1978年 コンピューターの導入につき、一年間のプロジエクト委員会を構成。これは1泊2日( 53.7/22-7/23)の合宿時のとき。クーラーはない時代。電電公社のDRESSシステムは1年間の準備期間のあと本稼動した。今考えてもすばらしいシステムであった。のちにニチメンからシステムをオフコン用に販売したいと申し出あり、ビジネスに向けて動き出したがオフコンのメモリ不足で実現できなかった。また当時としては費用は相当の価格で、月々80万円からのスタートしたレンタル料金であった。多い時は100万を超えた時もあった。当社の電算システムは電電公社の後、大阪商会/NECを2世代へて、パソコンの市版ソフトである「弥生」になってゆく。
写真右下の端末はディスプレイなし、漢字なし、紙テープに穴をあけて入力する、テレツクスと同じと思えばよい。朝8時から夜8時までの時間制限がありました。