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母君を心配させた艶話

山田義康
中川藤一君と私とは、同じ大学に入学し、同時に卒業した、ということ以外に、共通点は殆どない。

しかし中川君は、私にとって永遠に忘れ得ない懐しい友人である。

その出会いは、大学一年の昭和一五年夏、大学の馬術部員であった中川君が、合宿練習のため、メンバー四名と共に、私の郷里、徳島市へ渡る連絡船の中であった。

その船中で中川君は、例の童顔に笑みを絶やすことなく、紀州の生家や三重高農のことを話していたが、その端々に、同君の優しく頼り甲斐のある性格や、育ちの良さを示す大らかな人柄が滲み出ていた。

この船の中の話を、更に続けたいと願った私は、今晩一席もうけるから、全員出席して欲しい旨を述べ、快諾を得た。

その晩、夕食を済ませた一行は、徳島市U町の私の馴染みのお茶屋に集まった。

芸者も六人か七人現れた。

ビールを飲みながら雑談をしているうちに、何時の間にか芸者の大半が中川君一人を取り囲み、同君から離れようとはしなかった。

その頃、U町で最もはでに遊んでいた人種は、材木屋の主人達であった。

中川君は、裕福な材木屋の御曹司であり、優しく大らかで快活なスポーツマンであったため、忽ち、芸者のアイドルになって仕舞ったのである。

宴が終る頃、芸者の全員が『明晩も呼んで頂戴』と声を揃えて懇請した。

そこで、私が中川君に、徳島滞在中、余暇があれば毎晩でもこのお茶屋で遊んで宜しい、但し、一人で一人の芸者を呼ぶ一対一の遊びは、絶対に許さない旨を述べると、芸者達は、中川君を中に嬌声を揚げて喜んだ。

このようにして、中川君と芸者達の交際が始まったのであるが、芸者の中に超一流の名妓と歌われたF嬢が居り、同女が中川君に特別の好意を示したため、その後も、両名の交際が続くことになるのである。

私は、翌一六年夏、兄が召集解除となり帰家したので、徳島を離れて勉強し、司法試験に合格した。

これを中川君が祝福して呉れたことはいうまでもない。

そして昭和一七年九月、共に大学を卒業したが、中川君は、直ちに召集されて信太山の連隊に入隊した。

入隊まもない頃、前記のF嬢が同連隊へ面会に来たのである。

その後、私も面会に行ったが、そのとき偶々御母堂も来合せており、F嬢のことを熟知していた御母堂から『大事な息子を悪い遊びに誘わないで呉れ』と叱られた。

私は、只管謝罪するのに終始した。

しかし、私としては、中川君に対し『一対一の芸者遊びは絶対に許さない』旨を、厳重に注意してあったので、同君は、終生この注意を、厳格に遵守したもの、と今なお固く信じている。

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