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山を育て木の家をつくる

木は切ってはいけないのか、切るべきなのか


●ごまかしの「やさしい」という美辞 地球破壊が取り返しのつかないくらいにまですすみ、環境の危機的状況がようやく多方面で語られるようになってきました。
危機的状況を語ることは、実情を知るためには大切なことですが、どうしてこれほどまでに危機的状況になったか、という根本的原因をも究明することがもっと大切になっています。
それをしなければ、原因を知らず、解決策も示さず、「地球にやさしい」とか「環境にやさしい」という美辞でのごまかしを許してしまうことになるからです。
こういう言辞は、人間が主人公で、人間が自然を支配することを当然とする西洋の思想によるものであることは以前にも書いてきました。
そして、「やさしい」という言葉が、人間が地球に何かを〝してあげると〟いう傲慢な思いあがりであり、20世紀の環境破壊の推進者たちが率先して使っている言辞であることにも触れてきました。
地球環境の危機的破壊をもたらしたものが何であるかを明確にせずに、21世紀の地球の蘇生化は考えられないのです。
また、このことを通して山を育てるという問題を考えることも必要なのだと思っています。
●近代文明がつくった環境の危機 地球環境の危機的状況を列記するだけでも大変な量になりますが、これは別の機会に譲るとしても、温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、酸性雨、河川と海洋の汚染、森林の破壊と砂漠化などを主なものとしてあげることができます。
この破壊の度合のすさまじさは、もう地球自身の持っている蘇生力では癒し切れないものになっています。
それが、以前にも示した生物種の加速的な絶滅となって現われており、あと数10年で全生物種(人類を含む)が生存できなくなることを予測させています。

温暖化は、様々な気象異変を呼び、世界各地での大洪水、寒波、旱魃、大地震を生んでいます。
温暖化は特に、寒冷地に進行するために、北極やグリ-ンランド、アンデスなどの氷の相当量が溶けはじめ、北極では氷の張っていない地帯まで出来ているといいます。
これは、この約100年間で平均気温が0.5℃上昇したことによるもので、今後100年で4~6℃の気温上昇が予測されていることを考えれば、海面上昇による農耕地や東南アジアの島々の水没などは必至で、難民、食糧飢餓が地上を襲うことになります。
食糧にしても農耕地の減少に加え、肉食化がすすんでいます。
食肉用家畜を育てるためには、人間が食べる穀物量の10倍の穀物を必要としますので、肉食化も食糧危機に拍車をかけることになり、穀物輸入依存度70%強の日本の食糧危機は、火を見るより明らかです。
フロンガスによるオゾン層の破壊を取り上げれば、現在、オゾン層を破壊しているフロンガスは、地球上で製造されたフロンガス全体の10%強にしかならず、地球上で使用中の約10%を除く、80%近くがゆっくり地上30㎞近くのオゾン層に向って上昇中で、それらが15年位後までには、すべてオゾン層を直撃することになります。
そうすれば、ほとんどオゾン層は破壊され、紫外線を主とする光線が地球を直射し、すべての生物種の生存を不可能にしてしまいます。
これらの環境破壊を招いた最大の原因は、石油を中心とする化石エネルギ-資源の乱用と、化学依存によるものです。
それらの資源も乱獲濫用によって枯渇化がすすみ、現状の消費を続けるならば、ウランや石炭を含む化石エネルギ-資源は、あと70年は持たないと予測されています。
スズや銅はもう風前の灯です。
チッソやリンという栄養分も肉食の増加に反比例して急激に減少しています。
このようにみると、社会の発展、とりわけ近代工業社会と近代文明=西洋文明の発展に比例して地球資源を喰い潰し、それに伴い環境破壊をすすめてきたことがわかります。
しかも、その破壊は加速度的であり、その一例として生物種の絶滅数の増加をグラフにして見るといかに凄まじいかがわかります。
「地球にやさしい」「環境にやさしい」というセリフは、近代文明の推進者が口にすべきではないといっても過言ではないのです。
文明・文化の発展は、どんな形であれ、人間が自然に手を加えることによるものですから、極論を言えば、人間が存在していることが地球環境にマイナスの作用を及ぼすことになるのです。
本当に「やさしい」とありたいならば、暴論を言えば、文化生活を一切辞めることしかありません。
「やさしい」という商品を作ったり、それをテレビなどで宣伝したりすることが、資源を使い、エネルギ-を使い、CO2を放出することになるのです。
食事をすることも、呼吸をすることも否定しなければ本当にやさしいことにはならないのです。
食事をとりあげると大変わかりやすいのですが、食材はすべて生命ある存在を殺して使用されていることを考えたことはあるでしょうか。
調味料まで含めても、現代科学で、生命のない存在とするのは、水と塩くらいしかないのですから、食するということは、生命を頂度していることに外ならないのです。
人間の存在そのもの、そして文明化・文化的ということが、どれほど地球と環境にとって害があり、迷惑なものであるかがわかるはずです。
この認識の上に立たずして「やさしい」とか「守れ」などと言うことの白々しさを指摘したいのです。
●日本の四季は森林で美しい とは言え、人間が存在している現実を否定することはできません。
本誌創刊号以来、第14号特集「人間の特性と住まいを考える」まで、一貫して地球・自然と人間の関係を見てきたように、地球の目的は、人間を生み、成長させることにあったと考えざるを得ないことばかりですから、人間の存在を否定するような暴論を主張するものではありません。
大切なのは、存在の仕方にあると考えるべきでしょう。
そこで、森林・木材との関係から考えてみます。
資源問題の中で、森林破壊や砂漠化のことに触れなかったことを、御都合主義と言われかねませんが、少し次元が違うのだと考えています。

「木材は生きているから素晴らしい」その(1)「地球が森林を育て人間を生かしている」の中で論じたように、木は約2億年前に維管束植物が進化した究極の植物として誕生しました。
それが針葉樹で、さらに完成した形を整えて誕生したのが広葉樹です。
それが1億5千万年から1億年前のことです。
その樹木が長い年月をかけて地球の環境を現在の状態につくりあげてきたのです。
人類こそが地球上の究極の生き物として約550~560万年前に誕生したのですが、それは、人間が生存できる環境が樹木たちによってつくられたからです。
森林と木は、光合成によってCO2を吸収して酸素を供給し、落ちた葉の積み重ねでミネラルをいっぱい含んだ土(腐養土)をつくり出しました。
この土が地表をつつんで実りの多い大地と魚貝類の豊富な河川と海を育てました。
海の水や地上からの水蒸気が雨となって山地に降るという循環システムで、水は森林に浸透して浄化され、ミネラルを含んだ美味しい水となって川に流れ、川下の大地と海に栄養を運んでくれるのです。
これが森林の大きな機能と言われるものですから、森林が育たなければ、人類の誕生はあり得なかったと考えられるのです。
しかも、広葉樹が育ったことで、木の実が得られるようになりました。
縄文時代の遺跡から発見されたものの中に、主食としてクリ、クルミ、ドングリが見つけられています。
木の実は食糧として人間生活を支えてくれたのです。
さらに、広葉樹を育てた自然の素晴らしい演出は、季節の彩りです。
世界中でいちばん四季の美しい国は日本だと言われていますが、芽吹きから始まり色彩りどりの花が咲き、新緑をなびかせ、秋には葉が次々と色づき、存在を示すようにそれぞれの色合いを強くし、やがて葉を落として常緑の広葉樹(照葉樹)と針葉樹の緑に座を譲ります。
この四季の移ろいが、とりわけ日本では自然を愛で、自然に親しみ、自然を詠むという感性と情緒を育ててくれました。

このように、森林と木は、人類にとってかけがえのない存在であり、これが育たなければ人類の生存はおぼつかないのですし、微生物からはじまる多くの生物たちの生命を育てられないのです。

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