何事ならんと少々身構えた私を前に、「今度、花の万博の関係で、府の馬場が一時移転になり、君の会社の連繋の建設会社に移転工事が定まり、木材を納めることになった。
その打合せに建設会社へ行くので、一緒に来て欲しい。
」とのこと。
事情も良く分からぬままに同行させていただきました。
既に大体のことは定って居る様子でしたが、柱の太さとか、使う材料等々について持前の常識で建設会社の担当社員を煙にまいて話しを決めると、忙がしそうに、颯爽と、足早やに出て行かれました。
その後、中川社長の御意向で、この納材はあたかも当然の様に吾々の会社を経由することになり、思わぬ小使い稼ぎをさせていただきましたが、平常新らしい流通と云うことにうるさい社長の、案外旧式な一面を垣間見た思いがしました。
中川木材さんと、吾々の会社との商売上の御附合いは色々ありますが、中川社長には、吾々のコンサルタントとして色々な面で教えていただいたと云う方が当って居るでしょう。
先生の流通の本が出版された時、吾々の広島の支店関係の得意先で組織して居る「中国スミリン会」で、流通の話をお願いしたことがあります。
待ってましたと、心良く引受けていただき、長時間の講演を、聞く者をあきさせない話術で魅了しました。
内地材の問題、流通の問題、建設省関連とか、農林省関連とか、口をついて出て来るのはいつも日本の木材の大局の話ばかりで、いつ自分の会社の仕事をして居られるのだろうかと思って居りましたが、冒頭の話の様に、小さな商売も決して忘れて居られない一面もあり、吾々を面喰らわされました。
木材を見直し、普及させることに殊の外熱心な先生でした。
最近、木材も徐々に復権しては居りますが、「まだまだ、もう少しやりたかった。
」と、残念そうなお顔が目にうかびます。
毎年催される中川木友会の打上げの席で、中川木材店の社歌を声を張り上げて歌って居られる御姿が昨日の事の様に偲ばれますが、今後も天国から至らぬ吾々を、見守り応援して下さるものと思います。
安らかにお眠り下さい。
合掌