当時私はクラブ会長だったからでしょうか、何かと御相談を、お受けしました。
入会わずか5年目でクラブ幹事に推薦されたときも、どうしたものかと、たしか尋ねられたと思います。
幹事はクラブ運営のかなめといわれ、一番手間のかかる役目ですが、是非やってくれと、いわれれば喜んで引受けたらと申上げた記憶があります。
それから5年たって今度はクラブ会長に推薦されたときも、同様お話があり、これもおすすめしたことを覚えています。
何でも立派にその職務をしとげられたことは衆目の一致するところです。
ロータリーについての、お世話は単にクラブだけに止まらず、約七〇ものクラブを包括する国際ロータリー第二六六地区の委員、更には委員長の要職も引受けられ輝かしい業績を残されました。
さすればこそ一九八九年の地区年次大会において、その功績をたたえられ、全く異例ともいえる地区表彰を受けられたのも、むべなるかなと存じます。
海外旅行もお好きなようで随分私も、お供させていただきました。
いつも奥様と御一緒で、はたから見ても実に楽しそうで羨しくさえ思いました。
桂林の漓江下りも、お気に召したようでしたが、中でも香港は度々御一緒させていただきました。
買物での圧巻は中川さん紹介の洋服屋で到着日に発注し滞在中に仮縫をすませ帰国後別送荷物で受取る方法です。
中川さんの注文ぶりは私などと違って、びっくりするほど相当なもので、終りには明治時代の人しか知らない「トンビ」まで注文される始末、さすがこれには、あいた口がふさがりませんでした。
北欧を廻ったときは、丁度留学中の御子息と現地で一緒に旅行できたことは、中川さんにとっては一番印象に残ったのではないでしょうか。
中川さんとは、ほんとうに名残りおしい限りですが、御立派に成長された御令息達が充分御遺志をついで行かれますので、御安堵の上、安らかに眠り続けられることと存じます。
合掌