私が中川理事長にお仕えし、仕事をごいっしょにさせていただいたのは昭和五十八年四月より僅か五年半の短かい期間でした。
この間、数々のご教訓やご指導をはじめ、ときにはお叱りなどもいただきましたが、なかでもとくに感銘をうけた氏のお仕事振りを回想し、その遺徳を偲びたいと思います。
氏が木材団地の理事長に就任されたのは昭和五十六年五月で、その翌年迎えた組合創立二十周年を契機にこれからの木材団地をいかに活性化し、組合事業をどのように展開していくべきかに思いをめぐらされていたようです。
その第一歩として二十一世紀を目指した長期ビジョンの策定に取り組まれ、とくにその中で、この木材団地が活力を生み出すには、この「あたらしき大地」を名実ともに木材の情報基地とし、木材産業振興の拠点とすることを強く主張され、われわれにもよく説得されたことを想い出します。
ちょうどその時期、この主旨に適合した林野庁の「木材利用普及研修センター(ウッドリーム)設置事業」に着目され、他に先がけて当団地に全国第一号の施設を建設することに大変な意欲を燃やされ、そのためにわれわれに対して多大な資料作成を要求されるなどして忙しい毎日を過さざるを得ませんでした。
そのための企画立案から完成まで凡そ一年半という長い期間を要しましたが、この間、寝食を忘れ、日夜没頭されたご努力ぶりがいまも私の脳裡からはなれることはありません。
中川理事長の"木"に対する愛着と木材需要開発への意欲は人一倍旺盛であり、それだけにこのウッドリームの建設には終始、労を惜しまず、精魂こめて取り組んでこられたこともあって施設が完成した時には、関係者の祝福のもとにそのお喜びは計り知れないものが窺われました。
おそらくこの素晴らしいウッドリームの施設は中川理事長独自の創造的企画力と優れた実行力によってつくられたといっても過言ではありません。
今後ともこのウッドリームを木材団地のシンボルとしてその存在価値を存分に高めていくことがわれわれの務めであり、又それが中川理事長のご遺志に沿うものであると確信しております。
末筆ながら謹んで氏のご冥福をお祈り申しあげます。