西暦 | 和暦年 | 月 | タイトル | 内 容 |
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1911年 | 明治44年 | 2 | 創業 | 和歌山県御坊市において、徳川寛文年間(1661)より代々の中川藤吉が継承経営してきた山 林業より独立。中川計三郎商店として、伊勢大杉谷御料林、奈良高見山、紀州栃谷山等、 近畿、中国、四国地区に於て素材の生産業を営む。 |
1947年 | 昭和22年 | 1 | 開設 | 木材統制令廃止と共に中川木材店大阪店を開設。中川藤一の学友、鉄商吉村商店吉村謙え 助店主の好意により、大阪市西道頓堀2丁目吉村商店の倉庫を借用する。住宅は同学友 (馬術部先輩)の斉藤機械工場寄宿舎を借り、都島より自転車通勤する。初荷の時の写真 |
1949年 | 昭和24年 | 1 | 開設 | 大阪市西区西長堀南通り2丁目24番地に620坪の土地を購入(土地代金坪1200円)大阪店 事務所、宿舎及び貯木場を開設する。 |
1949年 | 昭和24年 | 4 | 納税 | 納税額、23年度約250万円、利益の大半を税金に吸い上げられる。 |
1950年 | 昭和25年 | 10 | 納税 | 24年度納税額450万円、税金攻勢対策の一環として、中川木材店紀州の本店をそのままとし、 大阪店を和洋林産株式会社(竃谷 健社長)に合併し、中川藤一専務となる。 |
1952年 | 昭和27年 | 中川藤一所有の馬「初菊」を美空ひばり主演の「あの丘越えて」に提供 | ||
1952年 | 昭和27年 | 7 | 解散 | 和洋林産株式会社 解散。 |
1953年 | 昭和28年 | 1 | 会社設立 | 大阪店を独立、株式会社に組織を変更し、中川計三郎を代表取締役社長に、中川藤一を 代表取締役専務とし、社員と廣瀬辰造以下8名、資本金200万円を以て設立する。 |
1953年 | 昭和28年 | 4 | 開設 | 大阪市大正区難波島にて、村上竜平氏の土地1000坪を借用して貯木場を開設する。 |
1953年 | 昭和28年 | 9 | 開設 | 池田銀行を通じて、岡崎工業㈱より、大正区今木町1丁目27に約1000坪の土地を購入し貯木 場に改造する。 |
1953年 | 昭和28年 | 11 | 新規取引 | アメリカシァトル本社、バークレ商会(林出張所長)に事務所の一部を貸与。日綿実業㈱木材部及 び安宅産業㈱木材部と取引を開始する。 |
1954年 | 昭和29年 | 4 | 福利厚生 | 社員旅行 琵琶湖 石山寺 |
1954年 | 昭和29年 | 5 | 海外視察 | バークレ商会の招聘により、中川藤一専務渡米(5/19~6/9)アメリカ、シアトル、ポートランド、 カナダ、バンクーバー、ビクトリア等の木材視察をし、バークレ商会より、米松、パイリング 50尺×6寸500本ほかを買付ける。L.Cは三井銀行船場支店にて開設。 |
1954年 | 昭和29年 | 8 | 大口受注 | 大阪市港湾局に松杭40尺8寸500本納材し、業界を驚かせる。当時の大阪、最大手の丸五木材さんからは、 「中川が納材できたら、心斎橋を逆立ちして歩いてやる」と役所関係者に振れまわられた。最初の大口受注 |
1954年 | 昭和29年 | 10 | 福利厚生 | 社員旅行 高野山 |
1955年 | 昭和30年 | 4 | 社会貢献 | 中川藤一専務、三重大学農学部に於て、木材商業論及び木材流通論の講義を担当する。 以後21年間講義することになる。 |
1955年 | 昭和30年 | 10 | 福利厚生 | 社員旅行 奈良 |
1956年 | 昭和31年 | 4 | 業務協定 | 日綿実業㈱取締役社長岡島美幸と、㈱中川木材店取締役社長中川計三との間に於て、 杭丸太の輸入及販売に関する業務協定を締結する。 |
1956年 | 昭和31年 | 8 | 新規取引 | ソ連材海洋筏、初めて富山港に入港、60尺の落葉松丸太全量を買付ける。 組み立て式床の間セットを開発、米国へ輸出する |
1956年 | 昭和31年 | 8 | 大口受注 | 神戸淡路フェリー開通により、愛媛の住友化学新居浜工場増設工事にて、西松建設㈱に杭丸太を納材する。 |
1956年 | 昭和33年 | 11 | 開設 | 長野県小諸に出張所を開設する。当時の社長室 |
1959年 | 昭和34年 | 11 | 海外視察 | 中川藤一専務、香港、フィリッピン、オーストラリア、ニュージランド、フイジー島にて木材視察する。 ニュージランド材の日本初入荷で全量買い付けする。現地でのニュージランド首相。 |
1960年 | 昭和35年 | 4 | 福利厚生 | 社員旅行 友ケ島 |
1960年 | 昭和35年 | 4 | 業界活動 | 日綿実業㈱名古屋支店内に、名古屋出張所を開設。伴野通商よりニュージランド杭丸太輸入。 中川藤一専務、大阪木材青年経営者協議会会長に就任(35年4月1日~37年3月31日)。 |
1960年 | 昭和35年 | 7 | 業界活動 | 中川木材店難波島にて、大青協(大阪木材青年経営者協議会)会員による木材材積測定に 関する新農林規格改正資料を作成する。 |
1960年 | 昭和35年 | 9 | 会社設立 | 日綿実業㈱木材部の別会社、日本ドラムカン工業㈱発足に伴い、中川木材運輸㈱を設立。 |
1960年 | 昭和35年 | 10 | 大阪府 第一回木材祭パレードに参加 2等賞を獲得 | |
1960年 | 昭和35年 | 10 | 福利厚生 | 社員旅行 三田松茸山 |
1960年 | 昭和35年 | 12 | マスコミ | 朝日放送テレビ 「子供の科学」に 中川藤一専務が出演 |
1960年 | 昭和36年 | 3 | 社葬 | 最古参社員 中川鶴蔵氏逝去、社葬を行なう。 |
1961年 | 昭和36年 | 4 | 福利厚生 | 社員旅行 金波楼 御坊の社長自宅を訪問する |
1962年 | 昭和37年 | 5 | 祝記念 | 中川木材店創業50年、創立10周年を迎え、大正区、貯木場に於て、感謝会を行なう。 |
1962年 | 昭和37年 | 6 | 新規投資 | 大阪府南河内郡美原町、大阪木材工場団地協同組合に加入、10,000㎡の土地を購入する。 |
1962年 | 昭和37年 | 10 | 福利厚生 | 社員旅行 白浜 |
1962年 | 昭和37年 | 11 | 祝記念 | 11日、大正区貯木場にて、社員の湯川、西尾、丸山各新夫婦の歓迎会を行なう。 |
1963年 | 昭和38年 | 4 | 会社組織変更 | 日綿実業㈱木材部の代行店としての日綿建友会が発足し、卸売業務を併設する。 中川藤一専務が副会長となる。日綿実業㈱は木材小売業者に直接販売する目的で日本ドラムカン工業㈱木材部を設立。弊社より社員奥田義一が出向する。大和ハウス工業㈱の仮設ハウス販売代理店となる。 |
1964年 | 昭和39年 | 3 | 新規投資 | 岸和田、木材コンビナート内に、4,500㎡の土地を購入。将来の木材大型流通化に備える。 |
1965年 | 昭和40年 | 1 | 会社組織変更 | 日綿実業㈱木材部が、日本ドラムカン工業㈱木材部を閉鎖した為、中川木材運輸㈱を 中川木材店に吸収。又、日綿建友会代行店として、53年7月まで卸売業務を行なう。 |
1965年 | 昭和40年 | 10 | 福利厚生 | 社員旅行 鳥取砂丘 |
1967年 | 昭和42年 | 10 | 資本金 | 資本金を300万円に増資 |
1968年 | 昭和43年 | 福利厚生 | 社員旅行、仮装大会 | |
1969年 | 昭和44年 | 新規部門 | 内装プレカット加工部門強化のため㈱葵建装を美原に設立。 | |
1969年 | 昭和44年 | 新規部門 | 大阪木材工場団地内に第一期工場の建設を始め、同年7月美原営業所を開設。 | |
1970年 | 昭和45年 | 2 | 会社行事 | 中川木友会(中川木材店の仕入業者主体)発会。第1回の総会を羽衣荘において開催 (水谷建築設計の水谷頴介先生が「明日の都市建築」と題して講演をする) |
1970年 | 昭和45年 | 7 | 大口受注 | 松杭丸太 21メートル 末口20センチ 450本を大阪市港湾局に納入する |
1970年 | 昭和45年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 中川木材店と葵建装合同(日光東照宮方面) |
1970年 | 昭和45年 | 7 | 資本金 | 資本金を800万円に増資 |
1970年 | 昭和45年 | 8 | 福利厚生 | 第1回家族会 美原営業所にて |
1970年 | 昭和45年 | 表彰 | 中川勝弘現社長、日本万国博覧会協会職員として会期前と後を含め1年間勤務する。 会期中にインドネシア館の人たちからインドネシア語を学び、のちにインドネシア館から表彰される | |
1970年 | 昭和45年 | 11 | 視察旅行 | 中川藤一社長、2週間のフイリッピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ木材視察。 中川勝弘(大学4回生)通訳として同行。 |
1971年 | 昭和46年 | 6 | 記念 | 米国シンプソン社、ニチメン共同での年輪盤3丁の寄贈を受ける。 |
1971年 | 昭和46年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 葵建装と合同 三方五湖 |
1971年 | 昭和46年 | 8 | 福利厚生 | 第2回 家族会 美原にて |
1971年 | 昭和46年 | 10 | 祝記念 | 美原工場竣工披露。 |
1971年 | 昭和46年 | 12 | 社屋建設 | 岸和田木材コンビナートに於て、社屋新築工事始まる。鉄筋コンクリート陸屋根5階建 |
1972年 | 昭和47年 | 0 | 福利厚生 | 社員旅行 葵建装と合同 金毘羅 小豆島 |
1972年 | 昭和47年 | 10 | 移転 | 岸和田木材コンビナート内に社屋を建設し本社移転、岸和田支店を開設。納材部門は 岸和田へ。10月6日社屋竣工披露 第3回 家族会 岸和田にて 葵と合同 |
1972年 | 昭和47年 | 11 | 移転 | 大阪木材会館が大阪市西区西長堀北通りに新築、中川木材店大阪事務所を大正区今木町 より、大阪木材会館に移転開設する。 |
1973年 | 昭和48年 | 3 | 見本市出展 | 大阪府木連主催、大阪府暮しと木材展に出展 朝日会館朝日ホール(3月15日~3月18日) |
1973年 | 昭和48年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 葵建装と合同 瀞峡勝浦へ 資本金を880万円に増資。 |
1973年 | 昭和48年 | 9 | 福利厚生 | 第4回家族会 岸和田にて |
1973年 | 昭和48年 | 11 | 社会貢献 | 御坊市役所庁舎竣工に際し、中川計三郎の遺志を継ぎ、道祖神の石彫を寄贈する。 第1回百和会を開催 11.18 豊中アイボリホテル |
1973年 | 昭和48年 | 11 | 社会貢献 | 中川藤一社長、日生ニュータウン造成中の現地へ彫刻家の鈴木政夫氏を同道、結果同氏の 彫刻が多数設置されることとなった。 |
1973年 | 昭和48年 | 12 | ニュービジネス | 美原営業所内に流通センターを開設、住宅用木材に進出。(現住宅事業部) |
1974年 | 昭和49年 | 4 | 視察旅行 | カナダ米材状況視察、中川藤一社長(丸山龍男、高尾裕 同行)。 |
1974年 | 昭和49年 | 4 | 福利厚生 | 社員旅行 葵建装と合同 高知県(高知城、桂浜) |
1974年 | 昭和49年 | 5 | ニュービジネス | 小堀住研㈱(現在のエスバイエル㈱)と取引を開始、建築用材の直需に力を入れる。 |
1974年 | 昭和49年 | 9 | 福利厚生 | 第5回家族会 美原にて |
1975年 | 昭和50年 | 1 | ニュービジネス | 兵庫県川辺郡猪名川町阪急日生ニュータウン内に日生川西営業所を開設。ディベロッパー指定の 大量納材に進出する。業界ではじめての試みであった。ツーバィフォー材、本国挽 第一回入港 |
1975年 | 昭和50年 | 3 | ニュービジネス | 美原営業所に建材部およびツーバイフォー部新設。 |
1975年 | 昭和50年 | 4 | 海外視察 | アメリカ、カナダ視察。(日綿建友会同行2x4勉強会)。4月29日~5月7日。美原営業所2階に展示場を設置 |
1975年 | 昭和50年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 日本ライン |
1975年 | 昭和50年 | 9 | 福利厚生 | 第6回家族会 岸和田本社にて |
1975年 | 昭和50年 | 10 | 資本金 | 資本金を2,640万円に増資。 |
1975年 | 昭和50年 | 12 | 大口受注 | 大阪市港湾局から24メーター杭丸太を受注、米国から愛知県衣浦で陸揚げ機帆船で岸和田支店へ |
1976年 | 昭和51年 | 3 | ニュービジネス | 美原営業所を支店に昇格改称。造作プレカット部門を開設(現住宅事業部) |
1976年 | 昭和51年 | 4 | ニュービジネス | 小怪木のインテリア、エクステリアの利用に踏出す。 |
1976年 | 昭和51年 | 6 | 登記 | 美原営業所を美原支店に昇格、改称する。 本店所在地(登記上)を大正今木町7番地より、西区西長堀北通り4丁目22に移す。 |
1976年 | 昭和51年 | 7 | 海外研修 | 中川博司 カナダ バンクーバー市ブリテッシュ州立職業訓練学校(現工科大学校)において 2x4工法研修。昭和51年7月~昭和51年8月 |
1976年 | 昭和51年 | 9 | 福利厚生 | 第7回家族会 生駒赤膚焼き、葛城山 |
1976年 | 昭和51年 | 11 | 福利厚生 | 社員旅行 播州赤穂-後楽園-岡山城 |
1977年 | 昭和52年 | 3 | ニュービジネス | 岸和田支店にアウトドア部門を開設。(現 屋外施設事業部) |
1977年 | 昭和52年 | 7 | ニュービジネス | 日本フィールドアスレチック協会、マーケティング企画㈱の支援を受け、京都嵐山の清滝において、 直接の仕事として最初のFA工事を請負う。尓後、昭和56年7月末まで関西以西の地に於て47件、 733ポイントを消化する。 |
1977年 | 昭和52年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行は弊社が施工したアスレチックコースの路島スポーツランド洲本 |
1977年 | 昭和52年 | 8 | 社内組織 | 美原支店営業部の建材部、ツーバイフォー部および流通センターを統合し、営業第1部、第2部を設置する。 |
1977年 | 昭和52年 | 福利厚生 | 第8回 家族会 岸和田にて | |
1978年 | 昭和53年 | 3 | 社内行事 | 日生川西営業所、日生ニュータウンの工事進捗により木場事務所の移転、木場はすべて舗装する。 |
1978年 | 昭和53年 | 4 | プロジェクト | 社内プロジェクト 中川勝弘を委員長にコンピューター委員会を1年間開催 |
1978年 | 昭和53年 | 福利厚生 | 第9回 家族会 岸和田にて | |
1978年 | 昭和53年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 鳥羽 伊勢志摩 |
1979年 | 昭和54年 | ニュービジネス | 間伐材を利用してエクステリア、インテリアの開発を岸和田支店が中心となり始める。 | |
1979年 | 昭和54年 | イベント出展 | 54年度くらしと木材展 和歌山商工会議所 に出展。 | |
1979年 | 昭和54年 | 6 | 社内システム | 各支店間に電電公社DRESSシステムによるオンラインリアルバッチ電算処理、各店間にFAX処理を開始。 |
1979年 | 昭和54年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 山陰 香住、出石 |
1979年 | 昭和54年 | 8 | 見本市出展 | '79ショップ&ディスプレーショウ(OMMビル)に出展。 |
1979年 | 昭和54年 | 家族会 | 家族会 美原 | |
1979年 | 昭和54年 | 11 | イベント出展 | 和歌山 木と暮らしの展示会に出展 |
1980年 | 昭和55年 | 4 | 見本市出展 | 大阪国際見本市に出展する。木材業者は当社のみであった。 |
1980年 | 昭和55年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 有馬、宝塚 有馬グランドホテル 歌劇 |
1980年 | 昭和55年 | 8 | 展示即売会 | 美原支店にて第1回目の木材展示即売会を木材業者対象に行う。協賛9社 |
1980年 | 昭和55年 | 9 | 大口受注 | 神戸ポート博覧会 ジャイアントメタセコイアの加工施工をする |
1980年 | 昭和55年 | 9 | 福利厚生 | 家族会 大阪府豊能郡能勢町 一里松キャンプ場にて |
1981年 | 昭和56年 | 0 | イベント出展 | 財団法人大阪住宅センター主催の「すまいと木材知識展」に中川藤一前社長が委員長で参加、間伐材製品を出展 |
1981年 | 昭和56年 | 3 | イベント出展 | 阪神園芸さまイベント 甲子園会場 協賛展示 |
1981年 | 昭和56年 | 5 | イベント出展 | 大阪市中小企業指導センター主催のシンクルームにてオリジナル製品展(5/25-7/31)に出展。 |
1981年 | 昭和56年 | 6 | 中川藤一前社長 関西TV「3時のあなた」から取材 | |
1981年 | 昭和56年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 越前海岸 |
1982年 | 昭和57年 | ニュービジネス | 小売のノウハウを得るため、川西営業所(兵庫県川辺郡猪名川町 阪急日生ニュータウン内)にアンテナSHOPを開設。費用の問題や専門的なディスプレーが出来ないことから木造倉庫を自分たちの手で改造して20坪の店とする。オープンの日は400人のお客様があった。 | |
1982年 | 昭和57年 | ニュービジネス | 社員の高齢化時代への産業対策として大阪シルバーサービス㈱を設立。 | |
1982年 | 昭和57年 | 4 | 見本市出展 | 大阪国際見本市に、2回目の出展をする。この時点よりインテリア小物を販売開始。木のイメージについて のアンケート調査をする。4月22日から5月3日の国際見本市の会期中に1100人からアンケートをとり分析、 パソコンによる集計分析を初めて行った。この分析結果は業界を始めとして各界から注目された。木材再発見、 再プームのきっかけとなったかも知れない。 |
1982年 | 昭和57年 | 10 | 取材 | NHKにて間伐材の内容で取材され、放映される |
1983年 | 昭和58年 | ニュービジネス | クラフト事業部 卸 業務を実験的に開始。 | |
1983年 | 昭和58年 | 7 | 福利厚生 | 社員旅行 飛騨高山 明治村 |
1983年 | 昭和58年 | 9 | 福利厚生 | 第9 回家族会 川西営業所 |
1983年 | 昭和58年 | 10 | 見本市出展 | OMMフェアに出展。 卸 業務が本格化稼働。 |
1983年 | 昭和58年 | 11 | イベント出展 | ウッドクラフトショップを豊中 服部緑地での第1回全国緑化フェア(グリーングロー大阪)に大阪府の要請で 出展好評であり、大阪府にクラフトの存在を知らしめ、また木製品の温かさを来場者に知らしめた。 |
1984年 | 昭和59年 | 2 | 閉鎖 | 日生ニュータウンの事情により急拠ショップを閉鎖。 |
1984年 | 昭和59年 | 2 | 見本市出展 | 大阪ギフトショーに出展。 |
1984年 | 昭和59年 | 4 | 移転 | 日生ニュータウンの事情により川西営業所、クラフト事業部の引越しを行う。事務所、倉庫、 木場等2000坪、全体が引越しするため4ヶ月かかり大変な大移動であった。 |
1984年 | 昭和59年 | 4 | 催事出展 | 兵庫県緑化大会に出展。 |
1984年 | 昭和59年 | 5 | ニュービジネス | バーズアイに通販広告をだす。最初の通信販売の業務であった。 |
1984年 | 昭和59年 | 7 | 催事出展 | 『40名の作家ウッドクラフト展』を名古屋ポートビルにて行う。全国の作家商品を収集するのは大変な作業であった |
1984年 | 昭和59年 | 8 | 催事出展 | 『40名の作家ウッドクラフト展』を広島 にて行う。 |
1984年 | 昭和59年 | 8 | 新規事業 | 本格的な通信販売を開始。朝日新聞社 保存版雑誌 木の文化シリーズに カラー1頁掲載する。 3回掲載。広告費用も出ずに、大失敗かとおもわれたが、この通販広告のおかげて全国のクラフト作家 に当社のことが知れ渡り、その後の商品開拓に大いに寄与した。 |
1984年 | 昭和59年 | 8 | 福利厚生 | 第10 回家族会 金剛山 |
1984年 | 昭和59年 | 9 | 見本市出展 | 大阪ニューライフグッズショーに出展。 |
1984年 | 昭和59年 | 10 | 催事出展 | 『ウッドクラフト展』を 松山三越 にて行う。引き続き常設コーナーを設けてもらう。 |
1984年 | 昭和59年 | 11 | 催事出展 | 大阪コロナホテルで行われた、国民の森林を考える関西シンポジウムに協賛出展。 『ウッドクラフト展』を 神戸そごう 美術工芸部門で催事を行う。 『北海道ウッドクラフト展』を 大阪 高島屋にて行う。山口保氏の実演含む。 好評と販売高好調のため別催事の「家具掘り出し市」に急遽出店する。 |
1984年 | 昭和59年 | 11 | 新規分野 | ブックローンに商品供給する。従来の地球儀の台以外にクラフト商品を供給。 |
1985年 | 昭和60年 | 記念 | 国際森林年事業推進協会より、内閣総理大臣賞、農林大臣賞、林野長官賞等のため記念品をご購入頂く。 | |
1985年 | 昭和60年 | 新事業 | 翌年1月末まで 枚方三越に委託販売。 10月末まで 大阪三越などに委託販売開始。 | |
1985年 | 昭和60年 | 1 | 催事出展 | 『ウッドクラフト展』 神戸そごう 11月好評のため再度の要請あり。 『木のぬくもり展』 奈良近鉄 。(あるぼーる様へ商品供給) |
1985年 | 昭和60年 | 2 | 見本市出展 | 東京ギフトショー 出展。 |
1985年 | 昭和60年 | 3 | 社内システム | クラフト事業部、初めての印刷カタログを制作。コストをかけず印刷以外はすべて自分たちで作業した。当時の販売商品カタログ。 |
1985年 | 昭和60年 | 4 | 催事出展 | 大阪府民会議 『ヒト.ソフトピア』 ウッドクラフトコーナー担当 クラフト展示実演。 千里 阪急百貨店 『北摂のステキなお店』の催事を行う。 同チラシ 『ウッドフェアー』を名古屋ポートビル にて行う。 大阪 三越 ちょっと気になる木の小物たち展示販売 |
1985年 | 昭和60年 | 4 | 新商品 | 間伐材利用のオフィス家具を製作 |
1985年 | 昭和60年 | 4 | 店舗出展 | 淡路島 愛ランド博 『くにうみの祭典』にウッドクラフトショップを出展。 千葉そごうにて『ウッドアンドライフ』コーナー設置。 |
1985年 | 昭和60年 | 5 | 催事出展 | 東京 京王プラザホテルにて開催されたシンポジウム 『<木>と人間のかかわり』に参加 。 ウッドクラフト展 東京 三越本店、始めての東京での催事となる。 ウッドクラフト展 大阪高島屋 蕨迫隆史氏の実演含む。 |
1985年 | 昭和60年 | 5 | 福利厚生 | 社員旅行 沖縄 那覇、嘉手納、植物園、ひめゆりの塔 |
1985年 | 昭和60年 | 6 | 社内組織変更 | 美原支店を本店に昇格、本社を同敷地内に移転し、本店内にアウトドア事業部、 阪急日生二ュータウンにクラフト事業部を開設。 |
1985年 | 昭和60年 | 6 | 催事出展 | 後援 日本アジア航空 大阪 JAAプラザにて、『ちょっと気になる木のモノ展』 主催する。 |
1985年 | 昭和60年 | 7 | 新店舗 | 日生中央駅前に自社アンテナショップを開店(ログハウス風) |
1985年 | 昭和60年 | 7 | イベント出展 | 広島にて 『ウッドクラフト展』。 神戸グリーンエキスポ85 そごう館に出展、3カ月間。 『食物フェスティバル』 大阪城公園に出展。 |
1985年 | 昭和60年 | 9 | 見本市出展 | 東京ギフトショー出展に出展。 |
1985年 | 昭和60年 | 9 | 催事出展 | 大阪 松阪屋にて 『ウッドクラフト展』を行う。 大阪 三越 展示販売会 『木・やすらぎの小品展』 |
1985年 | 昭和60年 | 10 | 催事出展 イベント出展 | 大阪そごう 『北海道展』 出展 。 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。 『国際森林年フォレスポ85』 代々木公園に出店。 |
1985年 | 昭和60年 | 11 | イベント出展 | 『ウッドフェア大阪』 大阪国際見本市に出展。 東京 林野庁主催 『森の市』に出展。 羽田農林大臣、林野庁長官なども立ち寄りお買上げ頂く。 |
1986年 | 昭和61年 | 1 | 催事出展 | 神戸そごうにて 『ウッドクラフト展』 |
1986年 | 昭和61年 | 3 | 催事出展 | 愛知県 トヨタ生協 にて 『煙山泰子の展示会』を行う。 大阪 阪神百貨店にて展示会。 |
1986年 | 昭和61年 | 4 | イベント出展 | 『花と緑のミニイベント』 大阪鶴見緑地。 阪急電車池田駅改築記念 『ウッドクラフト展』大阪府民センター通信販売による販売方式をとる。 |
1986年 | 昭和61年 | 5 | 催事出展 | 近鉄百貨店 にて『ウッドクラフト展』 河合正雄氏に実演協力をお願いする。 『ウッドフェア』 大阪府主催(心斎橋そごう)に出店。 参加企業のなかで一番の評判となる。 万博会場 大阪府主催 『ウッドフェスティバルinEXPO』に出展。 |
1986年 | 昭和61年 | 5 | ノウハウ提供 | 大阪摂津にウッドアンドライフ摂津 オープン 丸岡銘木さまにクラフト商品を全面供給する。 |
1986年 | 昭和61年 | 5 | 大口受注 | 全国植樹祭に印鑑ケースを記念品として買上げられる。全国林業後継者大会、植樹祭会場などにも出展。 |
1986年 | 昭和61年 | 6 | 催事出展 | 『ウッドクラフト新作展』 大阪三越。 |
1986年 | 昭和61年 | 7 | イベント出展 | 能勢電鉄 『日生中央駅前ビルオープンイベント』 |
1986年 | 昭和61年 | 9 | 見本市出展 イベント出展 | 大阪ギフトショー 出展 国際ホテル。 『玉手山おもちゃまつり』に出店。 |
1986年 | 昭和61年 | 10 | 催事出展 | 『北海道クラフト展』 大阪そごう。 |
1986年 | 昭和61年 | 11 | 催事出展 イベント出展 | 『北海道クラフト展』 大阪高島屋。 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。 堺 『農林フェスティバル』に出店。 |
1987年 | 昭和62年 | 2 | 社内組織変更 | 美原本店敷地内にクラフト事業部の移転 |
1987年 | 昭和62年 | 2 | 見本市出展 | 東京ギフトショー 出展。 |
1987年 | 昭和62年 | 4 | イベント出展 | 全国木材青年経営者連合全国大会 出展。(福井市) 近鉄外商イベント 八尾。 |
1987年 | 昭和62年 | 6 | イベント出展 | 近鉄外商イベント 大阪城ホール。 |
1987年 | 昭和62年 | 6 | 社内システム | 第二次電算システムをNECオフィスプロセッサーのオンラインバッチ処理に変更。 |
1987年 | 昭和62年 | 7 | イベント出展 | 能勢電鉄 『日生中央駅前ビル1周年記念イベント』 木製迷路を出展。 |
1987年 | 昭和62年 | 8 | イベント出展 | 『天王寺博覧会』に出店。 |
1987年 | 昭和62年 | 8 | 福利厚生 | 社員旅行 韓国 釜山 慶州 |
1987年 | 昭和62年 | 9 | 見本市出展 | 大阪ギフトショー出展 マイドーム大阪。 |
1987年 | 昭和62年 | 10 | イベント出展 | 大阪営林局 『法円坂イベント』 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園。 |
1987年 | 昭和62年 | 11 | イベント出展 | 岸和田臨海会館 イベント出展。 『大阪府農林水産フェスティバル』 大阪 長居公園。 『暮らしの中の木工品展』 岐阜 高岡。 |
1988年 | 昭和63年 | 6 | 会社状況 | クラフトSHOPの苦しい時代、経費だけでもカバーできるようにと、レンタルビデオを開始する、 パソコンなどの代行入力、木に関する書籍のレンタル、アートレンタル、写真現像取次ぎ、 人形、ソックスの販売、自動販売機の設置なども行う。 |
1988年 | 昭和63年 | 6 | イベント出展 | 大建工業 『洋上展示会』に出展。 |
1988年 | 昭和63年 | 8 | イベント出展 | セキスイハウス 三宮にて『ウッドクラフト展』 。この時、ちびっこ木工作展を行い好評であった。 |
1988年 | 昭和63年 | 8 | 社内組織変更 | 中川藤一社長、死去により 中川勝弘 社長に就任。 |
1988年 | 昭和63年 | 9 | 社内組織変更 | クラフト事業部の組織変更。 |
1988年 | 昭和63年 | 9 | 会社行事 | 合同葬儀 中川木材産業、葵建装、大阪木材工場団地の3者による合同葬儀、大阪西教会 50日祭りキリスト教式 |
1988年 | 昭和63年 | 10 | イベント出展 | セキスイハウス 姫路 『ウッドフェア』に出展。 |
1988年 | 昭和63年 | 10 | ニュービジネス | レンタル迷路を考え、イベント会社にDMを発送し、営業開始する |