全くもって、月日のたつのは早いもので、中川先輩がなくなられたのが、つい昨日の様に思いますが、はや半年もたってしまいました。
しかし、この間、数々の大きな出来事がございました。
昭和天皇のご崩御、リクルートの問題、消費税の諸問題、そして大喪の行事等、また経済面では、内外で、好調なのはよろしいのですが、昨年末の予想では、円高の筈が、円安の方向に対ドル為替が動いています。
そこへ自民党の退潮傾向もあって、政府が動揺しております。
世の中の移り変りは早いというものの、先輩がなくなられてからというものは、その動きはあまりにも烈しく、又目まぐるしいので驚いております。
若し、先輩がご存命だったら、どうおっしゃるかと考えますと、まことに淋しく思います。
私にとって、トレードマークの様になっているあの温厚なお顔は、忘れがたいものでございます。
何時お会いしましても、にこやかに応待をして頂きました。
その上、後輩には、大変面倒身のよいお方でございました。
今でも印象に残っておりますのは、昭和三十五年、木材界で初めて木材祭をすることになった時でした。
大青協と親尚会と一緒になって木材祭の準備のため、打合せがございました。
私も親尚会の学芸部から参加させて頂きましたが、若輩で何も知らない私が、ふとしたことで発言してしまったのです。
あまり突然だったので、びっくりされたご様子でした。
大変ご迷惑をおかけしたことと思いますが、そこは上手に取り上げて恥をかかさない様に、ご配慮して下さり、私はほっとしたことを覚えています。
尤も後になる程、このことを思い出しては、すっかり感服させられているのでございます。
先輩は大青協を愛し、大青協の活動には、ことのほかご理解があり、又大変熱心なお方でしたので、その後、私も大青協に在籍中には、何度もお世話になり、いろいろと、ご指導、ご支援を頂まして、今も感謝の気持で一杯でございます。
何れは、業界のトップリーダーとして、持ち前のファイトで業界のため、大きくご尽力されるものと、期待されておられましたので、突然の訃報に驚き、先輩のご逝去を惜まれた方は多かったことでしょう。
ここにあらためて、中川先輩のご冥福を心よりお祈り申上げます。