昔から産業資材として、木材は最も重要な材料でした。江戸時代の生活品の素材のほとんどは木製品であり、建築物の構造や造作も木材が使用されていました。インフラとなる道路、橋、河川や港湾工事には土と木材が利用され、そのため土木という言葉が生まれました。
戦後、木材のビジネスが自由になると、戦後復興の影響もあり、住宅と土木工事が急激に増加しました。旺盛な需要に応えるために、新技術や新素材の開発が進み、これが日本の産業を支えていきました。素材別にみると、鉄やアルミ、ガラスなどが台頭しました。特にアルミや鉄などが木材の分野に進出してきました。例えば、日本で初めての万博が行われた1970年頃には、新築住宅の三分の一は木材代金と言われていましたが、現在では1割程度にまで減少しました。
また、土木分野では土留め用の矢板が主に木材で、建物の杭には丸太が利用されていました。この時代に当社の基礎が築かれました。木材統制令以後、当社のビジネスは主に杭や丸太、木矢板の販売でした。しかし、時代の変化とともに、特に鉄やコンクリートの進出により木材の利用は減少していきました。同業他社が廃業や整理、業種変更を余儀なくされる中で、当社はこの分野での事業を守り続けてきました。これは当社にとって創業来の分野であり、歴史の中で大切にしている事業の一環です。
和歌山県御坊市において、寛文年間(1661年)より代々続く中川藤吉家の山林業から独立し、中川計三郎商店として、明治44年に近畿、中国、四国地区で素材の生産業を創業しました。戦後、木材統制令が廃止されると、中川木材店大阪店を開設。中川計三郎(7代目)が代表取締役社長に、中川藤一(8代目)が代表取締役専務に就任し、資本金200万円で株式会社を設立しました。
以後、土木用の杭丸太や木矢板の供給により、会社は急速に成長しました。販売先はゼネコンや木材会社などで、資本金も増加しながら木材分野での拡張を進めていきました。その後、木材会社向けの卸業務や住宅用の木材販売に進出し、特に昭和50年代後半からは日本生命、三井不動産、東急不動産などのディベロッパーからの指定を受け、分譲住宅への大量供給業務を開始しました。
昭和63年、中川藤一が急逝し、後を中川勝弘(9代目)が引き継ぎました。平成時代には木材業界にも大きな変化があり、当社はエクステリアなどのメーカーとしての方向へ進化しましたが、創業来の仕事である土木用木材は現在でも専門会社として高い評価を受けています。下記はこの部門に関係する。
中川木材産業ではさまざまな媒体から取材依頼を受けます。木材部門は創業よりあらたなことにチャレンジし、業界をのパイオニアでしたからでしょう。取材は広告を伴うもの遠慮していますが、媒体の種類や業種などは気にせずに、率直かつ誠実に受けております。会社規模に比較して多くの取材をうけていることが中川木材産業の企業文化のひとつです。新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどで中川木材産業関係の報道回数は1000回を上回ります。下記はこの部門に関係する記録です。
一般的に、木材業は主に住宅用木材を扱う企業が多いです。大規模な木材企業には、プレカット工場を有するものもあります。当社は以前、ディベロッパー向けに住宅用木材の販売を行っていましたが、時代の変化や与信の難しさ、収益の観点から、この分野の業務を中止することにしました。ただし、ゼネコンに納入している仮設材に関しては、他社にはないノウハウがあり、また供給責任もあるため、これを継続しています。
この創業来の部門では、木矢板、杭丸太、バタ角、桟木、ヌキ、ドウブチ、巾木、コンパネ、測量杭、尺角、敷板、造園用丸太、横木、木製キャンバー、防舷材、足場板、そして中古足場板などが扱われています。これらの商品を組み合わせて別注商品を製作したり、最初から考案して製作する構築物などもあります。
仮設用木材は土木工事などで使用されるもので、例えば土砂を留めるために利用される木矢板などが含まれます。土地造成や建物が完成すると、これらの木材は破棄されます。一時的に利用される木材は通常の木材製品とは異なり、第一に一定期間の強度が必要であり、第二に低価格が要求されます。これらの木材は数日から数か月で処分されるため、お客様に見られることはほとんどありません。そのため、予算も制約があり、低価格のものが求められます。ただし、これらの条件を満たすならば、木材の外観や特性はそれほど重要ではありません。むしろ、強度が確保された「わけあり木材」が、低価格であれば好ましいとされます。
例えば、住宅建築用の柱などに使用される角材は通常、角がきっちりしていますが、土木用の角材は角に丸みがあります。これは、丸太からできるだけ多くの本数を取り出すため、丸太の外側を含んで製材されるためです。本数が多く採れるため、価格が安くなります。バタ角(端太角)と呼ばれているのは、丸太の端から取り出したことを指しています。
昭和の時代には、建築時の足場に利用される「足場丸太」という丸太の需要がありました。1970年の日本初の万国博覧会の「せんい館」では、そのまま建物デザインに採用されました。現在は鋼管パイプが普及し、足場丸太はほとんど使用されなくなりました。ただし、造園用の丸太や杭丸太として、材木業者や造園業者向けに販売しています。
当社ではこれらの仮設材や杭丸太などの一部をインターネットで販売しています。通常の木製品とは異なり、これらの商品は重くて大きいため、送料や運送費用が高額になります。特に数量が少ない場合、送料の方が木材代金よりも高くなることがあります。当社に直接引き取りに来ていただく場合は、送料がかからないため、仕事の進行や道順によっては引き取りをご検討いただくと良いでしょう。
近年、店舗の内外装に中古足場板を使用する事例が多くなりました。現在では、中古足場板が一つの素材として市場に確立されています。中古足場板は、建設用の杉足場板を使用した後に回収し、再加工して古材として再販されるものです。これらの板は新品の足場板よりも自然乾燥していますが、釘やタッカー、石、セメント、塗料などが付着しているため、中古足場板の品質によってはこれらを取り除く必要があります。この取り除く作業の前後には洗浄の工程があり、再生商品として製造される過程はかなり手間がかかります。
また、通常の杉板に比べて中古足場板は軽く、曲がりやソリといった欠点が少なくなりますが、その一方で価格は新品の足場板よりも高くなります。
以前のゼネコンの土木関係者は木材の知識も豊富でしたが、現在では世代交代により木材知識を十分に持つ方が減少しています。そこで、土木仮設材のページを新たに開設しました。少しでもお役に立てればと考えております。
材料に関するお悩みはございませんか? 「このような物をつくれないか」「このような加工はできないか」「このようなシステムは出来ないか」など、他社で断られた加工に関するご相談もお気軽にどうぞ。私たちは技術力に自信を持っており、技術力は日本で最もあると自負しております。。
お困りの解決事例をご紹介いたします。
① 特別養護施設の外装にカナダの木材を利用することが指定されましたが、数千万単位で予算が合わず、ご相談をいただきました。カナダから直接木材を輸入し、当社が加工することで、予算内に収めることができました。
② 地方博覧会の会場に広大な面積のウッドデッキを博覧会協会は計画されていましたが、予算が2倍かかることが判明し、デッキの諦めるところでした。そこで当社が予算内で提案し、全面的に施工することができました。会期後には材を引き取り、別商品として加工販売することで問題を解決しました。
③ 土木現場で木矢板の切断作業が多く、大工の手間がかかりすぎるという相談をいただき、それぞれ指定の長さにカットして納材。この提案に対して高い評価をいただきました。