常に人を立て、自分は脇役に徹した行動は常に見習うべきものがあったと思う。
ちょっと木材人らしからぬ風貌、少々鼻にかかった声、爽やかな理論と話し振り、いかにも智恵者の印象、人の世話の親身な事、私の頭の中にある中川さんは以上のような人だった。
二十年程前今日の日本木材同友会の前身の林青連OB会が開催された京都での懇親会の場で、たしか「白扇」と「黒田武士」だったと記憶しているが、玄人はだしの舞を披露され、メンバー初め芸妓衆からもヤンヤの喝采を受けられた事・又よく京都の祇をんを利用されていた事など驚きと共に「粋人だなあ」と地元の私も感心した、木材人の政治的にも、経済的にも常にその対応のまずさ、協力のなさについて、いつも切歯扼腕していたのではなかろうか、中川さんが先頭に立って進もうと思って振り返って見れば誰も付いて来ないと、私に漏らされた中川さん、中川さんの寿命を縮めさせたのは吾々後輩であり、業界人ではなかったろうか、家族を愛し、自社を愛し、木材を愛し、業界を愛し、組織を重視した中川さんの行動と足跡を今一度吾々も見直す必要がありはしないか、常に先に見据えて、自分を顧みる事がなかった、止むに止まれず無理を承知で、自分の身体が蝕ばまれていた事を中川さんは知っていたに違いない、私は只先達を失った私達と業界の損害の多大である事を思い起し、精進する事が亡き中川さんの冥福を祈る術である事を確信する合掌