次は君や」と中川さんから云われました。
ビール片手に、いつものやわらかい雰囲気でソフトに云われてしまうと「やらなあかんのかな」と思ってしまいました。
大青協の会長のことですが、この様な団体の役は、決してなろうと思ってなれるものではありません。
成瀬さんに紹介してもらって入れて頂き、海堀さんに人材育成委員長になれと云われて引っぱってもらいその後数年アクティブになり、そしてその後何となく疎遠になりつつあった大青協に、私を引きもどして頂けたのは中川さんでありました。
私は組織のない、指導者の少ない小企業に入社しましたが、その私にいろいろの刺激を与え、やる気を与えてくれた大青協。
お金では買えない得がたい先輩友人にめぐりあわせてくれた大青協。
いろいろ勉強する機会を与えてくれた大青協。
このすばらしい大青協の会長になれたのは、あのときの中川さんのひとことであった様に思います。
中川さんとは、中川木材店との商売を通じて、全国ログハウス振興会の中川さんが会長であり、私が理事として、その他私が一時入れていただいていた十日会を通じて、又ロータリーを通じて等々ほんとうにいろいろのおつき会いがありましたが、何と云っても大青協の会長になるきっかけを与えて下さった中川さんと云う存在は忘れられません。
どなたでもそうでしょうが、何か困ると中川さんを頼って相談し、よいアドバイスをもらって勇気づいたものです。
中川さんとはしばしば日航の伊丹七時二十分始発で一緒になりました。
羽田のモノレールから浜松町まで、いろいろとお話しを伺い乍行ったものです。
ほとんどの場合農林省へ行かれることが多かった様に思いますが、頼まれたらいやとは云わずに何んでも一生懸命に務められました。
中川さんがいってしまわれて、淋しさが日増しにじわじわと出て来ます。
中川さん、御苦労様でした。
ほんとうに御世話になり有難うございました。
合掌