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第7章 木材供給の歴史

12.木曽の五木

私は木曾の生まれで、子供のころから木の匂いをかいで育った。それが私の木への情熱を支えてくれているように思う。そこで木曾の五木のことを書いてこの本のしめくくりにしたい。「木曾路はすべて山の中である」とは島崎藤村の『夜明け前』が描写する幕末の姿である。木曾を代表するものはヒノキで、その名が世に知られるようになったのは、伊勢神宮の遷宮用材に選ばれた十四世紀の中ごろからであるという。
 木曾からの用材の搬出は鎌倉時代から始まった。その後豊臣秀吉がつくった方広寺大仏殿、聚落第、伏見城をはじめ、名古屋城など幾多の造営物の用材にあてられたが、大規模な伐り出しが始まったのは江戸初期からであった。築城や邸宅の新設のほかに、度重なる火災の復興の用材として、大量のヒノキが江戸に送られたのである。記録によれば、万治元年から寛文元年(1658~1661年)までの間に、名古屋の熱田白鳥貯木場に集積された木材は膨大なもので、木曾山から伐り出された分だけでも、四年間に約254万本に達したとのことである。
 元禄年間(1688~1703年)に、江戸深川の木場に材木の町を築きあげた材木商たちは、木材を江戸に運び込むことによって莫大な富を築き、豪しゃの限りを尽くした。この時期に江戸文化は爛熟の華を咲かせたのである。木曾川の風物詩「いかだ流し」が始まったのも、このころからであった。春になって雪が消えると、山には斧の音が響き出す。九月には木を谷に落とし、十月から年末にかけて支流から木曾川に集める。そこから岐阜県の八百津までは川流しで運んで、錦織の綱場からはいよいよいかだによる流送が始まる。二十本ずつ横に組まれたいかだは、いくつも長くつなぎ合わされて、伊勢湾に向かって流されていく。木曾節でうたう「中乗さん」は、このいかだ師たちのことであった。冬の寒風にさらされるいかだ師に、あわせに足袋を添えて届けてやりたいというのが歌の意味である。
 江戸の文化の隆盛は、木曾における伐採量をいよいよ増大させることになった。華やかな元禄文化は、木曾山の荒廃の代償として得られたものという見方もできるのである。そうした急速な資源の枯渇に対して採られたのが「留山」制度であった。留山とは良材の伐採を禁じた山の意味である。しかしこの制度だけでは、もはや資源の消失は食い止めることができなかった。そこで享保年間(1716~1735年)にとられたのが「禁木制度」であった。ヒノキ、サワラ、アスヒ、コウヤマキを伐採禁止とし、後にヒノキと紛らわしいネズコを追加していわゆる停止木の「木曾の五木」が生まれたのである。
 五木はその禁を犯せば、木一本に首一つという厳しいものであった。それが住民に浸透して木曾の山は長期にわたって保護されて来たのである。こうした苛酷な禁制は住民の抵抗にあって、百姓一揆に結びつくこともあった。『夜明け前』の主人公青山半蔵は、明治政府に対してこの制度の改善を期待して活動する。そしてその夢と期待は無残に打ち砕かれることになったのであった。
 木曾山で書いておきたいのは伊勢神宮の用材のことである。後村上天皇の時代(1355年)から実に六百年にわたって造営材が伐り出されている。明治になってからは、木曾および裏木曾の森林約七千九百町歩が「神宮備林」として御料林の中におかれ、大径木を育てるために弱度の抜き伐りと、きめの細かい手入れが行われた。第二次大戦後は御料林が廃止され神宮備林は国有林に移管されたが、大径木を育てる方針はそのまま受けつがれている。
 木曾の森林は尾張藩の直轄になって以来、きびしい伐採制限策がとられ、きめ細かい手入れが行われてきたからこそ、現在みるような美林ができあがったのである。ヒノキは肥料の少ない土地で、長い年月をかけて育ってこそ年輪のこんだ素晴らしい材が得られる。しかも高齢になって後も生長をつづけるという性質があるので、気品の高い大材をつくるには理想的な樹種なのである。
 以下に五木のひとくちメモを書いておこう。
 ヒノキ 火の木の意味で、昔はこの木をこすって火をつくったところがらその名が出たという。用材としてのヒノキの優秀性はいまさら述べるまでもない。木材の王者としての地位がそれを物語っている。「尾州檜」と市場でよばれるのは尾張藩が特別保護をしてきた名残りである。 サワラ 材はキリに次いで軽く「さわらか」からその名が出た。割りやすく水湿に対して強いので、古くから水桶やたらいに使われた。また屋根板に適し、最近行われた桂離宮の修復にはサワラの屋根板が使われている。
 アスヒ 青森ではヒバとよび能登ではアテとよぶが、一般名はアスナロ。耐久性の高いことが特徴で、土台や土木用材として適する。材を蒸溜して得られる精油は殺菌性をもち、薬用になる。
 コウヤマキ 一科一属一種の針葉樹で日本特産。水湿に対して強く、古くから風呂桶や水桶の用材として賞用された。古墳時代には棺材としてコウヤマキが使われたが、遠く、朝鮮にまで運ばれていたことが判明した。
 ネズコ 材がねずみ色にうす黒いところがらその名が出た。クロベまたはクロビ(檜)ともいう。材は軽軟でスギに似た芳香があり、神代杉の模擬材として使われ、また耐朽性が高いので屋根板や外壁材としても使われている。

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