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山からの季節便り(冬)

京都府北桑田郡美山町/小林林業 小林直人

「山からの季節便り」として、季節ごとに山林を生業とする立場から見た、山の現況を「便り」として伝えていきたいと思う。
夜の道を車で走っているといろんな動物に出会う。
狸はぽんぽこぽん、ごろごろ、と道端に飛び出し身投げする。
兎はめったに見ない。
ひょいと現れて、しばらく車と競争した後またひょいと草むらに飛んだものだった。
どうしたのだろう。
 突然巨大な猪が横切ると、粛々とうり坊が続く。
鼬は全身干草色の波になって懸命に走り抜ける。
ほれぼれするのは狐である。
黄金色の光芒を放ちながら一直線に横切る決断力は見習いたい。
狐もめっきり少なくなった。
何故だろう。
ドカドカと数頭の鹿がとびだすこともある。
そういう時の鹿は狸と変わらない。
どこか雑なのである。
しかし、大抵は単独で道端の草陰からじっと額縁のようにこちらを見ている。
雨の夜などはつい「大変やねえ、頑張って生きろよ」とつぶやいてしまうのである。
僕は京都府北桑田郡美山町で代々の林業を営んでいる。
木を植え育て伐って売る、それを数十年ごとに繰り返すのが生業である。
それは、輪廻転生に身を委ねている様な安心のある生業であった。
(写真―1)

写真1 父親や代々の祖先によって植林された「美山ともいきの杉」。
しっかりと手入れの行き届いた杉がここにある。
ここ数年、その様態は全否定されようとしている。
アナリスト達の分析によれば、東西冷戦構造の崩壊以来、世界は自由貿易を是とする体制となり、一地域に於ける自給自足はこれを認めない。
従って、国産材などは例え限りなく原価ゼロに近づいたとしても、それに替わる素材が市場に優先する以上、単なる材料のひとつとして参加できぬのなら、市場から抹殺されても仕方がない。
現実を直視できぬ者にはもはや退場する道しか残されていないのである。
敢えて反論するまでもなく現実はその通りに推移している。
それも大股で階段を下りるように。
(写真ー2)

写真2 ほとんど放置され、手前のあたりの杉は雪害に折れ、奥のほうの杉はほとんど日光が入らない状況にあるのが、放置された山林の 実態である。
文化論、情熱論で対抗する道はある。
でも、筆先で糊口する林業などあり得ないし、逆ざやのもとで、ナタとノコを振りかざして奮闘している林業の現場を置き去りにしていることに変わりは無い。
能天気のそしりは免れないと思う。
体制とは抗い得ぬものだろうか。
体制を壊す契機は革命にしかないのだろうか。
それは、また新たな体制を作ったに過ぎなかったことは歴史が証明している。
それなら、従順に消滅を待つよりは、一旦体制から離脱して独自の生き方を模索するしかない。
本当のところは分からないが、動物には我々人間が、とうの昔に忘れ去った予知能力があると言う。
出水前に渓流のイワナが小石の食いだめをしたり、大型獣が気候異変に備えて群れの個体数を調節したりする能力は、大河の底流のように変わらない基本的な能力ではないだろうか。
僕はそこに模索の座標軸を据えることにしよう。
産直グループ〝美山ともいきの杉〟を始めたのは昨年暮れのことである。
小林林業・小林製材(美山町、内地材専門、親戚)・㈱水上建設(大阪府八尾市)の3人が、原木、製品、建築を分担して家づくりをする。
そう、いまや日本全国どこにでもある産直。
山で木を伐る旬(8月)に伐採、葉をつけたまま自然乾燥(3ヶ月)、製材してから桟積み自然乾燥(3ヶ月)、木材を知り尽くした大工の棟梁が、健康で住みやすい丈夫で長持ちする家を作る。
(写真ー3)

写真3 「美山ともいきの杉」を実際に施主・設計者・施工者に見てもらい、杉の生産から製材までの流れを理解した上で、建築されていく過程 を体験してもらうため、遠く美山まで足を運んでもらっている。
昔から極当たり前でここ20年ほど忘れていた習慣を、誰もが一斉に言い出したあの産直である。
 でも僕らは全力でこれに取り組む。
価格も無農薬有機栽培野菜のようにやや高い(高かった時の1/2だが)。
相場で決まる流通常識から外れている。
価格破壊の相場に価格破壊で立ち向かっているようなものだ。
退場しろと言われても、留まろうとする限りこれしか生きる道がない。
植えて世話をして30年も経ってから「使用価値ゼロ」を宣告されても、そう唯々諾々と受け入れることは出来ない。
自分の一生を投げ捨てるのと同じである。
そこに出発の原木価格を置いた。
〝ともいき〟はその意味である。
家を建ててくれる人に山の案内もした。
木が育っていた場所で風に触れてもらう。
これもまた、産直ならどこでもよく似たことをしているだろう。
せっかく山まで足を運んでくれる人に、何をどのように伝えたらいいのかまだ手探り状態である。
おそらく、全国平均の現場からの声、逆ザヤ現象で林業がほとんど崩壊していることや、内地材を使った木造の家に住む良さ、等々をしゃべりながらなにか物足りなさを感じている。
それは、お互いに異なった地点から歩いてきて出会ったとき、探していたものは同じであっても共通の言葉を持たないもどかしさに似ている。
自然に習って生きたいという本能のようなものを共有していることがわかっても、知らぬ間に身につけた当為性(電話は身体にくっついているものであり、野菜はスーパーに並んでいるものであるという)(そのうち、探し物まで「ハイ、ココ」と返事をするのが当たり前になるかもしれない)は、言葉まで決り文句・常套句で滑らせて行くのである。
仮想現実を生きているような手応えの薄さから、もっと濃い関係を造ろうと思って始めたのが〝美山森林学校〟である。
昨年の1月20日、大雪の中を集まってくれた7人が中心である。
4月、雪解けを待ってそれぞれが杉の苗を植林した。
山は〝ともいき〟の杉を伐採した跡で、1000本植えれば再び杉の林が再生するだろう。
森林組合に委託すれば1000本は数のうちに入らないほど簡単な仕事だ。
でも、僕はそうしなかった。
森林学校には校則がある。
「自分のことは自分でする」という。
少なくとも1人100本は植えなければならない。
ここからここまでは誰と範囲を決めてそこに植える。
お互いに入り混じって作業しないことでどんなことが分かるか楽しみである。
(写真ー4)

写真4 「美山森林学校」の体験学習の一環である植林。
これは、林業の原点とも言える作業であり、全てはここから始まる。
林業の作業工程では植林地の真ん中に何も植わっていない空き地など作らないが、すでにそんな空き地もある。
(写真ー5)都合で参加できなかった生徒の場所だ。
もしこのまま不登校ならそれでいい、そこは自然に帰って行くだろう。
「巧く素人を使って仕事をさせるね」というやっかみの声も聞こえてくるけれど、今年、2年にまたがる植林が完成してから山を見て欲しいものだ。
ここは美林を造るための山ではなく、1日体験教室の思い出作りでもなく、これから5年間の育林体験で自然の手応えを吸収してもらうための場なのだ。
そのために各自、自分のノートを持ってもらったのだ。

写真5 植林という、人間が行なう行為に対し、一旦手をかけた以上は、継続的に手をかけなければ、自然は植林された苗木といえども、1年も経てば弱肉(苗木)強食(雑草)の結末が待っているのである。
自然を読むためには人工林ほどの良書はない。
苗木を植えた行為は人為そのものだがその瞬間から苗木は自然の仲間入りをする。
雨や太陽の恵みを受けるけれど、敵としか思えぬような仲間も多い。
伐採跡地にいっせいに生えてくる雑草やつるや潅木、下刈りをしている時背中を焼く太陽さえ無慈悲に思える日がある。
皆敵であり仲間である。
そんな時に、地球のほんのひと欠きに、自然の僥倖を願って人為をするわれわれ人間の姿がうかびあがってくるのだろう。
(写真ー6)

写真6 美山森林学校の将来なるべき姿は、このような杉「美山ともいきの杉」であり、自然と共生する杉であってほしいと願う。
〝美山森林学校〟はアナリスト達に影響されない、狐の光芒と鹿の静謐にインスパイアされる人の集まりでありたい。
次回2002年3月の第22号は、山側の無名杉生産地域の再生のために取り組む人、水上氏(水上建設)よりの「山(明日)のために建築関係者は今何をすべきか?」です。
「山からの季節便り」は5月の第23号の「春」になります。


小林林業(小林直人)

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