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文化の根っ子にある森林と日本のこころ

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21世紀を担う日本と日本の文化

  ●滅亡する攻撃性の文明
  古代からの歴史を見ると、素晴らしい遺跡を残している文明はことごとく崩壊・消滅しています。
メソポタミア、エジプト、ローマ、ギリシャ・・・。
文明というのは、もともと都市化、市民化という言葉の意味を持っており、自然の支配、生産手段の向上による人間の技術的・物質的所産を指しています。
文化が根源性・統一性を持つのに対し、文明は皮相性・無性格性を持つといいます。
あくまでも発展し、向上しようとする性格を持つ文明は、おのずから攻撃性、排他性を強め、自然を支配・征服しようとしますし、人々を支配し、権力を強めようとします。
それを如実に示すのが巨大な建造物・モニュメントの建設です。
その建設には巨額の富と奴隷が必要になりますから多くの場合、掠奪戦争を必然としています。
例えばエジプトのピラミッド、ギリシャのパルティノン神殿、中国の万里の長城や石の宮殿などは、その最たるものです。
巨大な石の建造物を作った文明はことごとく消滅し、近辺の木を切り倒して燃料等にした結果が砂漠化です。
自然を支配し、他民族を支配して文明の勢力を拡大し、力を誇示するものは、必ず自然と被支配民族の厳しい反撃で滅亡することを歴史は教えてくれています。
ではなぜ、文明がこのような結果を呼ぶのかということですが、この文明の根底にあるものが宗教です。
それも、日本のような生きとし生けるものすべてに神仏が宿るとして、800万の神を祀り尊うのと違い、唯一絶対神を信仰し、神の名の下で自然と他民族の支配を正当化する思想によるものです。
人間中心の傲慢さ、自分たちの宗教と民族を絶対視する野蛮さが、結局は自滅を招くということの証しです。
人類の長い長い歴史を見れば、このような人間中心主義、宗教支配で自然と対決する思想が生まれたのは、550万年の内のわずか数千年です。
集団生活の痕跡は七70万年前後の昔に逆のぼるといいますが、その頃から考えても、その間の1%の時代でしかないのです。
そういう自然支配、軍隊と資本を背景にした力と思想での他民族を支配するという「先進的」文明で今日まで突き動かされてきたのが近代です。
その「近代文明」という名を借りた西洋文明の支配こそが、世界的な環境と資源の危機を生み、貧富の差を拡大し、経済の腐朽を呼んでしまったのです。
文明による支配の時代の限界を見た20世紀末に立って歴史に学ぶならば、見直されるべきは文化ではないでしょうか。
文化は英語ではカルチャーで、修養とか教養という意味とともに、精神的文化の要素を持ち、民族により築かれて伝承する生活様式、習慣、考え方を指しています。
このカルチャーの語源は、耕すという意味を持つラテン語のカルチュラ(cultura)で、農耕をはじめとする自然への人間のかかわりを表すものでした。
日本には文化はあっても、日本文明という言葉が使われることはまずありません。
文化は、民族の中で伝承され続け、型が変わったり発展することはあっても、その精神・真髄は変わるものではありません。
文化が民族的なものであるということは、以前にも触れたように、輸出するものでも輸入するものでもなく、他民族に押しつけられるものでもないのです。
ところが、文明は他民族を支配するために、自国の文化を浸透させ、他民族の文化を破壊しようとします。
しかし、攻撃的文明が滅亡する必然性を持つという理由のひとつが、文化は滅びないというところにあります。
その民族を全滅させない限り、文明は滅びても文化が滅びることはないのです。
この20世紀末の日本を見ると、このことが明瞭にわかります。
戦後、西洋文明の支配下で経済成長を遂げてきた日本は、持ち込まれる文化をどんどん受け入れてきました。
そして、日本文化、日本的なものを「古いもの」「前近代的なもの」として排斥し、封殺することで文化の変質が謀られようとしたのです。
その結果がボロボロの政治と経済と教育、汚染されて行き場の見えない文化、荒むこころ、横行する頽廃と非行です。
それにエネルギーと衣食住に関わる自給率の低下・第一次産業の衰退です。
私たちは、ワイシャツを着、ネクタイで自分の首を締め、その上にスーツを着て靴を履いています。
今さら変えられないかもしれませんが、所詮は借り物、ものまねでしかありません。
とても、これからの日本の真夏に似合う姿ではありません。
家を見れば、まだ洋風住宅が建ち、マンションが建っていますが、これほど風通しが悪く、冷暖房費がかさみ、アレルギーや現代病(イライラ、目まい、頭痛、吐き気、ストレス感・・・などの不定愁訴)が蔓延し、抵抗力の弱い人間、自律神経の不調、キレる人間を生む家が日本にはふさわしいはずがないのです。
形だけ流行に乗り遅れまいとして働き通し、借り物文化で疲れきっているのが今の私たちの生活ではないでしょうか。
●自然との関わりの中で築かれる文化
 近年この形だけの文化が似合わないと感ずる人が増えています。
借り物・ものまねだと気付く人が増えています。
西洋文明礼賛、アメリカ文化迎合に矛盾を感ずる人が増えてきているのは、ここまで日本の文化、日本のこころが傷めつけられた結果ではないのでしょうか。
先に書いたように、文化とは自然とのかかわりの中で築かれ、伝承されてきたもので、異文明によって変質させられてしまうほど脆くて弱いものではないのです。
屈服したように見えるのは一時的、表面的なものでしかないはずです。
本特集のその(1)でも触れているように、日本民族は祖先をたどれば、70万年前後前の東北の住居の遺構があり、30万年前の民族の融合があり、米づくりにしても6000年以上前の跡が確認されています。
数万年前の「カタカムナ」や「おしで」文字の文献も残されています。
氷河期上古代の神代から連綿と続く民族の歴史があり、文化があるのです。
その昔から日本民族は〝森の民〟として生き、自然の恵みに感謝して、自然と調和し、共生してきました。
5穀の神に感謝して農耕をしてきた民族です。
その数万年、数10万年の歴史の中で築き、受け継がれてきた文化が、西洋文明に毒されたのは、わずか数10年でしかありません。
私たちが日常使っていて、頭が良いとか悪いとかの基準とされる左脳の機能は、一時的に日本の精神、伝統文化を忘れることはあっても、右脳と右脳につながる無意識脳と60兆個もある一人々々の細胞のDNA(遺伝子)は、しっかりとそれを受け継いで生きているのです。
その証拠に、やはりお米のごはんの和食がおいしくて、おふくろの味が恋しくなるのです。
正月とお盆は心がひきしまりますし、祭りには心がおどります。
裸足で歩く畳が心地良く感じ、木の香りにつつまれると優しくなれるのです。
虫の音や四季の花に心を寄せ和歌に心が和むのです。
それに、日本にはすばらしい伝統が随所に生きています。
人間形成と文化の伝承を目的とした「道」が、いまも日本人の心をとらえて離さないのです。
茶道、花(華)道、書道、香道、柔道、剣道、弓道、武道などがそれです。
日本の文化を忘れたつもりでも、いつも5官と第6感で日本を受け止めているのではないでしょうか。
ここに脈々と日本民族特有の感性と伝統的な精神文化が生きているのです。
●21世紀を拓く「人の道」
  この荒廃し、汚染された日本と地球の21世紀に、人間らしさを取り戻し、地球再生への音頭をとれるのは日本しかありません。
日本は、日の本の国です。
世界に日をあてる使命を与えられていると考えてもいいのではないでしょうか。
また、日本は大和の国と言いました。
大和とは、大いなる和の精神であり大調和です。
「ほつまつたゑ」には「やまと」は、いよいよ真の「との精神」を持つ国、山本の国という意味だと書かれています。
「との精神」というのは、「と」の神と一体となる道、整い完全なる道という意味です。
「と」は「十」のことで、最初の一から最後の十までを持った完全なことを表しています。
また、「一」は「ひ」であり、「十」は「と」ですから、ヒトは地球上の究極の存在、完全なる存在であることを示しています。
人の道とは、天なる道へと続く生き方、宇宙の法則と自然の摂理に従った生き方を指しています。
世界の21世紀を日本再生、地球と人類の再生の時代とし、2001年をそのスタートの年とするために必要とされるのが、人の道ではないでしょうか。
西洋文明に支配された人間中心、自然支配、科学絶対の思想を続ける限り、今日のさまざまな危機を解決することはできません。
大きく視点と価値観を転換することです。
生まれてこの方、着馴れているように見える衣を脱ぎ捨てることが新しい日本と地球の創造への扉を開くことになるのではないでしょうか。
これまでにも価値観の大転換の時がありました。
1度は明治維新です。
黒船の襲来に始まり、鎖国を解き、幕府が崩壊して明治政府が生まれ、刀を捨ててチョンマゲが切られました。
もう1度は敗戦でした。
誰もが敗れることがないと信じさせられていた戦さに敗れ、長い歴史の中で初めて他民族の支配下に置かれたのです。
あらゆるものの価値観が一変させられました。
しかし、この2度の大衝撃の下でも日本民族は気概を持って日本を作ってきました。
今も表面はアメリカの支配下にありながら、民族のこころを持ち続けています。
21世紀へ向けての転換は、天地がひっくり返るような異質の価値観が求められているのではなく、私たちのこころと体の奥に生き続けている日本らしさ、日本の伝統的な精神文化を復興させることにあるのです。
●21世紀は日本の時代
  では、なぜ日本と日本の文化が21世紀の世界の担い手になれるのか、なぜ、アインシュタインが日本に夢を託したのかが問われます。
現実的な問題から考えれば、アメリカによる力での世界支配は終わりにきていますし、ドルの崩壊は時間の問題となっています。
アメリカを盟主とする資本主義は長くは続かないところへ来ています。
集合体のEUは没落を支えるのに必死で、ユーロも世界通貨としての力をつける可能性は見られません。
ロシア・中国はまだまだ混迷が続きそうです。
ここから言えることは、もう力の論理で世界を支配する国は見当たらないということですし、文明が他民族、世界を支配する時代は終わるしかないということです。
文明支配の終幕の後は、文化で手をつなぎ、宇宙の法則と自然との調和で人類の新しい時代をつくる時代へと向かうことになります。
もう民族間で戦争をしたり、支配したりするのではなく、助け合い、支え合いながら、民族の文化を育てる時代へと向かうのですが、地球全体の和を育てるには、まだ時間が必要です。
西洋文明の時代が終わると次は東洋の時代ですが、東西の橋渡しをできる国が必要になります。
それは東洋にあってもっとも先進的で、高い水準の知識と文化を持ち、かつ西洋をよく知り親しい関係を築ける日本しかありません。
また、世界には、発展途上でさまざまな困難を持つ国も少なくありません。
その国々を援助し、励ますことのできるのも、経済力と高い技術水準、工業力を持つ日本と言えるようです。
また日本は、かつて多くの民族が融合して日本民族をつくってきた歴史のおかげで、それぞれの民族をよく理解し、和をはかれるという特性を持っています。
日本民族は決して排他的な性格や攻撃的性格をもたず、清濁あわせ飲むという風につつみ込み、和して行くという民族的特性を持っています。
そして、文化の中心には天皇がいます。
天皇は、明治政府によってまつりあげられた絶対的権力者としての天皇ではなく、中国文明の影響を受ける以前から続く精神文化の象徴としての天皇です。
古い時代には天皇は「あめのしたしたしろしめすすめらぎ」と呼ばれていました。
それは、天(あめ)、宇宙の法則や仕組みを正しく理解する(しろしめす)ことで、人々をまとめる(すめる)人(ぎ)という意味になります。
本特集のその(1)で引用したアインシュタインの予言のメッセージをもう1度要約すると、「世界は進歩するだけ進歩し、戦争で荒れて疲れた時に、世界を真の平和へと導いてくれるものが必要になります。
それはあらゆる国の歴史を抜き越えた、古く尊い家柄の天皇を中心とする日本です。
世界の文化は、アジアから始まりアジアへ帰りますが、それはアジアの高峰日本です。
」というものです。
アインシュタインは、決して近代の天皇を言っているのではなく、昔からのすめらぎ(天皇)としての本来の天皇を言っていることがわかります。
21世紀を担うのは、まさしく日本と日本の文化です。
日本の文化に流れるものは、宇宙・自然と調和し、和をもって知・徳・芸を育てることにあります。
借り物文化を脱ぎすて、物質的豊かさより、心の豊かさを大切にし、石油文明から太陽と宇宙のエネルギーによる文明へ転換することによって、本当の日本を改めて知り、誇りと勇気を持てるのではないでしょうか。
私たちにとって、その実践のもっと確かで、文化の柱となるのが、木を育て、木を使い、木の家を日本中にいっぱい造ることです。

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