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第2章 木の文化のルーツ

1.造形材料学のこころみ

 木材が金属、石材、コンクリートなどの多くの工業材料とは、一味違った性格をもつ素材であることを、私たちは日常の体験を通じておぼろげながら感じている。その相違の原因をつきつめていくと、結局のところ工業材料が鉱物系で、木材は生物系だというところに帰着しそうである。 ここで生物系というのは、細胞というかつて生命をもっていたものの遺体でつくられているという意味で、木綿も絹も同様である。私はこうしたものを生物材料と呼んでいるが、それはまた人為的に思い通りのものをつくれない宿命をもつ材料だ、という意味でもある。人の姿や顔かたちが一人ひとり違うように、木もまた同じ木目のものは二つと存在しない。したがって材質にはバラツキが多く、工業的な立場からは好ましくない材料であるが、その半面、趣味性に富んでいて、工芸材料としてはまことに面白い。自然が育ててくれた芸術ともいえる木目は、人びとに無限の創作意欲をかきたててくれる。しかし、一般に趣味性に富む材料の取り扱いは、とかく理論よりも感性が先に立つから、科学性を軽んじる傾向におちいりやすい。木材のこれまでの使い方は、そうした性格によって特徴づけられ、それがまた制約ともなっていたのである。 そこで私はこれに「人-物系の考え方」を取り入れたら、もう少し筋道を立てた説明ができるのではないかと思った。「人-物系の考え方」とは人間工学的という意味であるが、そういう風変わりなことを思いつくに至った動機は次のようである。 私は以前に、建築や意匠を勉強する学生を対象にして、「造形材料学」なる名称の講義をしてみようと計画したことがある。ところが準備を進めているうちに、壁にぶつかってしまった。その理由は、これまでに発表されているデータを整理してみると、その内容は金属、石材、コンクリート、木材、プラスチックといった材料の物理的性質、化学的性質の解説に終わってしまうことに気がついたからである。つまり、工業材料学のダイジェスト版といった形にしかならないという意味である。 ところが建築や意匠を学ぶ学生たちの望んでいるのは、金属や石材の工学的な性質もさることながら、それと並行して材料の審美性についても教えてもらいたい、ということである。木材の組織がどうなっているか、コンクリートの強度はどのように変化するか、という知識も大切ではあるが、同時に材料のもつ美しさや素肌の魅力をどのように解釈したらよいかも知りたい。空間を構成するとき、どんな材料の組み合わせにしたら効果的か、その理由はなぜか、ということも教えてもらいたい。実際の設計に役立てるには工学的な特性と審美的な特性との両面の知識が必要であるが、一方が欠けていたのでは造形材料学としての態をなさない。 そこで、材料の審美性はどのようにして追求していったらよいかを考えてみた。その方法としてはいろいろなものが考えられるであろうが、一つの研究手法としては、長い歴史の中で私たちの祖先が、そうした材料をどのように使いこなしてきたかを、調べていくやり方がある。そうした資料を拾いあげていけば、その中から何らかのヒントが得られるに違いない。 その場合、金属についていちばん適性をもつ人たちを選ぶなら、それはヨーロッパ人であろう。また土について選ぶなら、中国人をおいて適任者は見当たらない。そして木については、日本人が最も適しているはずである。 考えてみると、日本は建築も彫刻も工芸もほとんど木を使って造ってきている。材料的にみるなら、日本の造形史はすなわち木の歴史ということもできる。日本の文化は仏教とうらおもての関係にあるから、日本の文化を理解しようとするなら、まず仏教を知る必要がある。それと同じように、日本の造形史を理解するには、木のことを知らなくてはならない。それには私たちの祖先が木をどのように使いこなしてきたかを、調べていけばよい。それがいちばん近道らしい、ということに気がついたのである。 いまもし、ヨーロッパで金属の美しさを説明する根拠がわかり、中国で土の美しさを解説する方法がわかり、日本で木の神秘性を解く手だてが見つかれば、それを集大成して造形材料学なるものができるであろう、という発想である。食事をするとき、ヨーロッパでは金属のスプーンを使い、中国では象牙のはしを使い、日本では白木の割りばしを使うが、このように材料を使い分ける理由がどこにあるかがわかるかも知れない。そう考えて私は、日本人の木の使い方のルーツを調べてみることにしたのである。 私のとった研究の方法は、わが国の木彫の用材が町代の移り変わりにともなって、どのように変わってきたかの軌跡を調査することであった。先にも書いたように、私たちの祖先が一番古くから使ってきた材料は木であった。それをすでに太古の町代から、樹種ごとに適材を適所に使い分けるというまことに芸のこまかい技術をもっていたのである。ところが飛鳥時代になって、大陸から新しい文化が入って来ることになった。仏教の伝来とともに、建築、彫刻、工芸、絵画、その他もろもろの造形技術が輸入されたが、それにともなって木の使われ方がどのように変化したかを、彫刻の用材を通してさぐってみたら、ヒントが出てくるだろうというねらいである。 これまでに私は、十二世紀(鎌倉時代)以前の彫刻七百五十体を顕微鏡で調べ、それを分析して時代の推移と用材の移り変わりの関係を明らかにした。その結果、日本人が木という材料に対して、どのような考え方をもっていたか、またその嗜好がどのように変わってきたかの道筋をおぼろげながら知ることができたように思っている。そのことについて以下に説明するつもりであるが、その前に人間工学的な手法でこころみた材料学の新しい考え方について述べることにしよう。 木材が金属、石材、コンクリートなどの多くの工業材料とは、一味違った性格をもつ素材であることを、私たちは日常の体験を通じておぼろげながら感じている。その相違の原因をつきつめていくと、結局のところ工業材料が鉱物系で、木材は生物系だというところに帰着しそうである。 ここで生物系というのは、細胞というかつて生命をもっていたものの遺体でつくられているという意味で、木綿も絹も同様である。私はこうしたものを生物材料と呼んでいるが、それはまた人為的に思い通りのものをつくれない宿命をもつ材料だ、という意味でもある。人の姿や顔かたちが一人ひとり違うように、木もまた同じ木目のものは二つと存在しない。したがって材質にはバラツキが多く、工業的な立場からは好ましくない材料であるが、その半面、趣味性に富んでいて、工芸材料としてはまことに面白い。自然が育ててくれた芸術ともいえる木目は、人びとに無限の創作意欲をかきたててくれる。しかし、一般に趣味性に富む材料の取り扱いは、とかく理論よりも感性が先に立つから、科学性を軽んじる傾向におちいりやすい。木材のこれまでの使い方は、そうした性格によって特徴づけられ、それがまた制約ともなっていたのである。 そこで私はこれに「人-物系の考え方」を取り入れたら、もう少し筋道を立てた説明ができるのではないかと思った。「人-物系の考え方」とは人間工学的という意味であるが、そういう風変わりなことを思いつくに至った動機は次のようである。 私は以前に、建築や意匠を勉強する学生を対象にして、「造形材料学」なる名称の講義をしてみようと計画したことがある。ところが準備を進めているうちに、壁にぶつかってしまった。その理由は、これまでに発表されているデータを整理してみると、その内容は金属、石材、コンクリート、木材、プラスチックといった材料の物理的性質、化学的性質の解説に終わってしまうことに気がついたからである。つまり、工業材料学のダイジェスト版といった形にしかならないという意味である。 ところが建築や意匠を学ぶ学生たちの望んでいるのは、金属や石材の工学的な性質もさることながら、それと並行して材料の審美性についても教えてもらいたい、ということである。木材の組織がどうなっているか、コンクリートの強度はどのように変化するか、という知識も大切ではあるが、同時に材料のもつ美しさや素肌の魅力をどのように解釈したらよいかも知りたい。空間を構成するとき、どんな材料の組み合わせにしたら効果的か、その理由はなぜか、ということも教えてもらいたい。実際の設計に役立てるには工学的な特性と審美的な特性との両面の知識が必要であるが、一方が欠けていたのでは造形材料学としての態をなさない。 そこで、材料の審美性はどのようにして追求していったらよいかを考えてみた。その方法としてはいろいろなものが考えられるであろうが、一つの研究手法としては、長い歴史の中で私たちの祖先が、そうした材料をどのように使いこなしてきたかを、調べていくやり方がある。そうした資料を拾いあげていけば、その中から何らかのヒントが得られるに違いない。 その場合、金属についていちばん適性をもつ人たちを選ぶなら、それはヨーロッパ人であろう。また土について選ぶなら、中国人をおいて適任者は見当たらない。そして木については、日本人が最も適しているはずである。 考えてみると、日本は建築も彫刻も工芸もほとんど木を使って造ってきている。材料的にみるなら、日本の造形史はすなわち木の歴史ということもできる。日本の文化は仏教とうらおもての関係にあるから、日本の文化を理解しようとするなら、まず仏教を知る必要がある。それと同じように、日本の造形史を理解するには、木のことを知らなくてはならない。それには私たちの祖先が木をどのように使いこなしてきたかを、調べていけばよい。それがいちばん近道らしい、ということに気がついたのである。 いまもし、ヨーロッパで金属の美しさを説明する根拠がわかり、中国で土の美しさを解説する方法がわかり、日本で木の神秘性を解く手だてが見つかれば、それを集大成して造形材料学なるものができるであろう、という発想である。食事をするとき、ヨーロッパでは金属のスプーンを使い、中国では象牙のはしを使い、日本では白木の割りばしを使うが、このように材料を使い分ける理由がどこにあるかがわかるかも知れない。そう考えて私は、日本人の木の使い方のルーツを調べてみることにしたのである。 私のとった研究の方法は、わが国の木彫の用材が町代の移り変わりにともなって、どのように変わってきたかの軌跡を調査することであった。先にも書いたように、私たちの祖先が一番古くから使ってきた材料は木であった。それをすでに太古の町代から、樹種ごとに適材を適所に使い分けるというまことに芸のこまかい技術をもっていたのである。ところが飛鳥時代になって、大陸から新しい文化が入って来ることになった。仏教の伝来とともに、建築、彫刻、工芸、絵画、その他もろもろの造形技術が輸入されたが、それにともなって木の使われ方がどのように変化したかを、彫刻の用材を通してさぐってみたら、ヒントが出てくるだろうというねらいである。 これまでに私は、十二世紀(鎌倉時代)以前の彫刻七百五十体を顕微鏡で調べ、それを分析して時代の推移と用材の移り変わりの関係を明らかにした。その結果、日本人が木という材料に対して、どのような考え方をもっていたか、またその嗜好がどのように変わってきたかの道筋をおぼろげながら知ることができたように思っている。そのことについて以下に説明するつもりであるが、その前に人間工学的な手法でこころみた材料学の新しい考え方について述べることにしよう。

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