かいこうの底に秘められている出合いの糸のつながりである』とこころの杖のことばの一節です。
私と中川さんとの出合は今から拾年前位になりますが親友角田さんに紹介され中川さんを知り、以来おつき会を重ねる歳月のうちに益々其の豊かな人間性に心をうたれ尊敬の念を人一倍抱いて居りました。
其の知識派で有り行動派の中川さんが会議で倒れられたとの耳を疑がうお報を受けました。
一日も早い御快癒を神にお祈りし奇蹟を信じて再会を夢見ておりましたが天は誠に無常なり、御家族皆々様の献身的な看護も空しく天界に召され逝く余りにも果敢無い人の運命ではないでしょうか惜しい人を亡くした慙愧に堪えません。
月日は人の衰楽にかまわずに過ぎ去り行く。
早や五十日祭のしのび草を頂戴す御家族皆様の樹をこよなく愛したお父さんをお慕するお心が文面からジーンと伝わって参りました。
『立派な家族だなあー』と最愛の奥様お子様達の中に尊敬するお父さんとして生き続けて行く事と信じます。
私の賀状の交遊の中にも今年も数十人得難い方々が鬼籍の中に入り、御家族より悲しい便りを頂戴す。
中川さんは毎年誰よりも一味違った賀状でした、昨年は龍の落し子が仲良く語り合う中に更に一筆『業界も大いに変って行かざるを得ない年になりそうです御指導願います』と奥様と肩を並べて居りました。
今年は奥様とお子様と連名の御挨拶状でした。
胸がつまりました。
人の生命に予約も出来無い保証も不可能ひしひしと身につまされる。
八面六臂の故人の面影を……私が偶々府木連の文化展の担当を仰せつかり中川さんに委員長の采配を振って頂ただき、自作確か「御坊の海」でしたか入賞受賞式に奥様と始めてお目にかかり其のお人柄に接し一期一会の尊さを知る、其の時私に「篆刻」を始めなさいと、私は中川さんみたいに器量人では有りませんと申上万能選手に脱帽致しました。
文化の灯は消してはならないと府木連が長年続けた文化展を財政上の理由で中止をした時救世主の如く心良く其の儘のスタイルでお引受下され有難う御座いました。
故人が尊敬した升田さんの、しのび草の編集委員として抜群の感覚てきぱきと事を決め升田さんの好きな茶色でお包みし見事に表紙を飾りました。
故人は亦府木連のイベントの良き理解者であり全国植樹祭の折ログハウスを出品間抜材の普及に活動されました、昨年十月八日ウッドリーム大阪で全国よりの応募作品は大成功裡に開会松田林野庁長官のテープカットの挨拶で中川さんの偉大なる足跡に賛辞を送っておりました、数々の御労苦が報いられ叙勲の栄に浴す、あなたが残された国産材時代の戦略は後世の大きな指針となって木材業界に輝く事と存じます。