昨年五月、花外楼にて催されました関西大正会の例会でお元気で「内田君」と声をかけていただき種々とお話しを伺いお得意の「北国の春」も聞かせていただきました。
何時お目にかかりましても闊達で快く応待して下さった中川さん。
御本業の木材については御造詣深く数々の御著書もあり学者であられた中川さん。
芸術についても一家言をお持ちになり美を限りなく愛された中川さん。
中川さんとは今は亡き若木寛さんを通じて知遇を得ましたが、関西大学の先輩でもあり共通の知人も多く、御家族をはじめ会社のお仕事もさせていただく様になりました。
昨年六月私は突然ゴルフ場にて発病、国立循環器病センターに運ばれ検査中、大動脈瘤破裂の為緊急手術をうけました。
約四十日間人事不省・昏睡状態が続きましたが運好く九死に一生を得て八月末、ドクターのすすめもあり退院自宅静養という事で今日に至りました。
九月五日突然中川さんの訃報に接し愕然といたしました。
更にその後紙野省一さんから詳しいことをお伺いいたしましたところ、私と同じ様なご病気の由に更に驚いている次第であります。
昭和五十六年から始まりました大阪を中心とした関西に於けるホテル戦争の中で昭和五十八年五月大阪ターミナルホテルにスタジオをオープンすることが出来ました。
中川さんにお話しを申しましたところ我が事の様に喜んでいただき中川木材店オリジナル商品の掛時計を贈って下さいました。
今も同ホテルスタジオに飾らしていただいております。
あの時計を見る度に心優しく素晴しいリーダー中川さんを思い出して参ることと存じます。
後継者の御子息も立派に成長して夫々中川さんが遺された御事業を守り更に発展させてゆかれることと存じます。
中川さんお別れの言葉は書きません。
どうか安らかにお眠り下さい。