神谷のインドネシア点描
『独立記念日』
![インドネシア写真](img/200708202.jpg)
終戦記念日2日後の8月17日はインドネシアの独立記念日です。
大統領官邸では朝から記念式典がありインドネシア全33州から
各州男女2人ずつ選抜された66人の学生により国旗掲揚が行われました。
彼らは容姿・学力・体力全ての面において優秀と認められたエリートです。
国旗を大統領から受け取る役はその中より更に選抜された最優秀学生
ランポン州のAYU TRI UTAMIちゃんです。
国旗掲揚後にインドネシア全民族の衣装をまとった合唱団による歌の
披露もありました。
![インドネシア写真](img/200708203.jpg)
全33の各州が昔は違う文化、歴史を持った別の国であったことを考えると
この国をまとめることが如何に難しかったのか・・・スカルノ初代大統領の
手腕が偲ばれます。
民族的に一番人数の多いジャワ語をあえて国語とせず、交易民族として
インドネシアやマレーシアの各地に散っていた少数民族マラユ族の言葉を
国語に指定した先見の明がこの統一を実現・維持させたものと思います。
![インドネシア写真](img/200708205.jpg)
各地では町単位、村単位で独立を祝うお祭りが催されました。
その中でも人気の高いのはパンジャットピナンといわれる椰子上り競技です。
偶然見かけたジャカルタ・プシン地区での競技は竹を使っておりましたが
ピナンと言われる種類の椰子を立てその上にテレビやラジオ、自転車、カバン、
現金といった賞品を吊り下げます。
椰子の幹には油を塗り滑りやすくします。
この幹に4人1チームが協力して上り賞品を取ろうという競技です。
ただでさへ足がかりの無い椰子や竹の幹に登るのは難しいものです。
まして油を塗ってあり、上ろうとすると後ろから水を掛けられるのです。
それらの障害を跳ね除けて如何に4人が協力して賞品を勝ち取るか・・・
何度も失敗しながら油を体で拭き取ります。
手拭を使って手がかりを作り少しでも上へ登ろうとします。
上の人間は下から仲間を引っ張り揚げ自分の上に挙げようとします。
![インドネシア写真](img/200708206.jpg)
残念ながら小生が見ている間に成功するチームが出ませんでしたので
どのようにこの競技が終わるのか見れませんでした。
しかし周りで見ている庶民の楽しそうな顔は十分見れました。
日本の敗戦記念日は大日本帝国の命日みたいなものです。
インドネシア共和国では62歳に当る国の誕生日です。
この差が国民の表情にも現れるのでしょうか?
しかし、忘れてはなりません。
この日以降オランダとの過酷な独立戦争に巻き込まれてゆくのです。
その中で残留日本兵もインドネシア民兵と共に戦うのです。
その結果インドネシア国民から独立を助けた兄貴分としての尊敬を
日本人は受けているのです。
その成果として我々もこの国でビジネスに精が出せるのです。
奇しくも安部総理がインドネシアを訪れられます。
このような両国民の絡まる歴史をしっかり認識して両国の為に頑張って
首脳会談をしてもらいたいものです。