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第7章 木材供給の歴史

2.古代における木材の供給

 昔はいうまでもなく、森林資源は豊富で、大材にも十分に恵まれていた。そのことは現在残っている当時の建造物を見ても推測できることである。しかしそのころといえども、資源は無尽蔵にあったわけではない。歴史時代に入ると、やがて木材の不足がおこってきて、用材の獲得のために、われわれがいま想像するよりもはるかに大きな困難にぶつかることになった。
 日本の文化史のうえで、最初におこった大事件はいうまでもなく仏教の伝来であった。これはそれまでの社会や生活を、精神的にも物質的にも、根底からゆさぶる大きな変革であった。それはちょうど、明治初年に西欧の科学文明が輸入されて、驚異と混乱の嵐が激しく吹きすさんだときと、似た事情と考えればわかりやすい。 仏教の伝来によって、まず寺院の建築が始まったが、それと並行して都の造営も進められた。それまで掘っ立て小屋のような住まいや穴居生活をしていた人びとにとって、新様式の寺院建築を仰ぎみることは、明治初年に赤煉瓦の建物を見て驚いたのと、同じ気持ちであったろうことは想像にかたくない。
 聖徳太子の時代に建立されたことが分かっている大きな寺だけでも、二十寺にものぼっている。そのうち有名なのは法隆寺で、千三百年を経た今日において、なお創建当時の雄姿を伝えている。これをみても当時の建設の盛んであった事情を推察できる。
 当時は天皇一代ごとに都を変えたのであるが、都の建設といえば、まず第一に必要なものは木材であった。都の中心になる宮殿だけでなく、臣下の住まいや施設、さらにまた道路や橋なども含めて莫大な量の木材が消費された。現在では木材は建設材料として、鉄やコンクリートに主座を譲ったので、それほど重要に思わないが、明治になるまでは、建築も土木も木材なしに進めることはできなかった。それに木材の利用効率も低かったから、原木の要求量は、いまわれわれが想像するよりも、はるかに大きいものであった。そのため近くの森林は急速に伐り開かれていったのである。
 森林はひとたび伐採されてしまうと、その復旧はなかなか容易ではない。しかも古代においては、運搬の技術上、資源を供給できる地域はきわめて狭い範囲に限られていた。そのためさすがに美林に富んでいた大和地方も、漸次荒廃していく運命を負わなければならなかった。そしてついに、その中心である飛鳥川も、わずかの降雨で洪水をおこし、土砂を流出して、しばしば川瀬を変えるようになってしまった。
 『古今集』に、あすか川 淵は瀬になる 世なりとも 思ひそめてむ 人は忘れじ と歌われているが、それはこうした事情を物語るものである。そこで飛鳥川の水源である稲淵山を、大和三山とともに禁伐林としたのであるが、頽勢はもはやいかんともすることができなかったようである。私たちはさきごろの戦争で、山林をすっかり荒廃させてしまった。そのため戦後毎年のように水害で苦しんでいるが、山を荒らせば水害がおこるということは、すでに二千年も昔から体験していることなのである。
 木材は嵩が大きく輸送が困難なため、当然手近い山から木を伐り出した。したがって新しく都が移されてしばらくすると、四周の山は濫伐されて、間もなく木材は不足し、水害に苦しめられるようになる。
 奈良の都が営まれる以前は、その南方に藤原京があった。当時都を移すために人びとは初瀬川を舟で下り、さらに佐保川を上って奈良に行ったことが、記録の上で知られている。現在これらの川の水量はきわめて少なく、これを水源にしている堺市では、毎年夏季の断水で難渋しているが、昔はもっと水量が豊富であったことは、前記の史実によっても想像されるところである。したがって山林もまた健在であったと推察してよかろう。
 のちに桓武天皇の時代になって、大和川の氾濫が甚だしいので、和気清麻呂がその改修を企てたが、ついに失敗に終わってしまった。その遺跡は現在大阪天王寺に河堀町の名を留めているだけである。これも開発にともなって、山林が濫伐されたために土砂の流出が甚だしく、洪水の害を生んだことを物語るものである。当時の木材の不足を物語るもう一つの例がある。それは持統天皇が藤原京を営まれるときに、遠く滋賀県の琵琶湖の出口にあたる田上山から、はるばるヒノキ材を運んだことである。当時琵琶湖から藤原京まで木材を運搬するということは、並たいていの仕事ではなかった。それにもかかわらず、このように遠隔の地から木材を運んだことは、すでに当時において、大和平野の周辺では適当な大材が得られなかったことを物語っている。
 田上山というのは、琵琶湖が瀬田川になって流れ出るところの南側にある。今日でこそ見る影もない荒れ山で砂防工事の代表とされているところであるが、昔はうっそうたる大木でおおわれていて、東大寺の造営のときも、しばしば田上の杣という宇が見られ、古くから木材の供給に大きく貢献した山である。木の略奪がくり返されたとき、森林がいかに早く荒廃してしまうかということは、この田上山の例を待つまでもなく、容易に理解できるところである。
*古代宮都を中心とした交通路(日本歴史地理総説古代編<吉川弘文館>による)

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