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日本人と木

 

鳥取大学農学部生物資源環境学科 教授 古川郁夫


●目次
1  プロローグ・私の原風景 
2  森の姿は変わる 
3  基層文化にかかわったクリ 
4  スギとコメとの出会い・稲作農耕文化
5  スギにもっとこだわりを! 
6  日本民家のルーツ 
7  現代日本の民家にスギを活かす
8  日本的原風景・鎮守の森 
9  海を育てるハハソの森 
10 母なる森の隠れた主役・キノコ 
11 マツのある風景・里山 
12 木のクセを知る・適材適所 
13 木も二十歳すぎれば一人前・成熟化現象 14 大きいことはいいことか?・早生樹 
15 年輪は過去を語り、未来を示す
16 エピローグ・人と木と文化 
●プロローグ・ 私の原風景皆さんは、木がどうしてそこに在るのか、考えたことはありますか。
何気なく木を眺めたときには、誰かがそこに植えたのだろうとか、何かの拍子で落ちた種から勝手に芽がでたのだろう、という位にしか思わないでしょう。
生態学に関心があれば、そこが生育に適した環境だったのだろう、と思うかもしれません。
それもそうなのですが、それだけが「木がそこに在る」理由ではありません。
もっといろいろな理由があります。
木がそこに在るのは、生物的な理由の他に、歴史的な理由、文化的な理由もあるのです。
そのことについてこれから一緒に考えてみましょう。

私は象頭山のふもとで、少年時代を過ごしました。
象頭山は、狭い讃岐平野の西南の端っこにあり、民謡「こんぴら、ふねふね」の中に登場するあの山です。
♪こんぴら、船、ふね、追い手に帆かけてシュラ、シュ、シュシュ♪ 廻れば、四国は、讃州、仲の郡、ゾ・ズ・ザン、金毘羅大権現♪ 一度、廻って、金毘羅、船、ふね・・・・・♪と、唄はエンドレスに続くのですが、皆さんも、歌えば、きっとこの山の名を、それとは知らずに口ずさむでしょう。
この山は、その名のとおり象の頭の形をしているのですが、そう見えるのはある方向から、それも少し離れたところから見たときだけなのです。
金毘羅詣での港としてその昔賑わった丸亀港や多度津港の沖から眺めれば、確かに長い鼻を前に投げ出して、地に伏せている象の頭部によく似ています。
それ以外の方向からでは、どこが象の頭なのか皆目見当がつきません。
地元民の私でさえ、そうだと分かったのは瀬戸大橋を渡るようになってからです。

それはそうと、象頭山は金刀比羅宮の社叢林です。
この森は、いまでも古代西日本の照葉樹林の面影をよく残しています。
子供の頃の私は、その森にある木々のことなど全く気にかけることなく、ただ格好の遊び場として、四季を通して森の中を駆け回っていました。
鮮やかな紅葉の落葉が、厚く湿っぽく積もった薄暗い林に入れば、まるで鹿のような気持ちになり、また陽だまりの明るいドングリ林ではタヌキかイノシシにでもなった気分を味わったものです春はまさに万朶の桜、秋にはカサッ、コソッ、と静かに落ちるシイの実を暗くなるまで拾い、夏はタラヨウの葉にクド(竃のこと)の残り火で、墨流しのような模様を浮かばせ、寒い朝にはコクバ(アカマツの落ち葉を掻き集めたもの)をパチパチと焚いて、霜焼けで痒くなったところを炙ってから学校に急いだものです。
神社の境内には、巨大なクスノキがその大きな樹冠の影を地面いっぱいに拡げ、参詣者はその木陰で額の汗を拭って一服するのです。
そのような巨大なクスノキの幹には、決まって横綱のような注連飾りが巻かれており、ひときわ神々しく茂っていました。
これが私の森についての原風景です。
少年時代に刷り込まれた季節の山の匂い、木々の鮮やかな色や姿や感触は、今なお私の5感に染み着いています。
けれども、当時の私には、これらの木々は単なる風景の一部でしかなかったのです。
それが、今になってやっと「これらの木々の存在」について考えるようになりました。
なんと時間のかかったことでしょう。
自分が歳をとったせいかもしれませんし、また大学で僅かばかり木のことを勉強したからかも知れません。
しかし、何と言っても、子供の時分に染み着いた象頭山での感覚が、そのことを考えるように、私に気づかせてくれたような気がします。

故郷を出て、世界のあちこちを旅するようになって、改めて「木はどうしてそこに在るのか?」という素朴な疑問が、自然な形で、私の心を捉えるようになりました。
そうなると、今度は逆に、行く先々で、そこの風土にふさわしい木とか、その木がそこの暮らしとどのような係わりをもっているのか、というようなことが気になりだし、注意して観るようになりました。
そのようにして、象頭山での原体験を出発点として、20数年を過ごしてきた因幡地方の木々や、世界各地の木へと、次第に目が遠くに向くようになりました。
とは言っても、「木がどうしてそこに在るのか?」ということについて、まだ結論めいたことを申し上げるのには多少気がひけます。
でも、このあたりで思い切って私なりの考えを述べてみようと思います。
ご批判やご意見をいただければ幸いです。

●参 考 文 献

安田喜憲「環境考古学」日本放送出版協会(1980)クライブ・ポンティング「緑の世界史」(石 弘之 訳)朝日新聞社(1994)小原二郎「木の文化」鹿島出版会(1972) 鳥取大学農学部広葉樹研究会「広葉樹の育成と利用」 海青社(1998) 遠山富太郎「杉のきた道」中央公論社(1976)佐々木高明「日本文化の基層を探る」日本放送出版協会(1993)杉本尚次「住まいのエスノロジー」住まいの図書館出版局(1987)瀬田勝哉「木の語る中世」 朝日新聞社(2000)川添登氏「木の文明の成立」日本放送出版協会(1990)和辻哲郎「風土・人間的考察」岩波書店(1935)農商務省山林局編纂「木材ノ工芸的利用」大日本山林会(1912)奈良国立文化財研究所史料第三十六冊「木器集成図録(近畿原始編)奈良国立文化財研究所(1993)島地 謙・伊東隆夫「日本の遺跡出土木製品総覧」雄山閣出版(1988)古川郁夫ら「古代から近世までの山陰地方において利用された木材の樹種選択性」鳥取大学演習林研究報告NO.24(1996)安永孝文「鳥取県遺跡出土木器類2096点の用途と樹種について」卒業研究(2000)和仁雅人「鳥取市郊外のアカマツ枯損林にみる林分構造の変化」卒業研究(1995)小林智紀・古川郁夫「キトサン金属塩の木材防腐効力」防菌防黴誌、23巻、343~348頁 (1995)、キトサン金属塩の防蟻性能、木材保存、21巻、171~177頁(1995)山下力也・古川郁夫「スギの木部材質の成熟化について」鳥取大学演習林研究報告NO.25(1998)古川郁夫・石井利典「機械等級区分されたスギ一般材中における仮道管長の変動と未成熟材の分布」鳥取大学演習林研究報告NO.25(1998)古川郁夫ら「小径広葉樹71種の繊維長及び道管要素長の水平変動」鳥取大学広葉樹研究、No.2、103~134頁(1983)古川郁夫・橋詰隼人「クヌギ壮齢木の材質に及ぼす施肥および整理伐の影響」木材学会誌、33巻、443~449貢(1987)光谷拓実「年輪年代法と文化財」日本の美術6、至文堂(2001)渡辺新一郎「巨樹と樹齢」新風舎(1999)黄 栄鳳・古川郁夫「中国反乾燥地域におけるポプラ造林木の肥大成長と気象因子との関連性」  木材学会誌、46(4)、363~367頁(2000)、「2種の中国乾燥地ポプラ造林木の道管要素長と木部繊維長の水平変動」木材学会誌、  46(4)、495~502頁(2000)I.Furukawa・The Influence of Water Deficiency on the Formation of Wood Fiber Of Caragana korsinskii planted in the China Deserts, New Horizons of Wood Anatomy, Ed. By Y.S.Kim, Chonnam National Univ.Press, Kwangju, Korea, pp.138-144(2000)

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