英名Japanese Cedar 学名 Cryptomeria japonica (L. fil.) D. Don
杉、椙 常緑高木。スギの語源にはいくつかあるが、幹がますすぐに直立していることから「すぐ木(真っすぐな木)」という説が有力である。名のごとく幹はまっすぐで円錘状のシルエットになるが、成長の衰えたものは先が円くなって卵形に近くなる。学名をクリプトメリア ヤポニカと名付けられていることから、日本の特産の木というのがわかる。クリプトメリアには隠されたもの、または隠れた財産という意味があるが、これは球果が葉で覆われていることから名付けられたものである。スギには杉の字をあてるが、中国で杉木というと、スギ属とは別のコクヨウザンのことである。
日本で最も背が高く、樹齢も千年を超えるものあり、長寿の木。しかし、公害には弱いようで、都市部には残念ながら見るべき大きなき木はあまりない。
木州、四国、九州にと、昔からスギが群生していたようで、弥生時代には既に生活に必要な資材であったようだ。「静岡県の登呂遺跡」から、住居、下駄、農具、土木資材などの木材が発見されている。住居や高床倉庫の柱や板はスギで、木組は縄で縛る方法で作られていた。また、約8haの水田の畦や水路には何万枚ものスギ矢板で土留めされていた。
平城宮の献納品の荷札に当たる木簡もスギが多用されていることからも、全国に広くスギがあったことがわかる。
昔から盛んに各地でその地方に合うスギを開発し植林が行われてきた。そのため品種も多い。北海道南部以南の日本全土でされたようで、各地にスギの林が見られ、そのうちでも吉野・北山・日田・天竜・飫肥(おび)・智頭(ちず)・尾鷲・魚梁瀬(やなせ)どの各地方はスギの産地として有名。
我が国に「国の木」というのはないが、杉を日本の国木にしょうという話が時々起こる。日本を代表する木はすぎ、ひのき、さくら、けやき、クスなどいろいろあるが、すぎが一番ふさわしいと思う。量的に多いことと、木の性質性能がよいこと、そのためあらゆる用途に利用されてきた。西欧の「石の文化」に対して、「木の文化」といわれる日本の文化を支えてきた有用樹種であるからである。
日本森林面積は2515万ha、その中で1040万haが人工林、その中の58%が杉で、杉と桧で約8割を占めている。
杉は国の特別天然記念物に、日光杉並木街道(栃木県日光市、今市市)、杉の大スギ、杉の大杉(高知県・大豊町)、石徹白のスギ(岐阜県・白鳥町)、羽黒山の杉並木(山形県・羽黒町)、屋久島スギ原始林などがあり、これらを含め国の天然記念物49箇所もある
秋田県二ツ井町の「きみまち杉」や、福島県岩代町の「杉沢の大スギ」などのように 「うちが日本一高い木」と主張している木が何箇所かある。しかし第4回(昭和63年度)環境庁の調査によると70メートル以上のものが7本あり、そのうち6本までがスギで、兵庫県 八鹿町の妙見名草神社の杉が高さ72m、幹周囲11,40mにデーター上は日本一になる。
また最新の2000年の同度調査では全国での巨樹といわれる樹木は64,479本あり、550種の木であつた。そのうちスギは14869本あり2位のケヤキの8538本を引き離している。
ここでも日本の木ということになる。
スギは産地によつて性質がことなる。雨の多いところでは、湿気に強い、寒いところで育った木は寒さに耐える、長い年月の中で進化していった。その性質の違いは土にある。
だから宮大工の口伝で、「木の癖を知れ、それにはまず根を見よ、根を見る前に土を見よ」といわれている。
木材は辺材は白色、心材は淡紅褐色から茶黒。心材と辺材の色の差が大きいので他の木材との区別がすぐにつく。スギの材質は、各産地における造林方法が違うため、一致していないが共通点として木理通直、肌目は粗く、特有の芳香をもっていて、樽酒の木の香り、和菓子の箱などがそれである。スギの気乾比重は0.30~0.38、平均0.45で、日本産の針葉樹としてはやや軽軟といえる。心材の耐久性、保存性はやや高いが、辺材は低いので、この部分はエクステリアには使えない。 加工は普通だか、家具、クラフトにはやや荒く感ずる。乾燥は比較的容易。
利用用途は他の木に比べると格段に多い。心材に含まれる精油は、木香(キガ)といい、日本酒に加える。
そのため日本酒には酒樽が欠かせす、それで植林が始ったといわれる。
現在の用途としては建築材が一番多く、母屋、柱、大曳、敷居、鴨居、根太、下見板、床板、壁板、天井板、磨丸太、野地板などの用途に使う。その他家具、器具、包装、樽、下駄、割箸、彫刻、経木、楽器、土木用材、電柱、ウッドデッキ、造船、樹皮は屋根葺、枝葉は線香や仏前に用いる抹香に。樹脂は薬用にも利用する。
樽や桶は同じようだが木の利用の仕方が異なり、木の性質をうまく利用している。酒・醤油の樽は赤身の板目だけを使い、お櫃(ひつ)や桶などは柾目を使う。これは板目が水を遠さないのに対し、柾目は適度に水分を吸わせて外に出させるからである。鮨桶(すしおけ)やお櫃(ひつ)ではごはんの水分を適度に吸い取ることによって、底のほうまでごはんがしゃっきりとして、べとつかない。
私たちの会社ではつい最近まで年末にお得意先の建築会社に薦(こも)かぶりの樽酒を持ってまわっていたが、酒の発注には日時を気遣っていた。私の従姉妹が嫁いだ先が奈良の
造り酒屋であったので、得意先会社の新年行事の日から逆算して1週間前に樽に酒を詰めて会社に到着するように酒屋に注文をだしていた。これは樽に酒を詰めてから1週間ぐらいが一番美味しいのである。早すぎると樽の杉の香りがあまり浸み込まなくて、、長くおくと浸み込みすぎ、まずくなるからだ。
酒樽は木の性質をよく利用し工夫がされている。つまり、育った土地によって異なる杉の性質を利用している。樽の胴体部分は吉野杉が最適で香りも高い。しかし吉野杉ばかりだと、香りが強すぎて1週間ももたない。そのため蓋と底は香りの薄い九州地区の杉を使って、香りの期限を延ばしている。
香りと言えば、ウィスキーにスギを使ったり例もある。
サントリーが発売している
ウイスキー「座」は、熟成させる樽の鏡(蓋の部分)に杉を使った杉樽原酒をブレンドしている。そのため杉の香りがほのかにあり、日本料理との相性がいいようだ。すっきりした後口を生み出している。この世界でも初めての試みに対し、日本生理人類学会の認定する「PAデザイン賞」を受賞している。
日本人は縄文時代から甕(かめ)で酒を醸してきたが、13世紀に中国から入ってきた樽や桶の技術は、日本にあるスギの性能と合い絡み、日本独特商品となり産業界や風俗習慣に大きな革命をもたらした。江戸時代にはその成果が十分に発揮され、他の国々よりはるかに清潔でエコロジカルな国であったのだろうと思う。単なる酒、醤の輸送ということでなく、「人は生まれて風呂桶で産湯を使い、死んで棺桶に入る」と言われるように、あらゆるものの保存、輸送に利用された>
昔は味噌、醤油の醸造会社にも、それぞれの専属の樽屋がいた。昭和30年代までは安定した商売だっが、昭和30年代後半に業界は一変した。わが国最大の醤油メーカー、
キッコーマンが樽を廃止し、ポリ容器に切り換えた。そして全国の味噌醤油業界がこれにならったため、大半の樽屋が仕事を失って廃業した。今では昔からの製法で木の樽を利用している会社は非常に少ない。
老舗の造り酒屋では、杉玉(酒林(さかばやし)ともいう)を店先につるす風習がある。元々は新酒ができたと愛飲家に知らせるための合図が、次第に酒屋の看板として常時吊されることになった。
この酒林の本家製造元と言えるのが、酒造りの神様として酒造家から篤い信仰を集めている奈良桜井市にある大神(おおみわ)神社。日本最古とされるこの神社では、毎年11月14日には「醸造安全祈願祭(酒まつり)」が行われ、地元奈良をはじめ伏見、灘など、関西の酒どころ業者、杜氏(とうじ)らが参拝して醸造の安全を祈る。参列した酒造関係者らには直径30センチほどの杉玉が授けられる。帰ってからは軒下に吊るされ、お守りとして、また新酒が出来た「しるし」となる。
前日の13日には、拝殿正面に飾られた酒造りのシンボル「志(し)るしの杉玉(大杉玉)」を作り直す。この杉玉はご神体である三輪山の杉を使って丸く形作ったもので、新酒醸造のお守りとされており、直径1.7メートル、重さ150キロもある。「くす玉」は、この杉玉が起源とも言われている。
万葉集には三輪がよく詠まれている。三輪にかかる枕詞として「うま酒の三輪」とある。万葉の時代から、おいしい酒がこの土地で作られていたのだろう。
毎年春になると花粉症が発症する。スギ花粉が原因のひとつであることは事実であろう。私のスギ花粉症は、比較的遅く5年位前に突然発症した。それ以来この季節になると憂鬱である。
患者数は約1300万人 と言われ国民の10人に1人は花粉症に悩まされている計算になる。ここ10年間での増加傾向は著しく、今後も増加し続けると予想されている。
スギ花粉以外にヒノキ、シラカンバ、クリ、イチョウ、ケヤキ、マツ、イネ、ブタクサ、ヨモギ、オリーブ、リンゴ、モモなどがある。しかしスギの花粉は、都会よりも山の中のほうが大量に飛んでいるのに、花粉症の患者は都会のほうが多いし、はるか昔から植林をしていたのに、このような問題はなかつた。そこで 花粉症の原因は、花粉単独ではなく、生活慣習や大気汚染も大きく関わっていると思われる。ディーゼル車の排気ガス規制が強化されれば、花粉症も減るかも知れない。
また、スギの間伐をきっちりとすることも、その対策になる。間伐をする事は山を生かし続ける事と、花粉症対策との2つの重要な重要な仕事である。