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故中川藤一君を偲んで
関西大学十七会  南 静
私と中川藤一君との出会いは昭和十五年四月、彼が三重高農を経て関西大学経営学部商学科に入学され小生も関大予科を経て法文学部法律学科に入学した時であった。

関大和歌山県人会が諸先輩方の御世話にて催された際同期の学友、中川藤一、岩本諭一、竹田健一、西中丈夫(以上故人)加藤道宜、小生等が諸先輩方と共に一同に会し呑み且喰い放歌高吟して青春を謳歌し親交を深めたのが初めでそれ以来の盟友であった。

同県人、学友として良き友であり卒業後も十七会等にてお逢いするのが楽しみの一つであった。

彼は馬術部に小生は剣道部に籍をおき共に体育関係の所属部で汗を流した。

或る時は道場にて彼と剣を交えた事もあった。

最高学年時に彼は馬術部主将小生も剣道部主将としてお互いに部の為に力をつくし青春の血をたぎらせたものであった。

彼との想い出は数々あるけれども忘れられない事がある。

それは昭和十六年の夏、休暇にて帰省中であった小生が上京する弟を国鉄串本駅に見送りに行った時車窓より大きな声で小生を呼ぶ者がいた。

それが彼であった。

(馬術部の後輩と同行)とに角下車をすすめ串本、潮岬の見物をすすめた。

串本、潮岬を案内し小生の実家にも立ち寄って頂いた。

途中彼が云いにくそうに「実は熊野各地を旅して遊びがすぎ旅費か足りず途中白浜までの切符しか買っていない。

少々融通して欲しい」との事、お安い御用と当時のお金で五円か拾円をたてかえた。

偶然の駅の出会いであったが彼のホッとした顔が思い浮かんでくる。

その後彼と逢うたびにその時の話が出て何時までも忘れられないと彼と私との生涯忘れる事の出来ない想い出となった。

彼は非常にまじめで勉強熱心であった。

又特に乗車には優れていた。

常に我々の良き友であった。

昨年九月彼の急逝に驚き余りにも早い別れになってしまった。

十七回総会に又沖縄旅行に逢えるものと楽しみにしていたのだがそれもかなわずになってしまった。

大阪の教会での御葬儀に参列させて頂いたが奥様をはじめ御遺族の皆に言葉をおかけするに偲びずお声もかけず失礼してしまい申訳なく思っている。

心から中川君の御冥福を祈り御遺族の皆様の今後のご多幸をお祈りしつつ想い出の一端を書きつづり投稿させて頂きます。

合掌平成元年二月二十日

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