ブナは日本の広葉樹のうちで最も蓄積が多く、ほとんどが自然林。青森県と秋田県にまたがる白神山地は、ブナ帯の象徴として、世界遺産に指定された。大阪には国の天然記念物に指定された和泉葛城山のブナ林がある。しかし、現在では枯死木が目立っていて、直径が30cmを越えるものが約200本で、指定された当時の1割程度になっている。
私が木の業界で働いて間もない頃、先輩から「ブナは木偏に無と書くが、使い物にならないから昔から木ではないと言われたんや。それが今では出世したもんや」と聞いた。多くの業界人もそう言う。しかし調べてみるとこの話はまったくの間違いである。「無」という文字は元々人が舞う形を表し、木が多く繁っていることも表している。「無」の文字には有無の意味はない。のち文字が仮借され、本来の意味
が忘れられた。木では無(な)いと言われたのは、建築材としては不向きということであった。変な理屈をつけた木材業界は責任がある。
ブナの堅果は食べられ、また灯油・食用油がとれる。クマは皮ごと、サルは丹念に一粒ずつ皮をむいて食べている。人でも生で味わえ、乾燥させて軽く煎ると香ばしい。私のように酒飲にはぴったりのつまみになる。
日本のブナはその時代の都合で人間に翻弄されたかわいそうな樹木と思う。大正時代まで、利用価値がないとされ、薪や家庭用の日用品として産地あるいは消費地で利用されていたが、戦争中は飛行機用の木材や、パルプ材として急遽伐採され、戦後は、役に立たない木といわれ住宅政策の犠牲になり、撲滅運動まで行われ、建築用の優等生であるスギにとって変わられた。しかし、他の広葉樹資源の不足などから、利用技術が改善され、数十年前から一躍重要な木材工業の原料になった。ブナの良さがわかるといっせいに使われだし、天然林は少なくなった。
木材の加工性は中庸だが、乾燥によって狂いが出やすい。伐採後直ぐに薬剤処理をしないと、変色や腐朽をおこしやすく、伐採から乾燥まで速やかにする必要がある。一週間も放置すると、小口から1m以上も変色する。
木材の用途では弾性・従曲性があるので曲木にし易い性質があり、曲木家具に適する。
その他、靴木型、運動具材、漆器木地、玩具、船舶材、ピアノ部材など。パチンコの裏板には最適である。パチンコの発達とブナは一緒に歴史を刻んだ。玉が走る化粧板の裏にはブナ合板が使われていた。真鍮の釘の保持力がいいし、何よりも音が良いのである。いろいろな木を先人たちは試したが、ブナ合板が一番という。
私はクラシック音楽鑑賞が趣味で、高校の時にオーディオを組立てた。スピーカー、アンプ、アームなどのユニットを別々に購入し自分で組み立てるのである。当時からオルトフォンはカートリッジの高級品だったので手が出なかったが、今年、同社は日本で世界初の木製カートリッジを発売し、主要オーディオ5誌の全ての賞を受賞。すごいことである。ビクターのコーン紙を木で作ったスピーカーも衝撃的だったが、今年は木がオーディオ界に新風を巻き起こしている。ちなみに毎晩原稿を書きながらこのスピーカーを愛用している。
小塩節さんの「木々を渡る風」にはドイツのブナの知識か紹介され、訪ねた営林署長さんの話として、「森でにわか雨になったら、ブナの陰に寄れ、しかし、しばらくしたら離れろ。大量の水がざあと落ちてくる」とある。木が漏斗(ろうと)のようになっているのだ。樹冠の直径15メートルほどの木で葉は60万枚もあり、総面積1200m2もあるという。
かつてヨーロッパでは、ブナの広大な自然林を「森の母」と呼んだ。属名のFagus は「食べる」を語源としているように食料としてよく利用された。実を豚の飼料として利用するため、放し飼いにする養豚林さえある。ブナ林で飼育された豚の脂身は旨いという。欧米のブナの枯葉はマットの中に入れる詰め物としては、なかなか圧縮されなく、7-8年は持ち、香りは緑茶に似た芳ばしい香りでワラよりも良いといわれる。ヨーロッパの林業家の言い伝えに、「ブナは夏に、オークは冬に伐るべきもの」というのがあるが、夏に伐採すれば、冬より3倍長持ちすると言われている。また科学的根拠はないが、ブナには雷がめったに落ちない。「オークは避けるべし、トウヒから逃げよ、柳には近づくな、ブナを探そう。」のことわざもある。
ゲルマン民族はブナの樹皮や板に引っかくようにして文字を書いた。英語のBookを辞書で引くと、古英語はブナの木を意味し、樹皮に字を書いたため「書物」となったとある。
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