それまでに既に、中川さんは、全国的に著名ではありましたが、全国間伐小径木需要開発協議会、全国ログハウス振興協会、全国木材利用普及施設連絡協議会などの国産材時代の到来を先取りするような団体の組織づくりとその運営に当たられるようになりました。
また、木材流通について母校三重大学の講師としての教育活動に加えて、求めに応じて全国各地で自説の講演をなされるなどわが国の林業、木材産業の振興という点にはっきりと焦点を据えて幅広い活動を展開されるようになりました。
そうでありながら、私は、あえて「大阪の中川さん」と呼ばせていただきたいと思うのです。
たとえば、「ウッドリーム大阪」は、大規模木造建築物の普及と木材利用のための研修機能を備えたわが国で初めての施設であり、その実現は、ひとえに中川さんの功績といってよいものです。
特に、建設に際しての設計コンペの実施は大阪の建築技術者に何とかして時代のニーズに対応した木造建築技術を根づかせたいとの発想から生まれたものであると考えられます。
また、アメリカのワールドフォレストリーセンターとの提携は、大阪の国際化という大阪府の行政にとっても最も重要な課題の一つを、林業、木材産業という場を通じて実行に移されたものであり、中川さんの行動力や国際感覚の鋭さを如実に示すものであります。
そして、このような業績の原点には大阪をよりよい都市にしていこうという思想が流れているように思われます。
さらに、ウッドリーム大阪では毎年秋にウッドフェアが開催されておりますが、これも木材需要の拡大はもちろんのことですが、何とか地域の活性化を図って行こうという、いわば大阪という地域に密着した活動であります。
最近の中川さんの活動は、伝統ある大阪の木材業界の大阪木材工場団地という確固とした基盤の上に立って、ご自身の一方ならぬご苦労から得られた生きた知識を後進の人たちに伝えて行こうとするところにポイントがあったものと理解しております。
そして、そのことはとりもなおさず、大阪の産業や、地域の発展につながっていくものであります。
中川さんの亡くなられた今、ひとしお胸に迫ってまいりますのは、わが国の林業、木材産業だけではなく大阪にとって誠に有為な人材を失ったということであります。
謹んで中川さんのご冥福をお祈りする次第でございます。