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二極化するか日本の住まい


●日本には、日本に適した生活文化  戦後の一連の動きの中で、日本の文化の変質化への策動はすさまじいものがありました。
 生活文化の根幹をなすのは衣食住ですが、それがことごとく洋風化へと変質されています。
 この生活文化を形成する上での大きな要因となるのが、気候・風土、地理的条件などです。
そういうものに見合って、古来からそれぞれの民族の衣食住が形づくられ、風俗・風習が生まれて います。
 これに加えられるのが宗教であろうと思われますが、日本の宗教の元は、宇宙・自然・神と一体 化を説いた古代神道で、他の宗教に見るような教義や作法、戒律を持たないものでした。
神=自然であり、自然と天(宇宙)の理に従い、感謝するというもので、この宇宙観・自然観とも言 える神道の精神が生活文化の真髄にありました。
 ですから、日本に根づいた生活文化の中心は自然との同化・一体化であり、自然の恵みを頂い て生かすことが基本にありました。
それが、日本の気候・風土に適したものとしてつくられ、育てら れてきたのです。
 衣と住における材料は、木、竹、麻、草などを基本に、その地の土なども加えた自然の素材を加 工したものだったことは知られている通りです。
 食の基本も森や田畑が育てた恵み、川や海の魚貝類が主で、動物が主だったわけではありませ ん。
縄文人が狩猟民族であったように描かれ、教えられていますが、肉類は副次的なものでした。
 数千年前の古代人の主食とされたクッキーのようなものが発見されていますが、原料はクルミ・ク リを主にした森の恵みに、鹿や鳥の肉、卵などを均質に摺り合わせ、250℃程度で焼いたものだと いうことが実証されています。
西洋や中央アジアの民族のように、肉食を主とした狩猟民族でなか ったからこそ、稲作も知られているよりはるか以前から始まっていたのです。
 日本人の生活文化と精神文化をつくり、民族的特徴と性格づけをする根底にあったのは、森の 民族らしく自然と一体となり、生けとし生けるものと森羅万象のすべてに宿る神への尊崇がありまし た。
後に、農耕民族としての性格が加わり、より自然への感謝、季節の移ろいとの調和が図られた のです。
 これらを総合して見ると、衣は和服、食は米と野菜と魚貝類、海産物、住は風の通る木の家が生 活文化として培われてきたワケがわかります。
 日本民族が何万年の歴史を通して培ってきたこのような文化がことごとく否定されたり、退けられ たのが戦後です。
 この50数年、西洋文明に支配され続けていると、今の姿に疑問を感じなくなってしまいますし、 「もう、アメリカのせいにするのはやめよう」などという学者さえ多く出てきています。
 夏でも冬でも背広を着てネクタイで首を絞める姿や、演出された流行を追い続けるような衣の世 界。
肉食やジャンクフード、油を媒介した食材など、人間の細胞に適さず、骨や脳を育てない食生 活。
鉄筋コンクリートに囲まれ、気密性を強調した住生活など、いかにも洋風化されたものが主流に なっているかがわかります。
 今年の夏も酷暑でしたが、高温多湿な日本気候風土にまったく適さないものや、地場の森と農漁 業で得たものとは異質なものを主とする洋風化した衣食住は、日本に適さないものがいかに多いか を考えたいものです。
 異民族による支配というのは、これほどまでに文化を変質させるものであることを見るならば、戦後 の日本らしさの喪失が巧妙に仕組まれたものであるかがわかります。
 アメリカのせいにして、アメリカを批判するということでなく、背景を知って、戦後の枠組みを打ち破 り、本来の日本らしさを取り戻さずして21世紀を語ったり、21世紀を素晴らしい時代にすることが出 来ないことを知ってほしいと思います。

●特異性を呼んだ背景にあるもの  このような歴史の背景を確認しながら、戦後の家づくりの異常性とも言える特異性について考えて みます。
 戦後の家づくりで、まず最初に課題となったのが都市を中心にした焼土からの復興でした。
残虐非道な2発の実験的な原爆を投下された広島・長崎、沖縄の占領作戦、繰り返された本土へ の大空襲による東京・大阪をはじめとして、各地で百万人近い善良な民が殺され、家が焼かれてし まいました。
軍関係を含む戦争による死者は、確認されているだけで280万人にのぼっています。
 戦争で働き手を奪われた上に食糧もない状態での復興は、いかに厳しいものであったかは、想 像を絶するものだったでしょう。
動力や機械もなく、資材さえもがない中でのことですから、とりあえ ず雨露を凌ぐことから始まっています。
 戦後の日本の家づくりは、都市での焼け跡からの復興のために、安価で簡便な家が大量に求めら れたことに始まったという事情がありました。
そこに、本来の家づくりとは違う組立式の仮の家とも言え る初期のプレハブ小屋やバラック小屋の誕生がありました。
資材メーカーや資材業者がハウスメーカ ーとして生まれてくる大きな背景がここにあったと言え、家づくりの産業化への道が開かれたのです。
 次に家づくりに持ち込まれたのが洋風化です。
西洋ブームがつくられ、それに乗って建築家の中で モダニズム建築がさも素晴らしいかのように言われ、木造住宅は古臭いからもうやめようと公然と言わ れるようにまでなり、すべてが洋風住宅へとなびかされました。
これにつれて、プレハブ住宅も洋風化 の波に乗り、形や見栄えや性能を競うようになりました。
 これと並行して木と木の家への中傷と攻撃が繰り広げられ、一方では、安価な外材導入の道が開か れました。
日本の林業・木材・木造住宅づくりが衰退するような政略が次々と打ち出され、政治と行政 大企業とマスコミ、建築界が一体となって日本の文化と地場産業を総掛かりで否定し、壊し、洋風住 宅づくりを進めたのです。
 その次に生まれてくるのが集合住宅です。
 日本には昔から町人や下級武士の住む長屋がありました。
ここでは住人たちの助け合いや絆があ り人情や文化を育んできました。
 しかし、戦後の集合住宅に持ち込まれたものは、長屋の思想とは全く異質なものでした。
 アパート形式からマンションへとすすんだ集合住宅は、都市に集中してきた労働力を収容すること を主目的にしたものでした。
戦後政策の大きな柱のひとつに私的所有者(マルクス主義では小ブルジ ョアジーと呼ばれ、蔑視されている)を没落させ、無産化(プロレタリアート化)させることがあげられて いました。
その現れが農山村を疲弊させ、農林業・地場産業から没落させられて、無産化した労働力 を都市に集中させて、安上がりの労働力として使うことでした。
地方・農山村を疲弊に導くだけでなく、都会にあこがれさせ、若者たちに夢を持たせるような歌謡曲や 映画が大々的に流行らされたのが昭和30年代、40年代でした。
 この労働者たちを、経済成長の駒として使いながら、一方で駒であることを悟らせないように企業内 労働組合に組織させ、「労働者」意識を持つように思想教育し、あたかも資本とたたかっているかのよ うな錯覚を持たせました。
 大量に都市に流入してくる労働力を収容するための集合住宅は、隣の住人との交流を頭から否定 したもので、コンクリートで囲い、一日の労働で疲れて帰って眠むるためだけの器でした。
 狭い土地に大量の労働者を収容するためにだんだん高層化し、集団化へとすすむのですが、これ を住宅として魅せるためにマンションを讃美し、優越感さえ持たせるようにしたのです。
ゼネコンの巨大化は、土木行政とともにマンション、都市づくりによるものとさえも言えるのです。
 このように、焼け跡からの復興に始まり、洋風化、集合住宅化といった家づくり、街づくりが戦後の主 流を占め、日本らしい伝統的な家づくりや町の佇まいが次々と壊されました。

●日本に見る住宅関連の特異性  戦後の日本の家づくりが、他に例を見ない特異性を持つに至った背景を見てきたのですが、この 特異性を別の角度から考えなければなりません。
 その中心にあるのが、巨大ハウスメーカーの出現、建売住宅の販売、住宅団地の出現であり、そ のための住宅の規格化でした。
 本誌第18号特集Ⅱ「主を忘れた20世紀の家づくり~家は買うもの?つくるもの?」の中でも多 少触れていますが、本稿の歴史的背景との関係で見れば、よりその特異性の本質が明らかでしょう  戦後の西洋文明支配を推進するための絶対条件の1つに資本の集中と集積がありました。
私的 財産所有者や地場に根づく中小企業を没落させることと、安あがりの労働力をつくり出す政略とで 大企業の育成が行われました。
その一環として行われたのがハウスメーカーの育成です。
創業50年前後のハウスメーカーが多いのもその現われです。
 大企業化を推進することは、大量生産・大量販売化へつながります。
従来の家づくりではコスト・ 工期などの面で対応できない工法と部材の規格化が持ち込まれ、匠の技を必要としない大壁式の 器のような住宅が商品として販売されるようになります。
 やがて、都市で収容しきれなくなった労働力や、一定の生活を保てるようになった労働者を固定 させるために、住宅購入の夢を描かせ、団地住まいに華があるかのように宣伝し、ローン地獄へと 引き込んだのです。
そして、それをすすめるために持ち家制への政策的リードがありました。
 戦後の日本の「住宅」をめぐる特異性は、このようにしてつくられたのですから、この流れをいつま でも良しとしておくことができないのは明かだろうと思います。

●伝統は素晴らしいから継承される  伝統というのは、長い年月をかけて民族が継承しつつ、時代に応じて発展させるものです。
時代の中で型に変化が生まれたとしても、理念と思想は継承される、それが伝統です。
 その代表的なものが衣食住だったのです。
住が木の家として数千年の歴史を持っているというこ とは、それが素晴らしいからであり、日本の風土にもっとも適しているからです。
 私たちの祖先が、それしか知らなかったのではなく、森の民であり農耕民族である日本民族らし い、自然と一体となった暮らし方には、自然を存分に受け入れた開放的な木の家が一番良いこと を知っていたから、それを継承してきたのです。
 北海道を除けば、高温多湿で3ヶ月ごとの四季の変化を取り入れて暮らすには、自然と共生する 木の家がもっとも適していることも知っていたのです。
 それ以上に、木という植物が、切られて木材として使われても生きて呼吸し、正しく使えば数百年 から千年以上の生命を持ち続けられることを知っていたのです。
人間にとってもっとも融和できるの が、呼吸する植物系の素材であることを知っていたからこそ、木をはじめとする周囲の自然素材を 用いていたのです。
 人間にとって、日本人にとって、良いものだから受け継がれ、培われて伝統となり、文化となるの です。
素晴らしくて優れているからこそ伝統になったということを知って、木の家を見直すことが大 切なのだと思います。
 これに対して、戦後持ち込まれた洋風文化と洋風住宅は、その起源は、砂漠の民・狩猟民族の 石の文化にあり、衣食住の思想も姿も、森の民・農耕民族の木の文化、衣食住観とは根本的に違 うものです。
 その根本的に違い、本来は相容れないものを良しとしてきた戦後こそが問われるべきですが、 逆説的には、異質のものを50年余りにわたって経験したことで、改めて日本に還る日が近づいた とも言えるようです。
 木の家こそが、日本にもっともふさわしく、誇りある文化であることを語り、広げなくてはなりません  次稿では、住まいの洋風化の問題を主にしながら、2極化するかもしれないこれからの家づくりを 考えます。
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