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新・木偏百樹

いちょう

銀杏(イチョウ)、公孫樹(イチョウ)。
鴨脚樹(おうきゃく)、白果樹(ハクカジュ)、チチノキ、ギンナンノキなどと呼ばれる。 いちょうの呼び名は江戸時代には、「異朝の木」、「寝蝶」という説もあったが、貝原益軒の「大和本草」では葉が一枚だから一葉(いちょう)と解釈され、名前が統一された。
その後、いろいろあったが、中国で葉の形が鴨の脚、足跡ににているところから鴨足樹と呼ばれ、、鴨脚の宋音の「ヤーチャオ」が語源となった説に変わっ た。
公孫樹は公は祖父の尊称で祖父が植えてもその実を食べるのは孫の代だということだが、実際には30年ほどでギンナンがとれるので、孫というのはオー バーな表現。
イチョウは、イチョウ綱、イチョウ科、イチョウ属
で、植物の大分類から小分類を通してただひとつの種類。ダーウィンはイチョウを生きている化石と言ったが、現代まで残ったのは奇跡としかいいようがな い。
日本に自生はまったくない。全部人が植えたもので、山野では殆ど見られない。神社やいわれのある場所に多く成長が早く、病害虫、公害に強い、刈り込 みに耐え、幹の損傷があっても生きている。
燃えにくく、樹皮はコルク質が発達しているので耐火性がある。火防(ひぶせ)の木ともいわれ、神社や寺などに防火用として。都市緑化樹として利用されるが、塩分を含んだ土壌や潮風には弱い。
日本で街路樹はプラタナスが1番で、枝垂れやなぎが2番、イチョウは三番目である。
東京、神奈川、大阪などの都府県の樹にも指定されていて、東京大学、大阪大学ともシンボルマークはこの葉である。
熊本城を銀杏城と呼ぶ。
イチョウは他の種子植物と違い、動き回る「精子」を持つ数少ない植物、明治29年、東京大学理科大学植物学教室に勤めていた、一画工の平瀬作五郎が 発見。当時の世界的な大発見であった。
このいちょうの木は今も同じ場所で生きている。小石川植物園にあり、入園するとすぐに見つかる。
大阪御堂筋のイチョウは約830本植えられており。南から北へ3キロの両側に植えられている。
秋のぎんなんの季節になるとその悪臭に閉口し、腐った種皮で自動車がスリップするなどの理由で、大阪市は雄の木を増やした。それでも雌の木が150 本ほどあり、50万粒のギンナンが実っている。
材は淡黄色で、心材と辺材の色の差はほとんどない。加工は容易であるが耐久性は低い。大量に使われることはないが、古くから、この木の特性を活かし 使っている。碁盤や将棋盤用としてはカヤよりは、数段廉価だが、カツラよりは高く評価されていた。彫刻、漆器木地。中華料理ではマナ板は総てイチョウで 丸太を切り小口面で使う。
いちょうの葉は神秘的だ、落葉するときには一斉で1時間足らずですべて落葉してしまう。
また群馬直美さんの「木の葉の美術館」のように、しけしげと見ると航空写真で見る鉄道の操車場のようにも見えるし、葉脈が浮き立って娘の髪のようだ 。江戸末期から明治にかけて「銀杏返し」という髪型があった。
左右に分けて銀杏の葉の形に結い上げていた。英名の中にも、maidenhair- treeとは乙女の髪の樹という。
昔から本の栞にイチョウの葉を利用すると紙魚(しみ)が防げるといわれる。この木の殺菌効果によるものだが、本を読むときにこの葉の栞を見るとゲーテの「銀杏」が思い出される。古都ハイデル ベルグに植えられた、いちょうを見たゲーテは晩年ひそかに愛した人宛てにイチョウの詩を書いて送った。
学名
Ginkgo biloba
イチョウ料
イチョウ属
英名
Ginkgo、maidenhair-tree

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