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住みがいのある家づくり

住みがい


●「住みがい」を封殺した20世紀   家づくりの姿については別稿で論ずることにしますが、戦後の家づくりの歩みから言え ることは、敗戦から復興に至る過程では、都市部を中心に考えれば、住む器が絶対的に不 足しており、「住みがい」をテーマにする以前の状態であったと言えます。 ある程度の復興がすすむなかで持ち込まれたのが洋風住宅観でした。 戦後の器づくりとしての考え方のレールが敷かれている上での家づくりであり、持ち込ま れた洋風住宅観の基本にあったのが、建築物と呼ばれるモノづくりの発想でした。建築界 が双手をあげて歓迎し、マスコミも吹聴したのがモノづくりとしての洋風建築物で、建築 学科もこの路線で育成されたのです。デザイナー、プランナー、コーディネーターなどが 流行の職業となったのもこのような背景からでした。
  この洋風住宅観の中で重視されたのは第一に外観のカッコ良さでした。建築家がこぞっ て力を入れ、「作品」らしく仕立てる第一歩が外観だったからですし、洋風化にあこがれ させて、買い気をくすぐるのも外観の良さでした。 第二に重視されたのが建物の利便性・合理性でした。便利でかつ個を主体にした合理的 で、住み勝手が良いように各空間を仕切り、その役割が特定されるようになります。子供 部屋をはじめ個室化がすすむのもこの端的な現れでした。 第三に重視されたのが機能性・性能でした。商品としての家の質を語る基準が機能的で 快適さや住み心地がどうか、安全性はどうかなどの性能に判断基準がおかれました。この 中で、西洋思想を最も顕著に追求したのが自然との断絶・対決を示す高気密・高断熱でし た。
  このような内容を是とする洋風住宅を推進するために法整備が行われ、工法や部材の規 格化が図られました。これに則って家づくりが産業化され、世界に例を見ない巨大ハウス メーカーが住宅産業の主導権を握るようになり、いつの間にか家は大量生産型の商品とさ れ、買うものになってしまったのです。(この詳論も別稿で考えます)  もちろん、地方ではいろいろな形での家づくりはありますが、日本中どこへ行ってもハ ウスメーカーによる同じ無機質材の規格住宅を見ることに不思議さを感じなくなってしま いました。
  このような状況は、とても「住みがい」を論じさせることを許すものではな く、家を考える視点を、価格と見た目の良さや性能に向けさせてしまうものでした。 商品化した家で論じられたのが、「住みがい」とは少々違うところの快適性、利便性であ り、十年か二十年しか保証のない高耐久や、剛性で自然と対決する耐震性などで、今はバ リアフリーが付け加えられています。そして、高級感を持たせることで買主のステータス や自尊心をくすぐるものでした。 また、20世紀に脚光を浴びたのが、大型マンションに代表される集合住宅でした。巨大 なコンクリートの塊を分割して、鉄の扉で閉ざされた住まいを近代的と見せかけ、マンシ ョン住まいにあこがれを煽りたてました。戸建て住宅に負けない高値での分譲マンション に飛びつかせたり、高い賃貸料の払い捨てをやむなしという風潮がつくられました。 このように20世紀の住まいでは、「住みがい」論が入り込む余地がなかったとも、入り 込ませようとしなかったとも言えるのではないでしょうか。
●20世紀は生きがいも奪っていた  20世紀は「住みがい」を語らせなかったとは言え、「生きがい」はどうであったかも実 際には問われるところです。
  と言うのは、「生きがい」については多くの人が語っていますし、論じた書物も数多く 出されています。ところが現実には、自分の「生きがい」をしっかり見定め、イキイキ・ ワクワク生きてきた人はどれくらい居るでしょうか。回りを見渡してもどれほども居ない ようですし、むしろ「生きがい」を求めあぐねている人の方が多く、それ以上に、日々に 追われたり、目先の損得に走ったり、欲望に流されたりという姿が多く見られるのが現状 ではないでしょうか。 「生きがい」についての考え方はいろいろあるでしょうが、一般的に言えば趣味と実益を 兼ねた行為の日々ということになるのかもしれませんし、仕事を趣味にすることができれ ば「生きがい」を持つことができるでしょう。 もう少し考えると、「生きがい」は生き方につながり、どんな生き方をしているかによ って左右されることになります。そこでは、価値観の高い低い、志の有無によって差異が 出てきますが、望まれるのは自己中心的な生き方ではなく、自他同然に、自分も大切にす るが他人も大切にして、集団や全体の利益と幸せのために貢献する生き方でしょう。 さらには私心を離れて世のため人のために貢献し、より良い世の中をつくるための生き 方の中にこそ「生きがい」を感ずることができるのではないかと思います。

それは別の言い方をすれば、自らの良心に忠実に生き、自然の摂理に従うことですし、 人間としての自分の役割、使命にめざめての天命に則した生き方をすることです。 しかし、現実の20世紀は、給料の上昇をエサに、それをはるかに上回る物価の上昇があ り、文化的と言われる生活を維持するためにローンに追われるという現実がありました。 天職にめざめ、自分の特技や才能を生かしたり、趣味を生かせる職業につけた人はごく 僅かでしかありません。 働くことは生きて行くための手段でしかないような現実で、しかも年々すすむ実質生活 水準の低下があり、荒んだ社会があります。否応なく満たされぬ欲求や不平、不満を募ら せて刹那的、打算的、虚無的になりがちで、それを歪んだ形で外に吐き出さざるを得なく した面があります。人間としての尊厳や価値、人間らしさを育てる可能性を自ら摘み取る ようなギャンブル狂いや性的退廃、家庭崩壊による悲惨な事件や、無軌道な諸事件もそう したものの現れという面を持っています。 ましてや20世紀末の混迷と長く厳しい平成不況で、年収の低下、リストラ等々での失業や 雇用不安、収入減、社会不安という毎日は、一層「生きがい」を見えなくしてしまいます 中小企業の経営者は、それにも増して経営を続けるための凄じいプレッシャーとストレス とのたたかいがあります。 このような下では「生きがい」どころではなく、現実から逃避する傾向も出てきます。 逃げても解決はあり得ないのです。偉大なる文豪・夏目漱石の小説「草枕」の冒頭の有 名な一節は、今もなお生きています。 「‐‐‐智に働けば角が立つ。情に棹ささせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人 の世は住みにくい。
  住みにくさが高ずると、安い所へ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った 時、詩が生まれて、画ができる。(中略) 越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか寛容て、束の間の命を 束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使 命が降る」と語っています。 それだけに、物欲主義や損得勘定で判断する20世紀的な価値観を拭い去り、地に足をつ けながら、より良い明日をつくろうとする未来志向の、より高い価値観で人生を見つめ、 仕事を考え、真の「生きがい」を考えるべき時に来ているのだと思います。 本稿では「生きがい」を論ずるのではなく、「住みがい」を考えるのが主旨ですが、ここ で言いたかったことは、20世紀という時代は、人間らしい「生きがい」も「住みがい」も 押し殺し、視野を狭めたり反らせたりさせて利己主義、刹那主義に駆り立て、支配の本性 を見えなくしてきたことについてです。そして、その裏で資本の集中と集積が図られてき たという実態についてでした。  資本の論理、近代西洋文明下での思考では「生きがい」も「住みがい」も育てられたな かったのだということを見抜いて、これからの「住みがい」を考えたいと思います。
●「住みがい」は日本らしい木の家から  本稿のはじめに、「住みがい」のある家とはどんな家かを考えつくまま、聞こえてくる ままに列記してみました。
  そこから見えてくることは、「生きがい」と同様に「住みがい」もまた、決して物質的 充足、科学的恩恵を求めて得られるものではないと言えることです。つまり、ハード面の 充実や考察からは「住みがい」は生まれてこないということです。 浮かび上ってくるのは、和と愛、自然と健康、癒し、安らぎ、味わいというところに集約 される精神的要求、心身の健康と心の充足を求めるものを主内容としていることです。そ れに加えられるのが年月を経るにつれて高まる質と価値だと言えます。 生意気を言うよ うですが、ここで、それはどんな家で外の様子はどうかをイメージしてみて下さい。 (‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐)  イメージされたのは、コンクリートや無機質の鉱物材料で囲み包まれた家、鉄の扉で閉 ざされた室内で外の風も香りも遮られ、人工的エネルギーが充満している家、コンクリー トジャングルの一角の家などではなかったはずです。 日本人の心象風景として描かれるのは、周辺の緑の中に立つ瓦葺の木の家ではないでし ょうか。 やはり「住みがい」を感じられるのは、伝統民家に代表される柱立ての木の家の思想を継 承し、発展させた自然と共生する家ではないでしょうか。 先にあげた「住みがい」のある 家の内容を具現化すると、住むほどに愛着が生まれる家というのは、住む人と一緒に年を 重ねて味わい深くなる家で、それを成し得るのは生命を持つ材料でつくられ、年月ととも に風合いを増し、強度も高まる家でなければなりません。その材料は、考えるまでもなく 木を主とする自然素材でしかありません。 木材は、表面を厚い塗膜で覆わない限り呼吸し続けて温湿度の調整をしますし、年を経る につれ、樹脂が全体に浸透して、しっとりと落ち着いた暖かい材色となり、外気とも触れ 合って風合いを増します。また、木材は育った年月以上の年数をかけてゆっくりと強度を 増し、切られた頃の強度に戻るのに数百年から千数百年を要します。これは、無機質材の 場合、年々褪色し、劣化するのと正反対とも言える著しい違いです。また無機質材は、生 きた材料ではありませんから、呼吸機能・温湿度の調整機能を有せず、コンクリートなど は湿度を吸収することで酸化を早めますし、電磁波の害を大きくします。 安らぎをもたらし、健康を育てる癒しの素材という面から家づくりの材料を考えれば、 基本的には人工的に作り出した材料にその効力を期待することはできません。塩ビをはじ めとする化石燃料資源(石油など)を原材料とする製品は、製造と廃棄の段階で大量の熱 エネルギーを要することや有毒性、有害性などはかなり知られていますが、製品としての 存在時にも多くの有害性や欠点を持っています。 年々劣化するということは、その物質の酸化、崩壊がすすんでいるということであり、そ の過程で材料の持つ有害物質とプラスイオンが放散され、環境汚染を続けているというこ とです。それらは、癒しの力を持っていないだけでなく、健康に害を及ぼしているのです から、とても「住みがい」を演出する材料とはなり得ません。
●木と自然素材が「住みがい」を呼ぶ  これに対して木材は、温湿度を快適にする調整機能はもちろん、住む人の不快神経を刺 激する音や光を吸収し、心地良さを感ずる音や光を乱反射して住空間に潤いと安らぎをも たらします。プラスイオンや電磁波を吸収し、マイナスイオンを放散したり、木目に集中 される自然感、1/fを主とする"ゆらぎ"の力で癒しを促進し、自律神経を活性化して 健康を育ててくれます。 このように見ただけでも「住みがい」を感じられる家は、木をふんだんに使った家である ことが基本になります。 これと併せて、これからもっと積極的に使いたいのが土壁です。土壁の土は、もともとは 広葉樹を主とする木の葉や植物が腐蝕して一億年以上の年月をかけて地表に積み重ねられ たもので、大量のミネラル・バクテリアを含んだ植物性の素材です。植物性の有機素材の 最大の特徴は、木と同じように呼吸して生きていることにあります。土壁もまた木と同じ ように温湿度の調整や音と光の吸収性があり、プラスイオンを伴う悪臭や科学物質・電磁 波などを吸収し、マイナスイオンを放散する機能を持っています。
  最近は、珪藻土などがもてはやされていますが、本来の珪藻土はともかく、商品化され て利益主義が混在するものには、焼成したり不純物を混ぜているなど、いろいろな問題も 含まれていますので、注意が必要です。 その意味でも、土壁や土間を見直すことが求められています。自然の土の威力は大きな ものがあり、住み心地を良くし、「住みがい」のある家をつくる上で大きな役割を持つこ とになります。「住みがい」をもたらしてくれるのは、見せかけや機能性・性能、高級感 などではないことは明らかだろうと思います。心と体の健康を育てずに「住みがい」を論 ずることは考えられないことです。 癒しの力があり、健康を育てる家であることが「住みがい」の大前提であることはこれ 以上語るまでもないでしょう。そして、住むほどに味わい深くなり、強くなり、安らげて 情緒を豊かにする家でなければなりません。さらに、家族の和を育てる間取りやつくりが 考えられ、さらには、家族一人ひとりの家づくりへの想いが何等かの形で生かされておれ ば、それに越したことはありません。 このような家でこそ家族の絆は強まり、愛を育てることができるのです。
  そしてもうひとつ大切なことが自然との共生です。「人間も自然の産物で、自然によっ て生かされている」ということは、自然との触れ合いで宇宙・自然のエネルギーを得、そ れによって自己治癒力を高め、心と身体の健康を育てられることを意味しています。 このようなことが、「住みがい」のある家をつくる基本となるのではないでしょうか。 次稿では、その内容をもう少し具体的に考えてみます。    
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