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インタビュー 家づくりは人づくり   

日本の伝統建築の復権こそ急務

住宅産業研修財団理事長 松田妙子さんに聞く

●「家づくりは、人づくりでなければならない」という信条で、1960年代から住宅産業に関わってきた松田妙子さんは、現在、住宅産業研修財団のほか、生涯学習開発財団理事長を務めている。
1999年4月、「日本の近代住宅の社会史的研究ー中流住宅の発展と子供部屋を中心に」と題した論文を発表し、東京大学大学院工学系研究科から博士号を受けた。
71歳の時である。
このような高齢での博士号はまれなこと。
この論文を基にした一般向けの「家をつくって子を失う」(住宅産業研修財団)も発刊。
「いつ死んでも悔いのない人生を生きよう」として、今なお夢を追い求めている松田さんに、日本の住宅への想いを聞いてみた。
(聞き手 日本林業経済新聞社 東京総局長 林 和彦)

●戦後の住宅政策の大罪―――戦後の住宅政策、住宅産業の歩みについて問題が多いと思いますが、どう考えますか。

松田 戦後は、それこそ瓦礫の中で住宅公団や金融公庫が住宅をつくってきました。
昭和43年頃から、1世帯1戸という昭和25年に政府が掲げたテーマと一致するようになりましたその次に、食寝分離、性別就寝。
1人1部屋というNLDK(Nは数ですが)時代が来たわけですねそして昭和48年に190万戸をつくった頃から量より質というふうになったというのが大まかな流れだと思うのです。
この過程で、政府が経済発展のために持ち家政策を掲げましたが、これが5つの大罪を犯したのではないかと思っているんです。
それは第1に、家を建てるために山を平らにして自然環境を壊したことです。
その影響で阪神大震災などの地震も起きたのではないでしょうか。
地震は自然災害ではなく、人工災害とも言えるのではないかと思いますね。
第2は、シックビルディングを建てたことです。
スクラップ・アンド・ビルド=安くて早くて、という建物をたくさんつくってしまいました。
第3は、産業廃棄物を大量に増やしたことです。
それを燃やして化学物質を出すという問題まで生んでしまいました。
第4は、マイホームを奨励したこと、つまり核家族を奨励したことです。
そのことが、隣近所のコミュニティ、昔ながらの隣近所の無償のボランティアのようなものをなくした大きな原因だと思います。
それによって青少年の人格形成にも良くない影響を及ぼすことにもなったんじゃないでしょうか。
第5に、ローン地獄に陥る人が出てきたことがあげられます。
ですから、戦後の住宅政策は大変な問題を生んだと言えますね。
そこで、真の住まいとはどんなものか、日本の住宅はどうあるべきかということがテーマとなってきました。
真の住まいづくりをすることが重要なんですが、それはどんなものかを考えると、住まいは幸せの容れ物でなければいけないということだと考えています。
そのためには、日本の伝統的な文化、木の文化をもう一度見直すことが大切ですね。
地域の材料を使い、国産材を使い、良い家、つまり長く持つ家を作るということが必要になってきます障子、ふすま、すだれなどの日本の気候風土にあったものを見直すべきで、イミテーションを作ったのではダメなんですよ。
私自身、アメリカの2×4住宅を日本に紹介し、定着させました。
このシステムは悪くはないんですけど、これこそがイミテーションを作ってしまったと言うべきで、日本の文化を捨てたことと同じだと思うんです。
住宅が、世帯数を上回り、余ってきた昭和48年頃から、子供・青少年の問題が増えてきています。
やはり、住まいは幸せを容れる箱でなくてはならない。
それを実現する質を持たせなければいけないということになってきます。
●住まいづくりにおける7つの理念―――その質ということで、持っておられる考え方は何でしょうか。
松田 「木のこころ」誌では、以前にも紹介していただきましたが(本誌第13号)、よい住まいというのは、家族の幸せの容れ物であり、人格形成の場でなければなりません。
そのために、地域に根ざした住まいづくりとして7つの理念を提唱しています。

それは①「日本の伝統・文化を受け継ぎ、人格形成の場となる住まい」で、日本の伝統建築でこそ家族がふれあい、思いやりや遠慮の心が育ち、躾が行われ、子供たちが健やかに育ちます②「地球環境を大切にした住まい」とは、地域の材料や自然素材を使い、循環型で資源の有効活用・リサイクルまでを視野に入れるものです。
③「気候・風土を活かした住まい」で、地域の自然や気候に適し、家並みや周辺環境と調和したものであることです。
④「財産を守る住まい」は、無駄な修繕費や維持費がかからず、60年以上長持ちし、増改築に柔軟に対応できるもののことです。⑤「病気をつくらない住まい」とは、安全な建材を使い、風通しをよくし、湿気やカビに配慮し自然の光や香り、色彩、肌触りなどを取り入れ、住む人の生命力を高める住まいです。
⑥「生命を守る住まい」とは、防災・防犯に配慮し、地震・台風などの自然災害に強い住まいのことです。
⑦年をとっても障害があっても過保護にならず、持っている力を引き出し、持っている知恵や技術を生かし、生きがいを持って暮らせる「高齢者や障害者が自立して暮らせる住まい」です。
この考え方の基本にあるのは、住まい手が主役であることで、戦後のつくり手主役の歴史から大転換しなければならないと思っています。

●住まいづくりは地域産業―――住まいづくりは、地域の特色を生かした地域産業であるべきで、日本らしい住まいづくりが必要だと思いますが、その点では何が大切だと考えますか。
松田 全国どこへ行っても同じ感じのする一律の住宅づくりなどは全くナンセンスですね。
高気密・高断熱は、日本の住まいづくりの考え方にはないもので、それを一律に導入しようとするから問題なのです。
日本の家には、自然とも共生でき、地域の気候風土に合ったもので、独特の雨戸、引き戸、襖、障子などを用いて夏は開放し、冬や夜間は閉ざして生活するという自由度があります。
高気密・高断熱の住宅をこのまま続けたら、ひ弱な"温室人間"ばかり増えてしまうことになります。
日本各地のそれぞれの気候風土などにおかまいなしの建築手法が巾をきかせています。
時流になびくように高気密・高断熱を受け入れているつくり手の人たちに、私は、プロの見識と誇りを取り戻してもらいたいと願っています。
人間と住まいとの関係を見ても、自然の風に触れず、風物を感ぜずして、果たして感性豊かな人間形成ができるでしょうか。
私は、住宅は家族の幸せの容器であり、子供の人間形成の場と考えているのですが、子供との触れ合いをなくす子供部屋をつくることにも反対しています。
誤った個室尊重、それが利己主義製造の密室や非行の温床になりかねないことに気づいていないのではないでしょうか。
最近言われているバリアフリー対応というのもかえって危険だと思っています。
そのバリアフリーに体が慣れてはいけないのです。
外へ出たときにはそれが危険を呼ぶのですから。
バリアフリーは、本当に必要なときにつければいい話であって、高齢者社会と言いますが、高齢者をもっと使い、動くようにさせればいいのだと思っています。


●武士道に学ぶ日本人の道徳と道理―――日本の居住水準をどう見ますか。
質の問題をどう見るかについてはどう考えますか。
松田 水準をどこに置くかであり、質とは何かという問題ですよね。
モデルハウスのようなイミテーションではなく、真の日本の住まいが大切なのです。
風鈴の鳴る音、木のそよぐ音などを聞かずして感性は育ちませんよ。
たとえば武士道から始まる道の精神、言いかえれば武士道が示している日本人の道徳と道理それが失われつつある今、もう一度私たちがたち返らなければいけないと思うんです。
それが戦後の日本の社会と日本人の精神から失われたものを甦(よみがえ)らせるみちであり、そうしなければ日本は救われないと思っているんです。
障子の美しさ、ふすまの利便性、落ち着きを見直さなければならないと思います。
本物の良さに目を向け、何が本物かを見極める目を肥やさなければなりません。
先達の残した創意工夫や知恵を生かし、日本の気候風土にあった住まいづくりをすすめることがいよいよ大切になっています。
―――ドイツでは、バイオウエザー(健康天気予報)を生活の指針としているようですが、住宅に関して気候条件に応じた地域での住宅づくりを提案されているそうですね。
松田 私どもでは、600万の気象データ処理を行い、「データマップ日本の気候ー建築環境計画と100の気候ゾーン」と題するデータ集をまとめています。
これは、温度、湿度、雨、風、雪、日照などの9項目を基に、全国をゾーニングして100に区分したものです。
このゾーニングを基にして住宅を建築するように提案しています。
そうすると、地域特性を生かした住まいづくりが行えますし、コスト面でも有効だと考えているわけです。
●急務となっている住まいと住まい方の見直し―――2×4工法を日本に紹介されたり、ハウス55計画の提案なども行い、現在は日本の伝統的な住まいづくりを推奨されていますが、その経緯からの想いについて聞かせて下さい。

松田 住宅にも建築にもずぶの素人であった私が、住宅会社を設立したのは、自分の家を持とうとしたときの切実な経験から発しています。
私が学生時代に暮らしたアメリカとくらべて理不尽に高い建築費、あまりに非合理的で前近代的な日本の建築事情への義憤がありました。
言ってみれば、素人の素朴な不満や疑問が、私を住宅産業へ駆り立てて、質の良い安い家づくりをめざす原動力となりました。
そうして昭和39年に日本ホームズ㈱を設立し、2×4工法を日本に紹介して定着させました。しかし、良質で安いものをという私の挑戦と努力にもかかわらず、住宅コストは高くなる一方で一企業では打破できない限界がありました。
私は、初志をつらぬき実現させるため、昭和50年に経営者の座を去り、政府が初めて良質低価格をスローガンにかかげて本格的に取り組む「ハウス55計画」の国家プロジェクトに参画して、その遂行に向けて奔走しました。
その頃の私は、良質でコスト負担をかけない住宅を提供すれば、家族が幸せを味わうホームが実現すると考えていたのです。
昭和48年に、日本の住宅総数は世帯数を上回り、残された課題は、住宅の質の向上、すなわちハード面の充実にあるとされていましたので、私はいささか得意満面で、志を全うする自負心にも満ちあふれていました。
私が供給した住宅は、当時のわが国の水準を超えるものと誇ってよいものでしたが、家族の住まい方や、家族の幸せの容器としての住宅はどうあるべきか、といったソフト面まで考えが及んでいませんでした。
住む人びとが生活を営む容れ物であって、その容れ物をいかに活用して暮らしの安らぎや明日への活力や、子供の健全な成長に役立てるか、という肝心なことをおろそかにしていたことに気付き、私は反省をせまられました。
そこで私は、住宅問題研究所を設立し、昭和52年に(財)住宅産業研修財団を創設しまして住宅のつくり手である全国の工務店の研修にたずさわるようになったのです。
同時に一企業から離れて自由になった立場で、自身の体験と知見をもとに、我が国の住宅と住生活が直面する課題を指摘して、とるべき道をつくる活動を進めてきました。
住宅づくりの専門家たちの自覚のおくれに、歯ぎしりする思いもつきまといました。
「衣食足りて礼節を知る」ということばがありますが、高度成長期以降の日本は「衣食足りて礼節を失う」の観を呈しています。
家族関係や子供たちのありさまを、かつての日本の住まいに生きていた淳風美俗とくらべてみれば、躾をはじめとして失われつつあるものに、私は危機感をおぼえずにはいられません。
日本の将来を考えれば、何よりも子供たちのために住居と住まい方の見直しは今や急務となっています。
これが、私の住宅づくりへ関わってきた歩みです。
●木の住まいづくりに真剣な努力を―――地域の木で住まいを建てようとの運動が目立っています。
そこでハウスメーカー、大工・工務店、または木材業者に対するご意見は。
松田 ハウスメーカーには、本当によい家とは何かをもっと掘り下げてほしいと思いますね。
商品の提供から一歩進んでほしいというのが正直なところです。
大工・工務店は、自ら家づくりの専門家だという認識を深めてほしいですね。
良い家をつくるとか、つくり手の責任をしっかり持たないと、ハウスメーカーに対抗することはできないでしょう。
木材業者は、もっと努力すべきです。
森林の伐採間隔が60年であれば、60年持つ家をつくることが地球環境に大きく貢献することをPRすべきです。
地域材を使った家が一番良いのは当然でしょうし、この点をもっと繰り返しアピールすべきです。
●日本らしさと伝統建築の復権こそが大切―――真の住まいとは何か、今後の日本の住宅はどうあるべきかについて一言。
松田 まず、日本の伝統建築の良さを家づくりに取り入れること。
それに関連して、躾を中心にした家庭教育を復活させることを提言したいですね。
日本の伝統建築の復権は、先程も言いましたように、「日本の伝統美を生かした住まい」と「家族の幸せの容器としての住居」、この2大条件を2つながら満たすものだと私は考えます。

伝統的な和風住宅は、日本の気候風土に合っていて、日本人の風俗習慣や文化になじむ長所もそなえています。
戦後生まれの人たちでさえも、いまだに洋風の生活様式におさまりきれないでいる和洋混合の暮らしぶりを見れば、戦後に切り捨てて忘れ去られた伝統的な習慣や生活文化が、やはり日本人の血に引き継がれていることを誰にも否定できないと思います。
敗戦で、日本の社会も価値観も大転換しました。
アメリカ占領軍による戦後改革で多岐にわたった民主化も改革も後退的なものを含めてアンバランスなものであり、それがそのまま50数年間継続されてきました。
洋風化にしても、戦前とは違い、戦後の洋風化は日本的な基盤に立つものではなく、アメリカのお仕着せや、あるいはイミテーションであったということです。
一家の主を重んじない戦後の家庭のあり方も、当てがいぶちの民主主義にのった「悪しき平等」であり、そのむくいが家庭教育の低下に及んで、ついに家庭崩壊まで引き起こす事態を招いています。
戦後に日本人が受け入れたアメリカンデモクラシーの「平等と個人の尊重」が、悪平等とエゴイズムにすり替わってしまったことをしめす事柄は、家庭内の父権の喪失のほかにも思い当たることがたくさんあります。
敗戦後の価値観の転換で、古いものはすべて切り捨てたことによって日本社会の共通の規範がくずれ、同時に各人の判断と行動の基準であった道徳心も日本人は失ったようです。
今こそ、日本と日本らしさの良さを見直さなければ、これからの日本をつくって行くことはできないと思っています。
それだけに、日本の伝統的な住宅の良さを見直して生かすことは、日本人が住まいの中で引き継いできた人間教育の再生にもつながると期待し、願っています。
復古調一点張りの極論は愚かしいとしても、伝統の中から美点を見出して甦らせ、知恵と工夫で役立てることこそ、真の日本の住まいのあるべき姿へ近づく道であると思っています。

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