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木の住まいが育てる日本のこころ

住まいの変化の底流に

 「住宅に何を求めますか」という質問をすると、返ってくる答えは、高気密、高断熱、高耐久、快適性、利便性、機能性などが圧倒的に多く見られます。
科学技術が進歩し、経済的にも発展してくると、要求の方向が歪んでくるような感じさえします。
住まいとは何かという本質が見えなくなってしまい、住まいに求めるものがだんだんピントのずれたものになっていることに、建築界は何等警鐘を鳴らしていないようです。
それどころか、むしろ戦後のモダニズムを大歓迎して受け入れ、近代建築を語り、造ることが建築家の先進性であるかのような錯覚と自負を呼び、木造建築を全面的に否定する論陣を張ったことは周知の通りです。
個々には多くの建築家が「日本の家」を考え実践の歩みを強めていますが、全体としては「モダン」路線を踏襲しているのが現実です。
建築家の責任と同時に、むしろ、それ以上に責任が大きいのがハウスメーカーだということは言うまでもないことです。
施工が楽で工期が短く、専門大工職人も要らず、原料費も安くして大量に売れて、儲かる家づくりをめざしてきたのです。
そのための資材の規格工業化であり、大壁工法のプレハブに始まる洋風住宅づくりだったのです。それをごまかすための〝モダン〟で見栄えのするものや、機能をくっつけたものにして高く売りつけ、今日風の住宅を全国に広めてきたのです。
平均耐用年数26年というのが当り前ということを意識づけたのもこんな住宅で、政治力を動かして建設省による10年保証、20年保証などの規準もつくらせたのですから、本当は大犯罪と言うべきものです。 建築家も工務店も、家づくりを流行の商品づくりとしたり、造り手(売り手)の都合を押しつける儲け主義の材料であったりするような家づくりの応援団や協力者であってはいけない時代に来ています。 近代化、進歩的、科学的、合理的と表現される西洋文明が完全に行き詰まりを見せている今、家づくりもまた〝近代モダニズム〟の自己陶酔から目覚め、「住まい」「家」の原点から考えるべきときに来ていることを知ってほしいものです。
●家は家族の「和」と「愛」を育てる場
  では、その「家」とは何か、「住まい」とはどうあるべきかを考えます。 家は何のために必要なのかという初歩が忘れられているのが今日風の家ではないでしょうか。
人間が社会生活を営むための基礎となる最少の単位が家族です。
家の定義を見ると「一家族が住むための建物」「家族全体によって形作られる集団。
特に旧民法で、戸主の支配権で統率された戸主と家族の共同体」「代々伝えて来た家。
祖先から伝え継がれる血族集団」(広辞苑)とあるように、家族・血族集団という住む人と家は同義語のように記されています。
ですから家は、家族が一緒に暮すところで、語り合い、食事をし、眠るところです。
そこで大切になるのが家族の和であり愛です。
家は、生まれてから成人になるまでに、社会生活に対応できるようになるための道徳や知識を含めた人間形成の場です。
社会人になれば、一日の仕事を終えて帰り、疲れを癒し、明日への英気を養う場です。
人間形成や英気を養うために大切な要件は家族の和と愛です。
和と愛のない家でどうして子供が健やかに育ち、また、疲れを癒すことができるでしょうか。
ギスギスした家庭環境、喧嘩ばかりの夫婦、無責任で家族や子供をほったらかしの父や母の下では、子供はどうなるでしょうか。
見栄えや格好良さばかりの家で語らいもなく、団欒もなく、テレビが会話を断ち、個室に鍵をかけるような関係で和を育て、愛を育むことができるでしょうか。
親にしても「おい」「ああ」くらいの会話の日々だったり、角を突き合せていたり、粗大ゴミのように扱われる夫であっては、寛いで明日への活力を育てることができるでしょうか。
「主人元気で留守がいい」なんてことが平然と言われる家庭が果して健全と言えるでしょうか。
いま日本には、こんな家庭がいっぱいあるのです。
その原因のひとつが家のつくり方と材料、それに住まい方にあります。
洋風住宅は、その概念と造りそのものに西洋文明を持っています。
と言うよりも西洋文明観を形に現わしたのが洋風住宅です。
排他主義、個人主義・自己中心主義の思想が気密性、個室、椅子の生活をつくり、外部と対峠すると同時に、家族の語らいの場と機会を奪っているのです。
ですから、洋風住宅というのは、家というものの持っている一番初歩的で、また一番根本となる和みを生み、愛を育てるという精神性や日本的な文化を根底から否定しているのです。
親の自覚や水準の問題もありますが、どんな外部的なマイナスの要因があろうとも、基礎単位の生活の場となる家が家族の絆を結び、和と愛を育てることができている限り、心を育て文化を育てることはができるのです。日本の家はそれをしてきたのです。
●家は本来健康を育てるところ
   家が和と愛を育てる場であるならば、次に問題となるのが健康を育てる場となることです。
どんなに便利で、どんなに高級で付加価値が高くても、健康を破壊する器であっては、本当の家とはなり得ないのです。
健康の問題について、本誌では折りに触れて書いていますが、本来、自然界に生きている動物はみんな健康です。
人間がまき散らす農薬やダイオキシンや原水爆などで傷めつけられない限り病気などにはなりません。
動物たちと同じく、自然の産物である人間もまた、本来は健康なのです。健康を守るのではなく、健康であることが当り前なのです。
ところが今日の社会は、至るところが健康破壊の場となっています。
こんな社会の中だからこそ、せめて家は、健康を破壊する場ではなくて、健康を育てる場でなくてはならないのです。
外に七つの害(七人の敵)があっても、家は頼もしい味方でなければならないというのが家の役割です。
健康住宅の考え方についての詳論は、本誌創刊号と第七号で書いていますが、昔からの日本の家は、健康や不健康を論じたり、考えたりする必要のない家でした。
それは、何回も繰り返えしていますが、自然と調和・共生し、自然の素材を使って造った家で、住まい方も自然とともにあった家だからです。
ところが、今日風の洋風住宅は、健康を破壊する器そのものです。
自然との断絶で光も風もエネルギーも遮断して、健康を育てる要素を奪い去っています。
家の中を見れば有害な揮発性有機ガスや石油製品から出る有害ガス、電磁波と低周波音とプラスイオンだらけです。
洋風住宅観をそのまま取り入れた上に、有害物質の巣窟みたいな家では、不健康・病気にならない方がおかしいくらいです。
この不健康さへの度合いを減らして「健康住宅」を説くのはお笑い草でしかありません。
材料の問題だけではなく、住宅観そのものが根底から違うのだという認識を広げることこそが大切になっているのです。
こんな状態の中での家づくりを、不健康を防止するという発想では、本物の健康住宅に追いつけないのです。
本気になって健康を育てる家づくりをしなければ、洋風住宅との違いを作れないことになります。
自然との共生を大前提に、自然の材料を使い、自然のエネルギーを取り入れる対策を可能な限り取り入れずには、本来の家は造れません。
先に触れた和と愛で心の健康を育てる家づくりをし、さらに肉体の健康を育てる家づくりをするという考え方が、家というものの根底に据えられることが大切なのです。
●家の寿命は120年以上
   家づくりのすべては、前記の2つの考え方から始まると言っても言い過ぎではないはずです。
その上で、もうひとつ当然と考えるべき問題が家の寿命です。
寿命の基準はどこに置くべきかということでは、いろいろ論があります。ハウスメーカーや建設省の考え方は20年で、25年持てばベストというところにあるようですが、これは、商売として〝家という商品を売る〟思想、つまり近代資本主義思想、近代文明観の表われ以外の何物でもありません。 冗談じゃありません。
ところが、こんな馬鹿げた話が罷り通る世の中こそが「近代」という妖怪が演出したものなのです。
人間の寿命は、今は70~80年です。
家の寿命の基準は、当然、人間の寿命以上でなければならないはずです。
では80年住宅かと問われれば、それは違うと考えるべきで120年以上と答えたいと思っています。
動物の本来の寿命は、生物学者によれば、脳の発達する年数の5倍が基準と言います。
人間の脳は平均25歳まで発達すると言いますから、それを5倍すれば125歳まで生きて不思議ではないのです。
家の寿命を120年以上と考える第1点はここにあります。
第2点目は、使う材料です。
鉄やコンクリートなら長くて50年が目安でしょう。
アメリカのスラム街がそれを証明していますし、日本のマンションは20~30年経つといろいろ大変です。
コンクリートの腐触(近い内に詳論を予定しています)、鉄の腐触が最大の原因です。
これに対して木の家は有に百年は持つのです。
現実に、昔の民家は150年、200年しっかりと建っています。
木という素材は、以前にも書いたように、切られてから強くなり、数百年から千数年の寿命を持っているのです。
腐朽菌や白アリなどが住みつかないように乾燥させ(含水率15%)呼吸できる状態で使いさえすれば、平均千年程度の寿命を持つのが木という素材です。
あの単年草の葭でも屋根の上で50年は持つ(25年位での補修は必要です)のですから、しっかりした木を構造材として組み、それに、木材や土などを材料として使えば、途中の補強だけで150年以上持つのは当り前のことになります。
それに、日本の木組みの技は世界に誇れる芸術的な水準と認められているのですから、今日風にしなければ、120年は最低で、それ以上の長寿命を基準とすべきではないでしょうか。
長寿命のために、念には念を入れるということで地震や火災を考慮すれば万全です。
ヨーロッパでは、3世代住宅は不思議でも何でもないことで、ローンも3世代にできれば住宅着工数は、今の倍以上になるはずです。
●形だけを追い求めた近代モダニズム
和と愛を育て、健康を育てる長寿住宅が、家を考える基礎になるべきで、それに、あとは何を付加するかというのが本筋ではないでしょうか。
安心・安全は、すでに前述の中に含まれています。
残るのは快適さ、利便性、高機能、自己満足くらいではないでしょうか。それと高断熱はともかく高気密は問題外です。
こう考えると、今日風の住宅、ハウスメーカーや多くの建築家が大合唱したモダン建築が追い求め、大切にしてきたものはまったく逆だということがわかります。
それは、自然と親しんで共生し、宇宙・自然が主人公で、人間も自然の子と考える日本の思想・文化と、神の子である人間が主人公で、人間が自然を支配し、異教徒も支配するという西洋文明の違いそのものであるのです。
ですから一神教を絶対視する西洋文明の下での家は、家族の和から始まるのではなく、まず自然との対決があります。
自然を支配するということは、同時に厳しい自然(嵐、寒暖など)とたたかう堅牢な器にしなければなりません。
さらに、異教徒は敵として侵略することを是認しているということは、同時に侵略される危険とも背中合わせですから、敵である異教徒の襲来に備える砦でもあるのです。
なぜ家の中でも靴を履いているのかという疑問の答えがここにあります。
これではゆっくり家族で寛ぐための家という位置づけは生まれて来ませんし、時には、家族も運命共同体などと言っておれず、個々人が自分を守ることを考えなければならないのです。
(最近言われる〝ジコチュー(自己中心的)はとても心配な症状です)〟  自然対決、自然支配、他民族支配という思想が、個人主義、自己中心主義につながるのは当然の姿でもあるのです。
現実の欧米の人たちが、必ずしも家や家族をこんな風にとらえていない様子は伝わってはきますが、根底に流れている文明・文化は変わることはないのです。
洋風住宅というのは、このような思想を根底に持っているのだということを理解しないで、形だけ洋風化を追い求めると、自分たちの文化も忘れ、遺伝子の中に受け継がれている民族の風俗や習慣、気候・風土にそぐわない家をつくり、文化を歪めてしまうというとんでもない結果を生んでしまうのです。
●日本建築の理念が21世紀を創る
 日本の家の位置づけを見ると、その昔から底流として流れていたのは、和と愛を育み、自然と共生した長寿命の家でした。
建築家の菊竹清訓さんが「風の路」のシンポジウムで語ったように、日本の家は、時代の変化の中で少しずつ改良し、新しい型を見つけるのに4世紀のサイクルがあり、その進化は縄文以来の家から4世紀の高床堅穴の大柱・通し柱造り(古代)、8世紀の寝殿造り(平安時代)、12世紀の書院造り(鎌倉時代)、16世紀の数寄屋造り(室町時代)、そして現代の自在造りと続いていると言います。
その型とは別に、平安時代から江戸時代にかけて武士や町人、庶民の家が造られています。
今でもその姿を残している武士の家とされる六~七百年前の民家や、江戸時代の民家、京都や大阪に見られる町家などがあります。 型は時代とともに変化をしていますが、その通底に流れる理念は何等変わっていないことに注目すべきでしよう。
この点について菊竹さんが「西洋では建築家は型を考える職業との認識で天才をめざすが、日本はひとつの課題に関わる人々と一緒になって技術をつくる〝読み人知らず〟のような家づくりだ。
型をつくることは、社会全体のなかでも誰もが造れるものをつくることで社会の進歩に役立ってきた。
技術も環境も含めて社会に大きな影響を与える型がつくられたが、どのような型を導き出しても、その中心を見つけ、余分なものを取り除くことを大切にしてきた。
住宅は、まわりの環境に対しても責任があるという意識があった」と言っています。
さらにまた「日本の建築は、高度化されている技術だけでなく、生活に結びついている。
木とともにであり、木よりも生活に結びついている」と家と人と木の関係を語っています。
つまり、時代に合った型で、誰もがつくることができ、社会の進歩に役立つもの、中心を見つけて簡素で、自然と調和し、共生したものであったことがわかります。
また、本誌で何回も登場願った数寄屋研究の第一人者で、京都伝統建築技術協会理事長の中村昌生さんは、本誌第9号のインタビューの中で「方丈記にあるように、住む人の心とひとつに結ばれた庵というものは、歴史の表面に余り現われないが、時代をこえて存続してきた、その時代その時代の智恵が生んだ住まいとも言えるでしょう」と住まいの通底に流れるものが、住む人の心がひとつに結ばれた〝和〟を基調にしていると語っています。
さらに中村さんは、そこにある素材を生かすのが数寄屋であり、日本の家だと言っていますし、「日本の建築の基本にあるのは掘っ立て柱です」と言って「大地とともにという思想が根付いています。
自然との共生を表現する大工技術は、床をつくっても柱は大地に続いているのです」と語り、「数寄屋のように自然石を柱底にひかりつけても、その柱に宿る思想が、自然を尊重するところにあります」「そのソフトが、あらゆる技術、あらゆる工法、あらゆる時代に通じているのです」と言っています。
日本の建築の歴史を研究すると、その根底には、これまで触れてきた「和と愛・人との結びつき」「自然を尊い、自然と共生する」思想が脈々と生きていることが明かされるのです。
そして21世紀に向けて菊竹さんは「西洋は生活を拘束する建築に向かっているが、生活と空間の関係をつくりあげてきた日本の建築が21世紀の主流になり、それがまた世界をつくることになる」と、日本の木の家づくりが21世紀の世界の建築を牽引する役割を持っているその必然性を語っています。
また中村さんは「自然石を使い、柱をひかる。
その柱に宿る思想が自然を尊重するところにあり」そのソフトがあらゆる技法・工法に通じ「あらゆる時代に通じているのです。
21世紀を前にして、いま建築が一番求めているものを数寄屋はやり続けてきたのです」「世界の建築が行き詰まり、悩み、苦しんでいる。
そこに救いを呼びかける内容こそが数寄屋のソフトにあるのです」「21世紀には、日本の建築家がローエ等を乗り越えて、自然回帰の新しい典型を作ってほしいものですが、そのために数寄屋のソフトが必要になります」と言っています。
戦後、近代化の下で除け者にされてきた木造の日本の家の根底に流れるものが、和と愛を育て、自然の下で自然と調和・共生するところにあったことは繰り返すまでもないことです。
真面目な多くの建築家が語るように、世界の建築家が行き詰まり、悩み、苦しんでいます。
その近代モダニズムを追い求めた日本の建築家も同様に煩悶しているようですが、その打開の道こそが、日本の木造建築に返り、学ぶことにあるのです。
21世紀初頭の世界的基調が、「自然との調和と共生」「人間関係の新しい発展」「本物主義」にある下で、建築界でそれを実践するものこそが木の家づくりです。
木の家づくりは21世紀の世界的主流であり、本流になることに確信を持って語り、木の家づくりの輪を広げる力が大きくなることを切望してやみません。
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