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家は木から

ログハウス専門雑誌 夢の丸太小屋に1年間掲載したものです。

発売当初はキーコードを入力すれば追加情報を見ることができました。ここでは追加情報も加えました。

ベイマツ・ダクラスファー

夢丸ヒバ





米松 マツ科トガサワラ属 学名Pseudotsuga menziesii  
オレゴンパイン、コロンビアン・パイン 
分布・産地
 米松は日本のトガサワラのそれとよく似ていて、区別を付ける事はまず出来だろう。もしも、日本で大量にあるのなら、杉以上に市場に出回ったていただろう。
北米大陸でカナダのブリティッシュコロンビア州からカリフォルニア州にかけて分布する。 北米西部太平洋沿岸地方に生育する重要材種。この方面では最大の蓄積量を誇っている。樹高は一般に50-60m稀には90mにもなり、直径1-2mないしそれ以上の通直な幹をもっている。イギリスなど温帯地域の多くの国々に導入されて、造林木となっている。

イギリス、オストラリア、ニュージランドのダグラスファーはアメリカ、カナダから移植されている。
 米松の名称は日本での米国でもミステリーだ。その名前から日本では、材木屋も含め、米国の松と思っている。ダグラスファーの英名を知っている人は松でなくて、米国の樅という。どちらも間違いである。日本にはない樹種で、近いものはトガサワラ(サワラトガ) である。したがって、アメリカ トガサワラと呼ぶへきだろう。
英名のダグラスはその木を始めて発見し、カナダの多くの針葉樹をヨーロッパに紹介したスコットランド出身の植物学者デビッド・ダグラスの名前からとったものだが、米国でもいまだになぜファーと命名されたのかわからない。

 学名はPseudotsuga menziesiiで前者は"うそのヘムロック、ヘムロックに似ている"の意味で、後者は1791年にバンクバー探検隊とともに木を発見し、それを始めて植林するのを手がけたメンジイエ氏からとっている。
 ヘムロックとは米ツガのことで、日本にも大量に輸入されている。板になるとその違いは一目瞭然であるが、丸太では区別がつかない。私は商社在籍中に米材の部門に配属されたことがあった。先輩から真っ先に教えられたのは米松と米ツガ丸太の区別の方法である。丸太の皮をカッターナイフで削ると、皮の中は米松は黄色の縞模様が出るが、米栂では赤紫色のものが出ることであった。

北米での利用
 1920年代からクリスマス・ツリーとして珍重される。後40年(1960年ごろまで)は森林から切り取られているが、50年代になると植林が始まり、現在はほとんどが植林された森林から伐採されている。
カナダの土着民族は土に掘った穴を釜戸のように使いその燃料として米松と枝を使っていた。また、魚釣りの針にも使っていた。この枝葉は住居または原住民のサウナの床にも敷かれていた。
18世紀にヨーロッパに初めて輸出されて以来、その木独特の硬さ、張り、耐久性は珍重され、大きい木材がとれるため波止場の陸橋、橋の部材、商業用建物などの建設材料として使用された。
ニューメキシコのイスレタ・プエブロアンの間ではリュウマチの治療法として葉を煎じて飲んでいた。
北カリフォルニアのシャスタ・インデアンの間では傷口に樹脂をあてていた。カリフォルニアの海岸沿いのユキ族の間では性病の薬として春先のつぼみを煎じていた。カリフォルニアのシンキョネ族は風邪薬と腹痛のために幹の皮を煎じて飲んでいた。アリゾナのカイエンタ・ナヴァホは腹痛と頭痛の薬として木を用いてたが木のどこの部分を使っていたのか定かではない。プエブロ族は住まいを作るために木を使い、枝葉踊り手の衣服の飾りとして使われていた。
ニュー・メキシコの考古学発掘現場からはこの木で作られた祈りの際に使う棒(プレイヤー・スチック)が発掘された。ホワイト・マウンテン・アパッチーは樹脂を水がめの水漏れ防止用の接着剤として使った。根っこはカリフォルニア・インデアンの間で籠細工に使われていた。

 
私たちの会社の旧本社事務所 1971年建設し、外装は米松の構造用合板を利用し、斬新なデザインであつた。1998年、老朽化のため取り壊した。

木材
 心材と辺材の色の差は明らかで、心材の色は成長により違っており、黄色ないし黄色を帯びた赤褐色(年輪幅が狭く、比重が低いものイエローフアーと呼ふ)、赤褐色(年輪幅は広く、比重が高いものレッドフアーと呼ぶ)などがある。年輪は明らかである。肌目は粗、気乾比重の平均値は 0.55、針葉樹材としては重硬である。樹脂道があり、ある程度 乾燥しても、時間の経過とともに"やに"が表面にしみ出てくるので、表面に出る用途にはあまり歓迎されない。そのような用途に用いる場合には十分乾燥する必要がある。
 木理は通直で、いくらか脂っぽいことが多い。針葉樹材としては中庸の重さで、
 乾燥は早くて、良好である。手加工および機械加工は容易である。耐朽性はややある。
近代では電話用の電柱や枕木として使われてきた.現在はラミネート木材、ベニヤ板、高品質化粧張り、内装飾り板、飾りたんす材、箱、はしご、フローリング、建設用、窓、炭鉱用柱、船、家、敷き板(歩道などのため)などのさまざまな用途に使われている。
樹皮の下は白から黄色で、芯はオレンジ赤。軟木では一番多く輸出されている。
米国での用途は、北アメリカ西部における代表的な構造用材で、大きい寸法の木材を得ることは次第に難しくなってきたとはいえ、大材が得られるので、角材の形で杭用材となり、埠頭、ドック、港湾の工事に用いられる。建築物では、屋根の化学薬品のトラス、集成梁、指物などに使われる。鉄道の枕木、化学薬品の槽やタンクにも重要である。世界で最も重要な合板用材で、構造用として用いられる

杭丸太
 私たちの会社は杭丸太の専門問屋出身だが、現代ではもうあまり米松の杭丸太を扱うことがないが、私が経験した唯一で最後の大きな杭丸太の仕事は大阪港湾局の仕事で24メーターの米松杭丸太があった。住宅用の通し柱が6メーターであるから、その4倍の長さである。米国から輸入して、名古屋の衣浦で陸揚げしたが、港湾会社のロガーで掴むと丸太が細いので折れそうになり、ヒヤヒヤしたものだった。また、長すぎて陸上では輸送が出来ないので、衣浦から機帆船で大阪の会社まで運んできた。会社には専用岸壁があったが、大きな仕事でここから陸揚げしたのは、この仕事だけであったと思う。

住宅用木材
米松の日本での用途の一番はやはり住宅用木材の利用であろう。都会の住宅の梁や桁はほとんどがこの米松を利用している。強度的にも強く、また目の細かいものは柾目が美しいので、内部外部とも化粧的なところに利用された。ただヤニが出てくるので、末端の業者では随分苦労したものだ。既成の゛玄関ドアや外部ピーリングに採用したメーカーも多いが、現場の最先端ではお客様からクレームがでて大変であった。最近ではヤニとりの処理を進んでいるので、あまり苦情は聞かない。
ある程度乾燥したものを使っていても、だんだんと"やに"が表面に滲み出て来ることがあるので、表面に出るような用途にはあまり歓迎されない。そのような用途に用いる場合には十分乾燥をする必要がある。 強さがあり、しかも大径で長い材が得られるので、日本では非常に少なくなった長い材の必要は梁のような用途に好適な材料となっています。
一方で、含有成分のため、ベイマツはパルプ原料としては好まれません。  
 
日本の住宅の桁はそのほとんどが平松を利用している。

外材が日本に初めて入ってきたのは、1854年にアメリカのペリー提督が米松を幕府に送ったのが最初とされています。なん本かの角材を残していった。そのうちの一部といわれるものが今でも残っている。歴史的な意義のある木材である。関東大震災の際に本格的に輸入が開始され、戦時中は休止、戦後の復興期には戦中時に乱伐された国産材が成長するまでの代替材として輸入が再開され、その後年々拡大してきました。戦後の拡大造林によって大量の植林された木が伐採時期を迎えるようになっても輸入量は一向に減らず、日本の森林荒廃にも影響しています。
明治時代、すでに輸入された記録があります。当時はメリケンマツと呼ばれていた。
当社にある米松の丸太テーブル、 直径2.2メーター 円周6m72あり、このように大きいものは芯が腐ってくるが、完全なままでは日本最大。
年輪は645年分ある。


国際花と緑の博覧会、グリーンミュージアムでは、ひとつの部屋の展示企画をした。
また会期中、木製クラフトの販売やイベントも企画した。米松丸太の展示イベントの様子。

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