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広葉樹文化を語る

日本人の生活の原風景にある広葉樹

縄文人から続く広葉樹文化

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岸本 潤

日本は木の国であり、日本の文化は木の文化であると云われるが、木の文化を仔細に眺めてみると、それは広葉樹の文化であることに  気付く。
何故ならば、前述のごとく日本列島は中緯度にあり、その原生植生は温帯性の森林としての広葉樹林を基盤としており、日本 人は長い間この自然の中で暮らし、物心両面において広葉樹林に依存して暮らしてきた。
したがって、日本の文化は広葉樹林という生存 環境によって育まれた文化であるという意味から広葉樹文化なのである。
 第四氷河期が終って冲積世に入り、火山活動が弱まり気温上昇、海面上昇によって、日本列島はひとつの独自な生存環境になった。
 最終氷河期(今から約1万2000年前)以降、約1万年を縄文期と称するが、この時代、縄文人は恵まれた豊富な森林・広葉樹林の中で、 採集・狩猟・漁労という自然に依存する生活を基本として暮らしていた。
当然ながら縄文人は自然畏敬の念がつよく、自然には意志があ ると考える原始信仰をもっていた。
 当時、広葉樹林(主として落葉樹)の生態の変化は、木の実の豊凶など彼らの死活につながる問題であったから、その変化は非常に敏 感に、神妙にうけとめられていた。
 彼らは「森の人」であり、森のリズムに調和することを心得て暮らしていた。
 縄文人は森林から生活の糧(モノ)を得る一方、複雑な自然環境、四季の変化をもつ多様な広葉樹林の中で、豊かな感性や判断能力を 養い、賢明で適応力の高い縄文の文化をもつ民族となっていった。
 安田喜憲氏の「環境考古学事始」(昭・55)によると、福井・鳥浜貝塚の遺物解析で、縄文早期・前期にすでに照葉樹林文化の拡大に よる新しい文化要素が、縄文人の文化に加わったことが読みとれるという。
北方系の落葉樹林の豊かな森に発祥した縄文の文化は、現在 知られているよりもはるかに早くから、南方系の照葉樹林の文化をとり入れ、高くすぐれた文化を持っていたことが想像される。
 又、佐々木高明氏の「照葉樹林文化の道」(昭・57)によると、縄文中期(約5000年前頃)には照葉樹林文化は西日本をおおい、一部 は中部山地のナラ、クリ帯まで北上し、半栽培をともない、定着的な生活もいとなんでいたという。

森林調和的性格の日本人の血
 今から約4000年前頃、先史時代終りの環境問題(寒冷化)によって、縄文人はその生存環境を脅かされたとされるが、その試練の克服 のために、それまで除々に進んでいた照葉樹林文化の摂取は積極的に進められ、遂には次の時代(約2300年前頃)の弥生期に、暮らし方 の大変革としての稲作農耕文化の時代へと移って行くことになる。
 このイネと鉄の文化の時代・弥生時代は、高々500~600年の間に照葉樹林が急速に破壊(開拓)され消失していった時代である。
 縄文期、弥生期とも広葉樹林に依存したが、その形には明確なちがいがあった。
 縄文時代は程度の差こそあれ、いわば広葉樹林に全面依存的な暮らし方であった。
しかし弥生時代は照葉樹林を破壊(開拓)しながら、 部分依存的に広葉樹林を温存した。
 以後約2000年、現在に至る農耕社会の暮らし方として継承してきたのである。
 すなわち、日本の文化は、はじめ広葉樹温存の文化、のち広葉樹破壊の文化という形でつづいてきたことになる。
しかしいずれも豊か な温帯性広葉樹林の存在が大前提となって成立しえた文化である。
 縄文時代の森林の重要性は当然ながら、弥生時代以降の広葉樹林を破壊してつくり出した農耕社会でも、その農耕を支えたものは周辺 に温存された広葉樹林であった。
 農地の約5~10倍の広葉樹林が確保されなければ、農耕生活は支えられなかった。
 労働力としての家畜・牛馬の飼料、肥料としての落葉落枝、燃料としての薪炭など、すべて農耕地周辺の広葉樹林(いわゆる里山の雑 木林)から供給されたのである。
 要するに日本の文化は、広葉樹林によって連綿と支えられ、伝承されてきたということである。
すなわち日本の文化は広葉樹の文化で あるという所以である。
 梅原猛氏の日本人論によると、日本人の気質は縄文の記憶を色濃く抱きつづけているという。
縄文の記憶ということは、約一万年の間、 広葉樹林で暮らしてきた人たちの血の記憶である。
梅原氏は「現日本人は縄文期のあと、弥生人の血が混じりはしたが、やはり縄文人の 森林調和的性格を継承している」と述べている。
 事物の多面性、多様性をつよく意識する民族性は、現代社会では時として、「曖昧な日本人」として批判されるが、鈴木秀夫氏の「森 林の思考・砂漠の思考」(昭・58)にもあるように、これは日本人の血の考え方であり、森林的性格、日本文化の性格なのである。
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 つ まり日本人の生活の原風景は、広葉樹林にあり、今もその気質の根本には「森林調和的性格」として根強く残っているということである。
 日本人は森林的性格という。
我田引水的にこれを布術すれば、日本人は広葉樹林的性格とも云えよう。
森林的と云っても、それは決し て針葉樹のそれではなく、明らかに広葉樹的性格、さらに云えば、それは落葉樹の躁性と常緑樹の鬱性の双方を併せ持つ性格、そして間 接法的、情緒的表現を好む性格であると考えられる。
 グローバルな時代、現代社会はすべてを明快に割りきることを要求される場面が多いが、森林的性格の日本人。
易々として森林思考を 手放し、砂漠思考に組みすることはないと思うのである。
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