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盆栽にある多神教

・産経新聞 2008/6/22
日本人に親しみ深い樹木。日本の樹木信仰は古くは遺跡などの後からも伺い知ることができる。青森県三内丸山遺跡では縄文時代の巨木信仰の跡とみられる巨大柱穴がある。また、諏訪大社の御柱祭も起源を遡れば縄文時代という説が有力である。樹木への信仰は現在でも、お正月の門松、結婚式での飾り「島台」などにも見られる。樹木への信仰は、祝い事などで使われる「松」にも引き継がれていると考えられる。盆栽でも、松は最高位に位置している。なぜ、松なのだろうか。日本国際文化研究センターの光田教授は日本の盆栽と中国の盆景の違いに着目した。中国の盆景では、倒立三角形型(三角をひっくり返した形)が好まれる。これは、中国で好まれる山の形や奇峰、奇岩にも共通する。一方、日本では正立三角形型が好まれる。いわゆる、富士山型である。松の木も同様に、三角形型である。三角形の上部の頂点は、神が現世に宿る場所と考えてきたという。松の木も美しい正立三角形型であり、さらには神が宿る山の頂き(神聖な場所)に近い場所に生えることから信仰の対象となったのでしょう。 また、松の木にまつわる話は古くから存在する。有名な「徒然草」にも鎌倉武士たちが「鉢の木」と当時は呼ばれていた盆栽に関心をもっている様が描かれている。また、有名な謡曲「鉢の木」には、松の盆栽が登場する。鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が、旅の僧に身をやつし諸国を行脚していたとき。領土を親族にだましとられてしまい貧しくなった御家人が唯一の財産である松の盆栽を薪代わりにくべてもてなす。その後、時頼は御家人の領地を取り戻し、地名に松がついた土地を与えたという話だ。領地を広げ、守る鎌倉時代の武士の重いが投影されていると光田准教授はみる。 その盆栽は、いまや世界でアルファベットで「BONSAI」といわれるほど人気は高い。盆栽の海外進出は1867年のパリ万博に出品されジャポニズムの起爆剤のひとつとなった。イギリスの雑誌では、19世紀末から20世紀初頭にかけて大きく取り上げられていたという。海外には、盆栽の歴史や思想を体系的に研究する専門の研修者がいるほどだ。しかし、身近過ぎるのか日本国内の大学では「存在は聞いたことがない」(日本盆栽協会)。日本の愛好家は20~30万人だが、このままでは文化的な断絶も懸念される状況である。 近年、新しい形の盆栽が「マン盆栽」が注目されている。マン盆栽はパラダイス山本さんの発案である。盆栽にフィギュアなどを飾ってジオラマのようなドラマ性をもたせた作品を作ることが可能である。家族で散歩やピクニックなどを楽しむほのぼのとした日常のひとコマや、登山やサッカーなどの動きある一瞬のひとコマまで幅広い世界を作り出している。近年、山本さん元へイタリアの園芸チェーン最大手の社長が商談のために来日した。「波はあるが、海外の方が新しい日本文化、新しい「BONSAI」として受入れ、熱心に評価してくれます。外国人にとっては、従来の盆栽に比べ「何が表現されているのか」がわかりやすいという理由も大きいでしょう」と山本さんは話す。

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