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神谷のインドネシア点描

『地球の悲鳴』の巻き


先ずは写真を見てください。
掘った跡は池 石炭露天掘り現場 これはスマトラジャンビ州で行われております石炭露天掘り現場です。原木伐採現場を見に行くために山中を走っていて偶然目の当たりにした光景です。

地表に生えていた森(毛)を毟り取られ、表土(肌)を剥がされ、その下から石炭(肉)を抉る…、皆様、地球の悲鳴が聞こえませんか?

今まで何万年、何十万年、何百万年、何千万年、何億年を過ごし、生きとし生けるもの全てを育んできた地球が、人類の誕生をきっかけにこのような拷問に晒されているのです。我々は地球を『母なる大地』と呼びながら自分の手でこのような惨いことを仕掛けているのです。

この石炭は何十万年も地面の中で眠っていたものです。その眠りを覚ますのに、このような荒っぽい遣り方が許されるのでしょうか…?眠りを覚まされた石炭は火力発電所のボイラーの中で一瞬にして元の二酸化炭素に戻るでしょう。
そして、木が切り払われ地表まで日が差すようになったこの地は二度と元の緑に戻ることはないでしょう。

福島原発問題で急遽火力発電に頼ることになった日本がこの石炭の最上客となることでしょう。好むと好まざるとに関わらず電気を使えば日本人の全てがこの惨劇に加担するのです。


緑のジャングル。多くの生き物を育むマングローブ林の惨状も同じです。飛行機から見ればまるで芝生を敷いたような緑のカーペットがいつの間にか真ん中を除いて切り尽くされ茶色の放置池に変わっております。
なぜ?

日本人が海老を好むためです。握り寿司の海老が好きなためです。この海老を淡海水域で養殖せんが為にマングローブを切り払ったのです。日光が水の底まで通ってしまった放置池が緑のマングローブ林に戻ることは二度とありません。好むと好まざるとに関わらず海老を食べた人は全てがこの惨劇に加担するのです。

豊穣な地球の恵みは欲を掻かねば継続的に我々を潤してくれます。これを事業化して儲けようと欲を掻いた我々は恵みの種を根こそぎ掘り出して、刹那の満足を得たのです。しかしその報いとして、永遠に恵みが失われると云う、構造的破壊を招いたのです。

地球の豊穣は神が生物にくれた永遠に実の成る神秘の木です。生きんが為に必要な量を必要な時に採るだけなら永遠に無くなりません。ところが人類という生き物は自分の生以上の欲に目が眩み、事業という厄介な大儀名分を振りかざして、人より多く採ろうと争い、木ごと倒してしまったのです。
二度と実が成ることはありません。もう木そのものが無いのですから。

そんなことにさへ気付かず、他の生物のための豊穣さへも己の事業欲のために喰らい尽くし、結局元も子も失くした人類の愚かさを神は見ています。

地球は人類の為のものではありません。生きとし生ける全ての為のものです。こんな明快な事実さへも人類は事業という己の欲望の為に気が付かない、もしくは気が付かない振りをしているのです。

我々日本人は、この結果に無関係ではないのです。我々が涼を求めて電気を使い、好きな海老を食べた結果なのです。生きんが為に求めたものではありません。一時的享楽を求めただけです。その結果、熱帯の豊穣な森は無くなりジャングルも消えました…。

事業…、
己の必要性を大きく超え、自己顕示欲の為だけに物を欲しがる人間の業。他の動物には見られない我々人類だけが持つ恐ろしい業。事業の為には神の領域へ手を入れても畏れない、遺伝子組み換え、クローン、原発、原爆、水爆…、己の身を永遠に滅ぼす可能性を感じながらもその開発を止められない愚かさ…。一旦知ってしまったら己の意思では止められない麻薬のごとき業。事業の為ならば、人類は同類を滅ぼし地球をも滅ぼす。

事業…。
華僑の男は事業評価がその存在価値の全てです。事業家として立派かどうかが男の価値です。華僑の女が惚れるのは他の男より儲ける能力のある男、それが男の中の男です。顔にもスタイルにも惚れません。事業能力に優れた事業家に惚れるのです。
故に華僑の男は一生喰えるだけの金を儲けた後でも更に上を目指すのです。充足を知らない永遠の事業競争です。

日本人でも欧米人でも(一部の人々が)同じ業を持っております。事業の前には倫理も道徳も吹っ飛びます。
原発のゴタゴタが如実にその事実を示しております。同胞を騙し苦界の淵に沈めても心の痛みが感じない程に事業家の神経は麻痺してしまっているのです。事業という名分の前では個人の罪は消えたかのごとく錯覚しているのです。

戦国時代の事業は国を獲る下克上でした。人を騙そうが殺そうが事業のためだから仕方なし、弱い人間は滅びるのだ…。

このような人類の驕慢を神は黙って見ているだけなのでしょうか…?

雨季と乾季の境が不明瞭な最近の熱帯、入道雲と夕立のない日本の夏、明らかなる気候の変動、地球環境の変化、…が、神の怒りでなければよいのですが…。

米からも魚からも肉からもお茶からも各種放射線が見つかり途方にくれる、原発という(人類の)管理能力を超えたツールを事業化したが故の自業自得。人類が地球にした仕打ちから受ける自業自得。

神は自業自得という分かりやすい方法で人類に鉄槌を下しているのです。打てば打たれる、より強く打てばより強く打たれる、分からなければ滅びる。誰のミスでもなく明らかに己のミスなのです。己のミスにより己が苦しむ。

でも…、

少し…

違います。

ミスを犯したのは事業家であり、苦しんでいるのは庶民なのです。

福島原発も水俣病も薬害エイズも四日市公害も全て原因は事業家が己の事業欲を満たさんが為に行い、その結果関係のない庶民が苦しんでいるのです。この国家版が戦争です。国家指導者の事業欲を満たさんが為に他国の民を殺し自国の民さへも殺します。これが人類という生きものの業です。

動物は生きんが為に他の生命を糧にします。人類は(事業という名の)自己満足の為に生きとし生ける全ての命を犠牲にします。

人類はこの業から離れることは出来ないのでしょうか?

解決策は唯一、『足るを知る』、ことです。『足るを知る』、とは己が生きるのに必要な範囲を知ること。
人類以外の生物は足るを知っております。自分の生存の為に犠牲にすべき範囲を知っております。己が生きるのに必要なレベル以上のものを求めません。足るを知らない生物は人類だけです。この人類の愚かさを我々は知るべきです。

『足るを知ったら人類の進歩は止まってっしまう』、と言った学者が居りました。それこそ驕り、人類の業である事業欲なのです。足るを知って止まる進歩なぞ生物(人類)には必要ありません。『捨てる勇気』、『出来るけどしない勇気』が、これからの人類に必要となることではないでしょうか?出来ることを全て行いたくなるのは業でありそこには倫理が抜けてます。『出来ることでも、してはいけない行動もあるのだ』、と知ること、
これこそがこれからの人類を、そしてこれからの地球を救う叡智なのです。
そんな難しい事業化の中で諸手を挙げて賛成できる事業化があります。その代表例が、『木を育てこれを使うこと』です。
木を育てこれを使うことの意義はエコと言う言葉の中で語られてきました。
・育つ木が行う光合成で二酸化炭素を酸素に換え、
・光合成の衰えた木を伐ってこれを製品として使い、
・更に木を植える、
・植えられた木は光合成で酸素を供給する、
…このサイクルを事業化するのです。

この事業は生きとし生けるもの全ての為になる稀有な事業です。そして、我々木材業者はこの稀有な事業化を担える稀有な存在なのです。誰も犠牲にせず誰の為にもなる稀有な事業を担う稀有な業界なのです。この自覚の下、我々は更なる事業意欲を燃やしてゆきましょう。


中抜きのマングローブ林 豊穣の大地、裏の沼で獲った魚が直ぐ現金に

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