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第7章 木材供給の歴史

4.古代における木材の供給

 古代における木材輸送の事情を、もっともよく知ることのできる例は東大寺であろうから、それについて述べる。東大寺の大仏殿は天平の創建ののち、戦火に遭って二度焼失した。現在のものは三回目の建造物である。そのため規模が小さくなっているし、壮麗さにおいても当初のものにはるかに及ばない。それでもなお、世界最大の木造建築であることを思うと、天平のものがいかに壮大であったかは想像に難くない。
 東大寺が建立された事情については、ここでは省略し、本文の説明に必要な経緯だけを簡単に書く。この寺は聖武天皇が政教一致の一大理想天国を、この国土に実現させたいという強いご発願によって建立されたものである。すなわち東大寺を総国分寺として、国家信仰の中心をこの寺におくことにした。大仏殿は東大寺の金堂で、伽藍の正殿にあたり、その中に金銅毘盧遮那仏を安置した。像高五丈三尺(十六・ニメートル)というこの大仏を鋳造することだけでも非常な大事業であったが、当初の東大寺は大仏殿だけでなく、今日では想像もできないほどの、雄大な規模を持つものだったのである。すなわち広さは四周約一里(四キロメートル)の地を占め、寺域の中央には大仏殿が南面して建ち、その周囲を歩廊がめぐり、四面に中門を開き、南正面には南大門があり、西大門、中御門、転害門に囲まれていた。構内には七重塔二基をはじめとして多数の僧坊が軒を並べて建ち、想像を超える雄大なものであった。
 これらのうち天平当初の建物で今日まで残存しているものは、正倉院をはじめ僅かに二、三にすぎないが、その正倉院が現在において占めている地位の高さをみれば、天平の文化がいかに輝かしいもので、また当初の東大寺が、どのように華麗であったかを想像することができるであろう。
 聖武天皇は大仏鋳造発願の詔勅を、天平十五年(七四三年)近江の甲賀郡信楽郷で出された。それより前の十二年に都を山背の相楽郡恭仁郷に移されたが、その後さらに信楽に移した。それは恐らく、仏殿を建立するためには莫大な木材を必要とするので、資材の獲得のしやすさから伊賀に近い地方を選んだのであろうと考えられている。当時の記録には真木山の火事のことが出てくるが、真木とはヒノキを指すのでそうした木材資源確保の想像がされているのである。さて天平十六年には甲賀寺において大仏胴体の骨柱を建て鋳造に着手された。しかしその後いろいろな障害がおこったので、ついに初志を変更し、十七年に平城京に遷幸されることになった。そして大和添上郡金の里すなわち現在の東大寺の地を定めて、大仏殿建立の大事業が始まった。その後およそ十年の歳月と、莫大な人力に加えて、想像を絶する努力ののち、ようやく天平勝宝四年(七五二年)に東大寺が完成するのである。これに従事した人力の延べ人数は一説によれば二百六十万人と推定されている。
 創建当初の東大寺の寺域は、前にも述べたように非常に広大で、大仏殿もまた現在のものよりずっと大きかった。おおまかにその比率をいえば現在の建物は当時のものにくらべて、面積で約六割六分、内陣面積で四割四分にしか相当しない。ただし高さはほぼ同じである。またその構造も当初のものは重層で正面は十一間、側面は七間(間とは柱と柱の間の数をいう)であった。現在のものは側面は同じであるが正面は七間に減っている。したがって最初は釣り合いの取れた長方形であったが、現在では正方形に近くなって、均衡が失われ、外観の美しさをひどく削減してしまっている。それは後に述べるように、木材が不足して建てられなかったことが、大きな原因になっているのである。
 当初の大仏殿の建立には莫大な木材を必要とした。いまそのとき使われた柱の数を東大寺古文書によって記すと、主要大柱は口径三尺五寸(一・〇六メートル)以上、長さ百尺(三十・三メートル)前後のものが八十四本も使用されていた。これらの柱はただ一本だけで、その材積が百石(二十七・八三立方メートル)にも達するものである。柱だけでなく、ほかの部材も同様に莫大な木材を要したことはいうまでもない。いまここに大仏殿に使用した木材の総材積について、江崎政忠氏の調査した結果(前記「木材工芸」および江崎氏の記録)を引用すれば、約四万一千尺〆、一尺〆=十三立方尺換算で五万三千三百余石(一万四千八百余立方メートル)になると推定している。ただしこれは用材になった後の数字であるから、原木として換算するとその何倍かを必要としたであろう。また以上は大仏殿のみのことであるが、さらに二基の塔、大門、講堂およびその他多数の僧坊にいたるまでを考え合わせると、東大寺に使用された木材の量は、はかり知ることのできないほどの莫大な量であったことがわかってこよう。
*空から見た「昭和大修理」後の東大寺の全景

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