木」で も示されていますので詳細は省きますが、針葉樹が育って広葉樹の生育を促し、やがて広葉樹が 主勢力となっていきます。
また、温暖化すると広葉樹が盛んになり、寒冷化すると針葉樹が耐え残ることになります。
広葉樹 の中でも落葉の広葉樹は冷温帯性で、常緑の広葉樹は温熱帯性という違いがあり、双方の境界線 をつくるように、中間にクリ・コナラ林帯が広がります。
ここがもっとも人間の暮らしやすい所であるこ とについては、発見された遺跡に関連して以前 にも触れたとおりです。
そこで日本についてです。
国際日本文化研究センターの安田喜憲さんたちが、福井県の水月湖をボーリングして、花粉の 化石を調査しています。
その結果によれば、日本の最終氷期は1万8千年前に終了しており、この 頃からマツやトウヒ類に代わってブナ、スギ類が活発に成育し、温暖化につれて広葉樹が日本の 森の主勢力になったといいます。
(「環境考古学のすすめ」参照) 日本民族の歴史は、決してこの頃から始まったのではなくもっと前からですが、歴史教科書で語 られる1万数千年前、氷河期末期から縄文早期の頃の日本列島は、広葉樹が優勢で、縄文後期 に向けて徐々にスギが増えています。
この縄文期を中心にする時代でも、寒暖の変化につれてクリ・コナラ林帯を挟んだ広葉樹の森が 南北に移動していますが、縄文中期のクリ・コナラ林帯は関東から東北地方にかけての地帯にあり ました。
それが縄文遺跡として確認されています。
人口の増加と農耕の活発化で、森が少しずつ形を変え、定住範囲も広がり、弥生時代になると平 地部に居住拠点が移っています。
平地部に村落が出来たり、都市がつくられたりするようになっても、日本人は、決して森を食いつく し破壊するようなことはしてきませんでした。
むしろ、住居の周辺や山に木を植えて、自然をつくり、必要とする用材の育成にも努めてきたので す。
歴史で語られる1万数千年を見ても、日本民族は、森を愛し、森に寄り添って暮らしてきた森の民 族であったことがわかります。
言い替えれば、日本民族は、森と共生することで文化を継続し、発展させることができたのですし 異文化に侵蝕されることはなかったのです。
むしろ、森の民らしく、異文化を上手に受け入れて同化 させ、日本型の文化を発展させてきたと言えるのです。
ここには、四方を海に囲まれた島国であったことや、重なり合う山々の木の種類と量の豊富さ、流 れる川の多さ、入り組んだ海岸線などの条件があったことも森を破壊しなかった要因かもしれません。

 

しかし、教科書に見るように、縄文人が狩猟民族であったとしたら、定住性は持たず、森よりも家畜を大切にし、森を食い荒らしたはずです。
そんな痕跡が見当たらないということは、古代から続く日本は、森の民の歴史を歩んできたことを示しています。
●森の民族、日本の役割先にも触れたように、国家としてのまとまりを持つ民族で、生きとし生けるすべてに神仏を信じ、森とともに生きるもの森の民と呼べるのは、日本民族のほかにはわずかです。
日本は高度に発達した先進資本主義国であると同時に、西洋から離れた東洋に位置し、西洋と東洋をつなぐ役割も課せられている国です。
しかも、かつては秦の始皇帝やマルコポーロが夢見た国であり、宣教師ザビエルが、インドなどアジアでの布教と比較し、日本人一人を洗礼することは、アジアの百人を洗礼するに匹敵すると言わせた国でもあります。
アインシュタインが21世紀を導く国と予言した日本です。

 

混沌の中で迎えた21世紀にあって、砂漠の民の思想の西洋文明が行き詰まり、破綻を大きくしているにもかかわらず、世界と地球の危機を救う術も力も持っていない今、世界に明かりを灯せるのは森の民の思想、森の民の文化しかないのです。
  21世紀のこの時にこそ、森の民を代表する日本と日本民族が、自然支配から自然との共生へ、競 争・対立から互助・互恵へ、大量生産・大量消費から節約、経済主義から人間主義へと森の民の和 のこころを掲げて、世界に働きかけなければなりません。
  世界の危機と混沌を乗り越え、明るい21世紀をつくる先導者の役割を担うのは日本しかないのです ところが、その日本がまだ混迷の中にいるから大変です。
現実には多くの日本人が森の民であることを忘れ、日本の民族性・日本らしさを否定したり、見失ったりしています。
アメリカナイズされた西洋合理主義のエゴ中心の価値観や近代科学至上主義、洋風文化が意識を支配しているからです。
この目に見えない支配の鎖を断ち切らなければ、現状を変革することはなかなか大変です。
そのためには日本らしさを取り戻さなければなりません。
本誌第16号特集Ⅰ「山を育て木の家をつくる」その(2)「日本らしさを取り戻し、木の家づくりを広げよう」では一人ひとりが「らしさ=アイディンティティ」を確立するよう呼びかけていますので参照して下さい。
  日本が全体として本来の日本の姿を取り戻し、古い20世紀の仕組みと考え方から、21世紀の新 しい仕組みづくりへと転換するために避けられない必然な過程として、今の混沌と激動があるよう です。
これまでの歴史の転換期には、古い勢力に対抗して時代を変えようとする新しい勢力が存在していました。
近くは、明治時代をつくろうとして維新勢力がいました。
第2時大戦後は、西洋型システムを強制するためのアメリカ占領軍がいました。
●意識の変化が時代を変えるこれまでの歴史とは違い、21世紀をつくろうとする勢力は、集団や団体として今の日本に見ることはできないかもしれません。
それがより一層先行きを不透明にしたり、不安を呼んだりしているようです。
しかし、21世紀の転換は、これまでのように武力や権威によるものとは明らかに違うと考えるべきでしょう。
古い支配の体制とシステムが、全体として自己矛盾の中で瓦解へとすすんでいることをしっかりと確認しなければなりません。
そして、何よりも、人びとの意識が大きく変わりはじめていることを見なければなりません。
意識の変化の本質は、20世紀が生んだ矛盾への不満、不信、怒りからはじまっています。
これは、経済、社会生活、政治、行政を中心にすべての分野から発生し、広がっているものです。
実質賃金の低下や雇用不安、病気や公害などの直接的な要因から、環境や行政等々の直接・間接的なものまできわめて広範囲に広がる要因があります。
これらの不満、不信、怒りに端を発した変化は、自己防衛的な行動を生んだり、20世紀の枠組みや支配の本質に目を向けるという変化を呼んでいます。
これらが全体として現実の社会の矛盾と問題に迫るようになり、時代の転換をすすめる力となりつつあります。
この変化は、戦後のいたるところに小さな火として付いたり消えたり、火種として残ったりしていました。
それがうねりとなるようになったのは、80年代後半からの健康志向と自然志向でした。
詳論は省きますが、これが90年代からの本物志向、本物主義と一体となってすすんできています。
この中には、環境・自然への意識の高まり、木と木の家をという志向の高まりもあります。
これは環境破壊への危機意識と怒り、自然・森林親和のめざめ、健康破壊住宅への怒りと日本らしい木の家への評価などが、さまざまな姿で包含され表れています。
これらの意識の変化と高まりは、21世紀に入ってより大きくなり、早くなっています。
そして、それが時代を動かすようになった現象がいたるところで生まれはじめています。
昨年生起した数々の問題は、古い社会の力が強ければ表面化しなかったものが多々あります汚職、腐敗、不祥事などを見ても、押え切れなく表面化したということと、それを許さないという社会意識の変化を読みとることができます。
悪が得をして、栄えるという時代は終ったのです。
マスコミに操作されたとは言え、小泉人気を呼んだ背景には、既存の政党・政治家への拒絶の意識の集合がありました。
この意識は、小泉内閣への幻想が完全に裏切られていることを見抜けない未熟さも持っていますが、これまでにない変化としてとらえることができます。
人びとの意識の高まりは、個々の力は微弱ですが、意識の変化と変化が共鳴し合い、集合意識として共振することで、一気に大きな変化をつくることができるのです。
それが進行しているのが今だと言えます。
●木の家づくりで日本のこころを呼び覚ます目先を見れば、余りにも厳しく、見通しも持てず、不安ともどかしい焦りを感じているかもしれません。しかし、大局に立てば、21世紀をつくる力=意識の変化と高まりは、確実に大きくなっていますし、古い支配の崩壊はすすんでいます。
そこで、改めて認識すべきは、意識の変化は何に向かっているかと言うことです。
答は、日本らしさであり、森の民の和のこころ、和の文化と言えるのではないでしょうか。
自然を愛し、自然を大切にというのは、自然回帰であり、自然・森と共生し、人間も自然の産んだ子と認識する森の民の思想への接近です。
木と木の家への希求は、自然素材への目覚めであり、和の文化の中心にある木の文化への回帰です。
いますすんでいる意識の変化の多くは、本来の日本らしさ、森の民の心への接近や回帰を内容としています。
これは、決して偶然ではなく、20世紀の矛盾の高まりが、眠らされていた遺伝子情報の日本のこころを呼び覚ましていることを示すものと考えられます。
この遺伝子情報のめざめが、一定量の集合意識として働きはじめるならば、それは急速な伝幡を見せることになるのでしょう。
微々たる変化の兆しの広がりから、意識の変化がはじまり、意識の変化の広がりが集合意識を形成し、大きな急速な変化へと発展します。
人びとの意識の変化は、すでに行き先のない変化から、森の民の意識へのめざめ、本来の日本への再生の過程にあることを読者のみなさんとともに確認したいと思います。
ですからこそ、この流れをより大きく、より早くするために求められていることは、日本らしさの大切さや素晴らしさを語ることと同時に、より多くの人にそのこころを取り戻させる事象を数多く示す活動を広げることです。
そのひとつが、木の家づくりの輪を広げることだと考えています。
木の家に住みたい、木の家がいいな、木の家がほしい……などと思いながら、その実際に接することができなかったり、依頼先が見えなかったりしている人たちが、日本中に何百万人といるのです。

 

願望を持ちながら叶えられずにメーカーの住宅を買わされる人が一人でも減り、願望を現実のものとできるような仕組みや、運動を繰り広げられることが期待されています。
この運動を広げることは、必然的にたくさんの木材を必要とすることになります。
これが国産材を励ます具体的な働きかけとなり、日本の山を育てることにつながります。
人工林に偏重している山ですが、山に手を入れ、切り出し、少しずつでも自然な山の姿に近づけることと、木の家づくりを広げることで、森のこころに火をつける、そんな21世紀の2年目にしたいと思っています。

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