「中川さんが会議中に倒れ、入院された。
」と親友多田君からの電話に、あんなにお元気で活躍しておられた中川さんが………と一瞬わが耳を疑い、絶句してしばし声にならず、入院された病院名を聞くのがやっとであった。
一時的な発作で、早くお元気な姿に戻られることを念じつつ帰宅し、家内に話しをしたところ、「近畿大学附属病院に外科医の親戚がおるので電話してみる」とのこと。
帰宅時間の不規則な先生からの連絡を待ちつづけた。
たまたま中川さんを執刀された先生が、親戚の奥先生で、詳しく事情がきけた。
「心臓の手術はうまくいき、最善の治療をつくすが、多くの余病があり、少し時間がかかるだろう」とのこと、「何卒よろしく」としかお願いのしようがなく、われながらの無力を嘆くのみであった。
丁度十八年前、大青協会長の任期が終ろうとしていた時に、林青連(現木青連)の研究担当委員長を、大青協が引受けることになり、その役を命じられた。
全国的な重要ポストで、私には余りにも荷が重すぎ、その役を断るべく、中川さんにお願いに伺ったところ、「人に請われて受けるが花、自分から望んでも、その役はさせてくれない」と諭され、引受けざるをえなかった。
何とか長野大会の研究発表も無事終え、その間各地を廻って、多くの人々と出会い、良き友人を得ることが出来たのも、中川さんの力強いお推めの言葉があったからだと、今もって感謝している。
人にもいわれたことを、ご自身も実行され、多くの要職に推されたのは当然で、引受けた役職遂行のためには、わが身をかえりみず全力をつくされた。
永い在任中には難問題も多かったことと思いますが、その責任感とご努力には、頭が下がる思いがすると共に、どうしてご自身の健康をもっと大切にしていただけなかったのか、悔まれてならない。
大先輩として、お教えを受けたことは、余りにも多く、筆舌に尽くせませんが、幸いにも、奥様はじめ、立派なご子息が、ご遺志を守っていかれることを信じ、中川さんのご冥福を、心よりお祈り申しあげます。
合掌