年月 | 行事、催事、受注など。( )内はイベントなどの会期日数 |
明治44年(1911)2月 | 和歌山県御坊市において、徳川寛文(1661)より代々の中川藤吉が継承経営してきた山林業より独立、中川計三郎商店として、伊勢大杉谷御料林、奈良高見山、紀州栃谷山等、近畿、中国、四国地区に於て素材の生産業を営む。 |
昭和22年(1947)1月 | 木材統制令廃止と共に中川木材店大阪店を開設。中川藤一の学友、鉄商吉村商店吉村謙え助店主の好意により、大阪市西道頓堀2丁目吉村商店の倉庫を借用する。住宅は同学友(馬術部先輩)の斉藤機械工場寄宿舎を借り、都島より自転車通勤する |
昭和24年(1949)1月 | 大阪市西区西長堀南通り2丁目24番地に620坪の土地を購入(土地代金坪1200円)大阪店事務所、宿舎及び貯木場を開設する |
昭和24年(1949)4月 | 納税額、23年度約250万円、利益の大半を税金に吸い上げられる |
昭和25年(1950)10月 | 24年度納税額450万円、税金攻勢対策の一環として、中川木材店紀州の本店をそのままとし、大阪店を和洋林産株式会社(竃谷 健社長)に合併し、中川藤一専務となる |
昭和27年(1952)7月 | 和洋林産株式会社 解散 |
昭和28年(1953)1月 | 大阪店を独立、株式会社に組織を変更し、中川計三郎を代表取締役社長に、中川藤一を代表取締役専務とし、社員と廣瀬辰造以下8名、資本金200万円を以て設立する |
昭和28年(1953)4月 | 大阪市大正区難波島にて、村上竜平氏の土地1000坪を借用して貯木場を開設する |
昭和28年(1953)9月 | 池田銀行を通じて、岡崎工業㈱より、大正区今木町1丁目27に約1000坪の土地を購入し貯木場に改造する |
昭和28年(1953)11月 | アメリカシヤトル本社、バークレ商会(林出張所長)に事務所の一部を貸与。日綿実業㈱木材部及び安宅産業㈱木材部と取引を開始する |
昭和29年(1954)0月 | 大阪市港湾局に松杭40尺8寸500本納材し、業界を驚かせる。当時の大阪、最大手の丸五木材さんから「中川が納材できたら、心斎橋を逆立ちして歩いてやる」と役所関係者に振れまわられた。 |
昭和29年(1954)4月 | 阪神杭丸太協会が設立。中川藤一専務は、同協会副会長、全国杭丸太協会理事に就任 |
昭和29年(1954)5月 | バークレ商会の招聘により、中川藤一専務渡米(5/19~6/9)アメリカ、シヤトル、ポートランド、カナダ、バンクーバー、ビクトリア等の木材視察をし、バークレ商会より、米松、パイリング50尺×6寸500本ほかを買付ける。L.Cは三井銀行船場支店にて開設 |
昭和29年(1954)8月 | 大阪市港湾局より、長さ12m未口24㎝450本弊社としては最初の大口受注であった。 |
昭和30年(1955)4月 | 中川藤一専務、三重大学農学部に於て、木材商業論及び木材流通論の講義を担当する(35才、じ後21年間講義することになる) |
昭和31年(1956)4月 | 日綿実業㈱取締役社長岡島美幸と、㈱中川木材店取締役社長中川計三郎との間に於て、杭丸太の輸入及販売に関する業務協定を締結する |
昭和31年(1956)8月 | ソ連材海洋筏、初めて富山港に入港、60尺の落葉松丸太全量を買付ける |
昭和31年(1956)8月 | 神戸淡路フェリー開通により、愛媛の住友化学新居浜工場増設工事にて、西松建設㈱に杭丸太を納材する |
昭和32年(1957)1月 | 松矢板、足場板、パネル、米松角材等、土木建築仮設用材も併せて取扱い、納材業者としての基礎を確立する |
昭和33年(1958)4月 | 大阪木材青年経営者協議会発足に際し、中川藤一専務は副会長に就任 |
昭和33年(1958)11月 | 長野県小諸に出張所を開設する |
昭和34年(1959)11月 | 中川藤一専務、香港、フイリッピン、オーストラリア、ニュージランド、フイジイー島、木材視察 |
昭和35年(1960)4月 | 日綿実業㈱名古屋支店内に、名古屋出張所を開設。伴野通商よりニュージランド杭丸太輸入。中川藤一専務、大阪木材青年経営者協議会会長に就任(35年4月1日~37年3月31日) |
昭和35年(1960)7月 | 中川木材店難波島にて、大青協(大阪木材青年経営者協議会)会員による木材材積測定に関する新農林規格改正資料を作成する |
昭和35年(1960)9月 | 日綿実業㈱木材部の別会社、日本ドラムカン工業㈱発足に伴い、中川木材運輸㈱を設立 |
昭和37年(1962)5月 | 中川木材店創業50年、創立10周年を迎え、大正区、貯木場に於て、感謝会を行なう |
昭和37年(1962)6月 | 中川藤一専務、大阪木材工場団地協同組合、副理事長に就任(37年6月~56年5月まで) |
昭和37年(1962)6月 | 大阪府南河内郡美原町、大阪木材工場団地協同組合に加入、10,000㎡の土地を購入する |
昭和38年(1963)4月 | 日綿実業㈱木材部の代行店としての日綿建友会が発足し、卸売業務を併設する(中川藤一専務が副会長となる)日綿実業㈱は木材小売業者に直接販売することを計画し、日本ドラムカン工業㈱木材部を設立。弊社より社員奥田義一が出向する。大和ハウス工業㈱の仮設ハウス販売代理店となる |
昭和39年(1964)3月 | 岸和田、木材コンビナート内に、4,500㎡の土地を購入。将来の木材大型流通化に備える |
昭和40年(1965)1月 | 日綿実業㈱木材部が、日本ドラムカン工業㈱木材部を閉鎖した為、中川木材運輸㈱を中川木材店に吸収。又、日綿建友会代行店として、53年7月まで卸売業務を行なう |
昭和42年(1967)5月 | 中川藤一専務、全国納材協会連合会常任理事に就任(42年5月~56年7月まで) |
昭和42年(1967)11月 | 取締役会長に中川計三郎、取締役社長に中川藤一就任 |
昭和43年(1968)5月 | 中川藤一社長、大阪府木材組合連合会理事 |
昭和43年(1968)9月 | 中川藤一社長、大阪府林業構造改善事業促進対策、協議会委員(大阪府森林育成課) |
昭和44年(1969)月 | 内装プレカット加工部門強化のため㈱葵建装を美原に設立。 |
昭和44年(1969)月 | 大阪木材工場団地内に第一期工場の建設を始め、同年7月美原営業所を開設。 |
昭和45年(1970)7月 | 資本金を800万円に増資 |
昭和45年(1970)11月 | 中川藤一社長、フイリッピン、インドネシヤ、シンガポール、マレーシヤ、タイ木材視察(2週間)中川勝弘同行 |
昭和46年(1971)10月 | 美原工場竣工披露 |
昭和46年(1971)11月 | ㈱大阪木材会館、取締役に中川藤一社長就任 |
昭和46年(1971)12月 | 岸和田木材コンビナートに於て、社屋新築工事始まる。鉄筋コンクリート陸屋根5階建 |
昭和47年(1972)10月 | 岸和田木材コンビナート内に社屋を建設し本社移転、岸和田支店を開設。納材部門は岸和田へ。10月6日社屋竣工披露 |
昭和47年(1972)11月 | 大阪木材会館が大阪市西区西長堀北通りに新築、中川木材店大阪事務所を大正区今木町より、大阪木材会館に移転開設する。 |
昭和48年(1973)3月 | 大阪府木連主催、大阪府暮しと木材展に出展 朝日会館朝日ホール(3月15日~3月18日) |
昭和48年(1973)5月 | "大阪府木材組合連合会 副会長(昭和48年5月~昭和53年5月)日本木材同友会 代表幹事(昭和48年7月~昭和51年8月)" |
昭和48年(1973)11月 | "中川百和会(中川木材店OBと現役社員の会)発足。昭和48年11月18日 豊中市ホテルアイボリーにて第1回総会を行う。会長 前重義範、副会長 広瀬辰造、中川藤一社長は名誉会長、同輝子夫人は顧問に就任。" |
昭和48年(1973)12月 | 美原営業所内に流通センターを開設、住宅用木材に進出。(現BM事業部) |
昭和49年(1974)4月 | カナダ米材状況視察、中川藤一社長(丸山龍男、高尾裕 同行) |
昭和49年(1974)5月 | 小堀住研㈱(現在のエスバイエル㈱)と取引を開始、建築用材の直需に力を入れる。 |
昭和49年(1974)10月 | 中川藤一社長 木材市場研究会(林野庁林産課)委員委嘱。昭和49年10月~昭和50年9月 |
昭和49年(1974)12月 | 中川藤一社長 住宅生産体制調査委員会(建設省住宅生産課)。昭和49年12月~昭和50年11月 |
昭和50年(1975)1月 | 兵庫県川辺郡猪名川町阪急日生ニュータウン内に日生川西営業所を開設。ディベロッパー指定の大量納材に進出する。業界ではじめての試みであった。 |
昭和50年(1975)3月 | 美原営業所に建材部およびツーバイフォー部新設。 |
昭和50年(1975)4月 | "アメリカ、カナダ視察。(日綿建友会同行2x4勉強会)。4月29日~5月7日 美原支店2階に展示場を設置する。" |
昭和50年(1975)10月 | "資本金を2,640万円に増資 日本電建㈱の木材納入指定店となる。" |
昭和50年(1975)11月 | 中川藤一社長 木材産業基本問題調査会(林野庁)委員。昭和50年11月~昭和52年4月 |
昭和50年(1975)12月 | 大阪府木材需給対策協議会(大阪府流通対策室)委員。昭和52年~現在 |
昭和51年(1976)3月 | 美原営業所を支店に昇格改称。造作プレカット部門を開設(現SS事業部) |
昭和51年(1976)4月 | 間伐材のインテリア、エクステリアの利用に踏出す。 |
昭和51年(1976)6月 | "美原営業所を美原支店に昇格、改称する。本店所在地(登記上)を大正今木町7番地より、西区西長堀北通り4丁目22に移す" |
昭和51年(1976)7月 | 中川博司カンダバンクーバー市ブリテッシュ州立職業訓練学校(現工科大学校)において2x4工法研修。昭和51年7月~昭和51年8月 |
昭和51年(1976)8月 | 中川藤一社長 大阪府 木造と住宅供給業務の合理化推進事業計画策委員会(大阪府住宅生産課)委員。昭和51年8月~昭和52年3月 |
昭和52年(1977)8月 | 美原支店営業部の建材部、ツーバイフォー部および流通センターを統合し、営業第1部、第2部を設置する。 |
昭和52年(1977)9月 | 近住鹿睦会事業協同組合(近鉄住宅建設㈱下請け業者の会)組合長に就任(52.9-56.8) |
昭和53年(1978)8月 | 岸和田木材コンビナート内、本社の組織を変更し岸和田支店を開設 |
昭和53年(1978)10月 | 東急建設㈱の木材納入指定店となる |
昭和53年(1978)10月 | 本社(経理総務業務)を大阪市西区の大阪木材会館に移転する。住居標示変更により大阪市西区新町3-6-9となる。 |
昭和53年(1978)11月 | 中川社長夫人が木材住宅を推進する会が行った「木材の良さ」の標語募集に応募し、優秀作第2位を受賞した。「住んでよし良い子が育つ木の住まい」 |
昭和54年(1979)1月 | 日綿実業㈱木材部代行店としての日綿建友会の組織を変更し、中川建友会として発足する。(大阪市北区西天満の芝苑において総会を行う) |
昭和54年(1979)1月 | 新年会を大阪木材会館にて行う。 |
昭和54年(1979)1月 | 大阪木材仲買協同組合20周年記念論文「小売業の将来について」入賞(中川藤一社長) |
昭和54年(1979)3月 | 神戸市垂水区名谷町横尾に東急名谷出張所を開設する。(東急建設つつじが丘建築現場の納材業務を行う。) |
昭和54年(1979)7月 | クラレ不動産㈱の木材納入指定店となる。 |
昭和54年(1979)9月 | 東芝住宅産業㈱の木材納入指定店となる。 |
昭和54年(1979)10月 | 日刊木材新聞社創立30周年記念論文に応募。「1980年代木材産業の針路」で第三席に入賞(中川藤一社長) |
昭和55年(1980)1月 | 新年会 大阪木材会館にて |
昭和55年(1980)5月 | 大阪府木材組合連合会副理事長に就任(5月10日) |
昭和55年(1980)8月 | 美原支店において展示即売会を実施(協賛9社) |
昭和55年(1980)8月 | 美原支店にて第1回目の木材展示即売会を木材業者対象に行う。協賛9社 |
昭和55年(1980)10月 | 東急不動産㈱の木材納入指定店となる。 |
昭和56年(1981)1月 | 新年会 大阪木材会館6Fホール |
昭和56年(1981)3月 | ダイハツ興産㈱の木材納入指定店になる。 |
昭和56年(1981)4月 | 日綿実業㈱木材部の製品の本格的輸入にタイミングを合わせ、米国、カナダ本国挽製品の取扱を開始する。 |
昭和56年(1981)6月 | 三井不動産㈱の木材指定業者となる。 |
昭和63年(1988)9月 | 合同葬儀 中川木材産業、葵建装、大阪木材工場団地の3者による合同葬儀、大阪西教会 |
平成元年(1989)8月 | 大阪木材工場団地協同組合主催 追悼会 リメンバーパーティ |
平成14年(2002)0月 | 10月26日27日 森林の市に出展 21団体 端材提供 近畿中国森林管理局 |
平成16年(2004)5月 | ISO取得 9001/2001 審査機関 ロイドレジスター |
平成16年(2004)5月 | 平林 小郷木材の土地倉庫購入契約 |
平成18年(2006)8月 | インターネット ヤフーショップ 開設 |
平成18年(2006)11月 | インターネット 楽天ショップ 開設 |
平成20年(2008)10月 | 中川勝弘社長が 木材専用検索エンジンの開発と内容で日本木材加工技術協会の「市川賞」を受賞 東京大学 弥生講堂で受賞者講演する |
平成29年(2017)2月 | 中古足場板の販売を開始する。インテリア材料として中古足場板を再利用。 |
平成29年(2017)10月 | ニュージランドから木材輸入、ネットにて木材販売 |
令和元年(2019)9月 | 古物商許可を大阪府公安委員会より受ける 中古足場板の取り扱いのため |
令和5年(2023)5月 | アマゾンに出店、キヤンバーや杭などの木材製品を販売する。 |