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二極化するか日本の住まい

洋風住宅に流れる思想と日本の家づくり

●文化は民族固有のもの
"モダニズム"、"近代化"などという文言は、進歩的、革新的、先進的などの内容を含んだものと して、戦後の荒廃した日本の焼土と日本人の心の中に、乾きを潤すかのように一気に流れ込ん できました。  これまでの日本になかった文化に飛びついていったのは、敗戦への自虐性があったからと言 えなくもないでしょう。症状的には、モノクロームの世界から、総天然色と言ってカラーの時代に 様変わりしたようなものかも知れません。
 カラフルでスマートな洋服、肉食を主にした油を使った洋食、そして、しょう洒で丈夫(?)そう で、西洋気分を味わえそうな洋風住宅。
 流布される宣伝とともに、限りなく戦後の日本人の心をとらえていった洋風文化が、日本の文 化の主流のようになってしまった姿があります。
 物真似上手とさえ言われる日本人は、たやすく異文化を受け入れ、自分たちのもののように してしまう傾向があります。単純、純粋、無垢で、自己主張が得意でなく、疑うよりも、信ずること が本分で、競争や喧嘩よりも和することを愛する日本民族です。
 そんなお人好しさも研究した上での文化攻勢でしたから、何の疑いもなく、洋風文化の良い 面に惹かれてしまったとも言えるようです。
 国粋主義や排外主義をもって異文化を全面否定するような見地に立っているわけではあり ませんから、良いものは良いとして取り入れることは、それでいいと考えています。  しかし、日本のこころを見失わされ、日本人としての自覚や誇りを失っている現実があります 今こそ日本のこころを取り戻すことが大切になっているのではないでしょうか。日本人が日本人 の魂や日本らしい文化を投げ捨てることなく、その素晴らしさを知った上で、取り入れるものは 取り入れるという姿勢こそが大切であろうと思います。
 それにしても、何でもかんでも取り入れるということではなく、悪いものは拒否することと、その 文化の持つ民族的・思想的背景を知ることも大切なことです。
 この、自分(日本らしさ)を知って、相手(異文化)を上手に取り入れることと、相手の本質・背 景を知るというふたつの課題が前提にあることを考えながら本稿をすすめます。

●文化の根底にある民族性と宗教観  文化の根幹をなす衣食住での洋風化の基本的な問題は、前稿でも触れていますので多論は 控えますが、和の文化が、日本の四季の気候・風土、地形と森林・水資源、農林水産物の収穫 という環境と条件にもっとも適したものであることを見直すべきでしょう。
 たとえば、米が主食で豆類をはじめとする野菜、魚貝類が副食というのが和食の基本で、これ を噛み合わせて食べるのが日本風の食事です。
 肉食の方が栄養価が高いように見られていますが、米は飽きることのない最高の食材で、この 炭水化物に豆類などの野菜や魚貝類のタンパク質を噛み合わせ、唾液で混ぜることで、栄養価 も洋食に匹敵するようになり、歯とアゴの働きを良くして脳を育てます。また、この食事ではビタミ ンやカルシウム、ミネラルなども摂れます。(但し、最近の化学肥料、農薬での人工育成の野菜 は問題ありですが)  食事をとってみても、洋食が体力面でよいと思われている割に油脂分や動物の体細胞の大き さが人間に有害となっていますし、肥満や乳酸、糖による病気の原因にもなっています。全体の 栄養価も必ずしも単品ごとの栄養価の合計とはなっていないようです。
 食の問題を取り上げたのは、ここにも明白な民族性が現われているからです。
 肉食を主とするのは狩猟民族です。狩猟民族は、獲物を求めて移動しますから、基本的に定 住性がなく、大地に恩恵も感じませんし、その地を荒らしても、そこを去るだけのことですから責 任も持ちません。獲物を追い求める狩猟民族は、絶えず攻撃的で野蛮さを持ち、他民族の獲 物や財産を奪取したり殺すことに抵抗感がありません。なぜならば、その根底には、異民族を殺 したり支配したりすることを正当化する宗教観があるからです。
 こういう世界観、宗教観を持った民族がつくってきた食文化が根底に流れているのが洋食だ と言えるでしょう。洋食ひとつ取り上げてみても、そこには、狩猟民族の思想が流れていることを 読みとることができるのです。
 極論を言っているように思われるかもしれませんが、日本の米食とは相容れないものであるこ とを知ってほしいと思います。
 米が世界的にも評価を高めているように、理想的な食材であり、日本人は、米作りと米食を文 化の大きな柱としてきた民族で、米(稲)にこそ日本民族の心が宿り、健康を支えてきたのです このことは、日本人のDNAの中に深く刻み込まれているのです。
 動物を殺して肉食に頼るというのは、自然を敵としてたたかい、他民族との戦争に明け暮れる 狩猟民族の食の姿であって、日本人のDNAには含まれていないことを考えたいものです。  気候・風土をはじめとする諸条件の違いから文化の違いが生まれるのは、ひとつの要素では ありますが、それ以上に、民族性とそれを支える宗教観がその根底にあることを見抜くことが必 要です。
 砂漠の民、狩猟民族は、自然や他民族と敵対し、たたかい、支配することを自分達の生き方 とするDNAを持っています。そしてそれを正当と信じるような宗教観を持っています。その宗 教観の基本は、全知全能の神を頂き、自分達がその神の子として地球を支配することが認め られているという考え方です。
 近代は、このような宗教観、世界観によって支配された文明の時代で、それがアメリカナイ ズされた西洋合理主義、洋風文化として戦後の日本に持ち込まれてきたのです。
 一方、東洋の文化、とりわけ日本の文化は、森の民、農耕民族としての歴史と伝統を持って います。自然と親和し、自然のすべてに神が宿ると認識して尊崇・感謝するのが日本民族です から、自然へのお返しは最小限の責任ととらえて、自然と共生することを基本としています。 たたかうことより和すことを旨とした民族の宗教観は多神仏信仰で、宇宙・自然との一体化をめ ざすものとなっています。
 この砂漠の民、狩猟民族と森の民、農耕民族の違いをより鮮明に示しているのが、住まいづ くりと住まい方だと言えるでしょう。
●自然を支配し、破壊した砂漠の民・狩猟民族  砂漠の民・狩猟民族が住まいを持つようになってつくったのが石の家・シェルターです。森の 民・農耕民族がつくる住まいは木の家です。  石の文化と木の文化という違いはどこから来るのか、何が違うのかを考えてみます。  砂漠の民としての思想がつくられたのは数万年前のことと思われます。現在、砂漠であるとこ ろの多くは、その昔には木々が育っていたところですが、それが砂漠化したのです。   木々が育っていたと言うと、日本の森林を連想される人もいるでしょうが、砂漠化している所 の地形を見れば明らかな違いがあります。それは急峻な山々が連なる日本と違って、小高い丘 と平野からなっていて、高い山は遥か彼方にそびえています。  人々は森の中ではなく、河の近くを中心に暮らしを営んでいました。食糧も、少ない森の恵み を育てて依存するのではなく、狩猟が主な生活手段でした。  そういう民族の住まいは、夜に襲ってくるかもしれない獰猛な動物からも、いつ襲ってくるかも しれない他民族からも守れるものであることが条件になります。それに、大陸の一日の寒暖差は 激しく、夜の寒さから守ることも必要になります。  ヨーロッパの童話に「3匹の子豚」の話があります。  3匹の兄弟子豚が、それぞれ藁と木とレンガの家をつくりますが、狼に襲われて藁と木の家は すぐ壊されてしまい、レンガの家だけは大丈夫だった。やっぱり家は石やレンガでないとダメだ という狼と3匹の子豚の物語です。  狼は獰猛な動物であり、襲ってくる他民族のことでもあり、子豚は人間を指しているのですが、 ここに砂漠の民の考えがはっきり示されています。  自然を支配し、征服しようとする一方で、自然の威力への脅え、襲撃されるかもしれないとい う不安と恐れがあり、それへの備えが必要になります。また、それに打ち克つには、より攻撃的で より野蛮にならざるを得ないという必然性が生まれてきます。  木については、童話の中での木の家の扱いに見るように、まったく評価をしていません。燃え る、壊れるという概念が最初にあります。(戦後の建築で、木造住宅への最大の攻撃対象が"燃 える"ということにあったことを思い出して下さい)  ですから、木は"燃える"もので、燃料としての位置づけでしかなかったことがわかります。  木材は使い捨て、燃やしつくす材料でしたから、暖炉の燃料であり、レンガを焼く燃料でした  狩猟民族は、木を植え、育てるというDNAを持っていません。自然と共生する思想ではなく 支配・征服の思想ですから、征服し終わり、木がなくなれば次の地へ移動することになります。 彼らの生活手段としての牧畜でも、草や木の芽は食いつくされることになってしまい、不毛の地 は、やがて砂漠化することになってしまいます。  砂漠化の多くは自然現象ではなかったのです。今日の焼畑による森林の跡地が砂漠化しは じめているのも同じ現象なのです。  古代文明をはじめ、かつては都市であったところの多くが砂漠化してしまったのは、森林の食 いつくしによるところが大きいとされるのは、このようなことを指しているのです。  加えて、大陸での砂漠化がすすむ原因に、日本との地形の違いがあります。  日本は列島の中心に南北・東西に山脈が走り、重なり合うように山々が続きますから、大小無 数の河川がつくられ、水が豊富な栄養分・ミネラルを川下に運んでくれます。しかも、日本の山 の木の種類の多様さは他に例を見ないものがあります。そのお蔭で健康な美味しい水が飲め 田畑が育ち、豊富な種類の魚貝類が成育することになります。これも、和の食文化を培う大き な要因となっていたのです。  それに対して、古代文明を生んだ地域や砂漠化した地域を主とする大陸は、遠くの山から長 い道のりで大河が流れています。河口に至るまでの間に使用される生活用排水で水は汚れてし まいます。そのデルタ地帯は、遥か遠い稜線との間に広大な面積を持っていますから、砂漠化 もすすみやすいことになります。  これらの地域も、遥か古代の森林があった頃は多神仰だったと言いますが、大陸の厳しい気 候と狩猟性などで砂漠化がすすむ下で、信仰神の数が減り、唯一絶対神化に至ったと言います 初めに今日の宗教があったのではなく、砂漠の民となるにつれ、自分達の存在を確認し、保持 するための宗教へと変わっていったと考えるのが妥当なようです。
●石の文化、洋風住宅に流れる思想   砂漠地帯に力をつけた民族が、その攻撃性と支配欲とでヨーロッパ全域を支配し、民族性や 宗教さえも統合して大陸文明・西洋文明が打ちかためられたと言えます。(今は形を変えていま すが、当時の宗教が、底流に生きていると言えます)  ここでは、歴史検証をしているのではありませんから、少々荒っぽい見方かもしれませんが、 砂漠の民、狩猟民族が、なぜ石の家づくりへとすすんだかという必然性を探ってみました。  日本の木の文化、木の家づくりとは根本的に違う諸条件が揃っているのですから、それはそれ として否定できるものではありません。しかし、その文化を、まったく条件の異なる木の文化の国 に持ち込み、文化支配をしようとしてきたことが問題なのです。  そこで、次に考えるべきことが住まいづくりと住まい方の違いについてです。  住まいづくり観が違うのですから、住まい方観が根本的に違ってくるのは当然の理と言えるでし ょう。  残念ながら、戦後50数年の文化的混乱がもたらされたことで、多くの日本人には、何が石の文 化で、何が問題なのかが見えずにいる傾向があります。  石の文化、石の家の住まい方の基本にあるのは、「3匹の子豚」のところで見た通り、①自然と の対決、②猛獣からの防衛、③他民族からの防衛の3点が最初の命題です。   この命題に応えるためには、隙き間なく堅牢に石を積み重ねること、寒風や襲来者が侵入で きないように開口部を設けず、明かりとりの窓は高めにして小さくし、なるべく外側に鉄格子を入 れることなどが仕様の条件になります。ここから、家の中でも、眠る時でも(昔はですが)靴を履き いつでもたたかえるような態勢でいることが日常的な姿となります。   自然に対しては力で対抗し、他の人間や動物を拒絶する思想ですから、時代がすすむにつ れてこの仕様をより生かすべく性能が追求されます。   その追求される性能を上げると、第1にあるのが気密化です。気密性を求めるのは自然の寒 風を遮断するためですから、北緯が高くなるにつれ、また内陸部に入るにつれてその要求は強 まることになります。   第2にでてくるのが、気密化した結果として派生する暑さ対策としての断熱性です。熱伝導率 は、木に対してコンクリートが12倍、鉄が483倍で、石やレンガで10倍近くと考えられますから断 熱・断寒が必要になってきます。   第3に求められるのも気密化した結果として派生する換気性ですが、自然を排して気密化す れば人工的に強制換気をせざるを得なくなります。それが高じて、今は24時間強制換気という 愚かな仕様で、本来不要なエネルギーを浪費するようになっています。  この3点は、高気密を前提とするから必要性が生じた性能にすぎず、自然の風を通し、自然と 共生する思想の下では、まったく不要なものでしかありません。  求められる性能の第4が建物の自然に対抗する力と外敵に対抗する力です。地震等の自の猛 威にさえ力で対抗しようとすることで必要になるのが耐震性です。これが、今日のベタ基礎、布基 礎、壁倍率等の規制に引き継がれているのです。外敵の襲撃にゆるがない力を持った強固な建 物ということもまた、今日の鉄筋コンクリートで建物の強度を求める考えの根底に引き継がれてい ます。 第5にあるのが、同じく自然に対する力で材料の強度です。目に見えない"ゆらぎ"やマイ ナスイオン、情緒などの効力は無視しても強度を優先するという思想で、品確法などの根っ子に あるのもこれらの石の文化の思想です。  この2つはともに、自然に敵対する思想から生まれたものです。  石の文化の洋風住宅が求める性能の第6は、いよいよ人間の贅と楽と欲を満たす居住性の向 上です。農耕民族は、汗水を流して自分たちで収穫します。それに対して狩猟民族は、当初こ そ自分たちで狩猟しますが、支配思想は、他人の労働と財産を掠奪し、奴隷を強いることに比 重を移していきます。労力に対する考え方は、日本民族は喜びであり誇りですが、狩猟民族に とっては罰であり苦痛だったのです。今でも、西洋人は、休むために働き、バカンスを求めます が、日本民族の本性とは本質的に違うものです(日本人もバカンスを権利とする意識に馴らされ ているようですが・・・)。狩猟民族の奴隷を使ってでも、楽して得をし、自分は手を汚さないとい う習性は、建物を飾って誇示することと、住み心地を良くしようとする欲求の満足を求めることに 向けられます。快適さや利便さ、多機能化や高級化という性能が求められるのはこのような背景 を持っているのです。  第7にあるのが、性能とは違いますが世帯別住宅(核家族化)と個室づくりです。西洋思想の骨 格のひとつに個人主義(=自己中心主義、利己主義)があります。和合ではなく分断・個別化の 思想です。これが家族の中にまで持ち込まれ、プライバシーや人権の美名で個室化を正当化し ているのですが、この思想が戦後の家づくりの中で顕著に現れています。今日の日本の家庭内 の事件の陰には、この個室化も一役買っていることを見抜くことも大切になっています。  最後に第8としてあげられるのも性能とは違いますが、以上の7項目の総仕上げとして加えら れるのが、西洋美学による建物の美観や芸術性の付加だと言えます。  今日の日本の建築に現れている問題にも少し触れながら、砂漠の民・狩猟民族の石の文化・ 石の家づくりにはじまる洋風住宅の基本的特徴とそれを生む背景・思想について考察してみま した。
●木の家づくりは日本の誇り  このように、砂漠の民・狩猟民族と森の民・農耕民族の住まいづくりの思想が根底から相容れな いものであることは、余りにも明かです。  日本の木の家は、あくまでも自然と一体化しようとするもので、四季に合わせ、風向きに合わせ 太陽に合わせてつくり、家中と体中で自然のエネルギーを受け入れようとします。  家に持たせた役割は、休むところであることはもちろんですが、家族の絆と和を育てる愛のある 家庭を築くことにあります。夫婦愛、親子愛、年長者と家長への尊敬、祖先への感謝、神仏への 尊崇が大切にされるものでした。  家族の絆と和を育てる愛のある家庭を築くための家づくりは、運命共同体としての家族が一体 となって暮らせるように、家全体を家族が共有することを基本にした間取りです。各部屋への出 入りも主室からつながるつくり方をして、家族が断絶することを認めていません。  「シンプル・イズ・ベスト」と言うように、単純・簡素なことは良いことですから、造りの基本は単純 で簡素ですし、全体が質素です。贅をつくせばつくすだけ欲望が募ります。欲望の強まりからは 愛は育たないからです。また、単純・簡素・質素は自然の存在と自然の摂理に従うものであること を、古代からの日本民族は知り、そのこころを伝承していたのです。  これらが日本の木の家づくりに流れる思想であり、木の家の心と言うべきものです。  現代の日本のように、傷つけるだけでなく、平気で関係ない人を殺したり、親が子を殺し、子が 親を殺すような、非人間的な行為が生ずることのない家だったのです。資本の論理でつくられる 洋風住宅は、住む人の健康を奪うだけではなく、人殺しをする人間までつくる凶器でもあり得る のです。(この問題は、別の機会に詳しく考える予定です)  洋風住宅を推進される方やメーカーの方にとっては、いまいましい1文かもしれませんが、洋 風住宅は、資本の論理の申し子であるだけでなく、日本の文化を破壊するものなのです。  そして、そこに住む人に西洋文明の思想を植え付けるだけでなく、人間らしささえも奪って行 く危険な可能性さえ強く持っているのです。日本の気候・風土・精神的伝統と文化などと相容れ ないものであるだけに、生ずるギャップの大きさが、より深刻な事態を拡大することにさえなって います。  日本らしさはこころを育てますが、洋風住宅からはこころが育たず、逆に閉ざされてしまうこと になることを考えてほしいのです。  1人でも多くの人が、損得勘定での家づくりから、和と愛を育てる住みがいのある家づくりに向 かってくれるよう切望して休みません。  住みがいのある木の家づくりは、住む人の喜びであり、つくり手の誇りで、世のため人のために 役立つ仕事であることに誇りを持って欲しいと願っています。  
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