多忙な毎日を送られていることは聞いておりましたがあんなにお元気な人がと残念でなりません。
思えば社長さんと私の始めての出会いは、昭和三十九年紀陽銀行御坊支店長として御坊の地に参りました時です。
支店の取引先株式会社中川木材店の社長さんは月に一度は支店へ立寄られ、木材界製材界について高い視野から御意見見透しを聞くことが出来ました。
温厚な人柄と天性の教養は今も忘れられません。
丁度事業所は大阪府下でしたがご両親が御坊の本宅で御健在でしたが非情に孝養を尽された姿に敬服を致しました。
昭和四十年の四月十八日、ご両親の金婚式が行なわれ、御坊の名士、又名門中川家の御親戚が一同に会しました。
その末席に若輩の私が招待されました。
その当時出席された方々の記念写真をみるたびに中川社長さんの若さと知性を感じます。
次は中川社長さんの御夫妻の金婚式はご両親と同じく御二人健在で迎えて頂きたかった。
御三人の息子さん達の企画で盛大に行なわれて欲しかった。
私も是非祝福のエールをお送りしたかった。
その後、昭和五十六年大阪支店長として参りました節、株式会社中川木材店の事業の拡大と共に私共の大阪支店の取引先となっておられ、変らぬ御引立を賜っておりました。
久方振りの再会で社長さんのあくなき事業への追求と住宅産業への前進への情熱で社業は順調に発展し私も会社の取引先との定例的な会合、又見学会にも同行させて頂き大変勉強になりました。
芸術を愛されたことも有名で、あの多忙な人がこんなに深い造詣をと敬服致しました。
長男の現社長さんも倶々事業に専念されており後継者造りにも意をもちいておられました。
御三人の息子さん達が木を愛する職でこれも社長の心強い支えであったと思います。
昭和六十年に和歌山の木材製材界の私共銀行の取引先の木陽会の会合に出席され「木材流通における物流と商流」という演題で御講演をされました。
昭和六十年は内地材元年だと木を研究し愛された社長のお話でした。
講演が終り「土岐さん元気ですか」とわざわざ声をかけて頂きました。
変らぬ笑顔は始めて会った御坊の時と同じでした。
私も長い銀行生活の中で数多くの人に出会いをして参りましたがこんなに出会った人を大事にしてくれた人は数少いと思っており、自慢をして参りました。
思えば他界されるのが余りにも早や過ぎた。
残念でなりません。
心からご冥福を祈っております。