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インドネシア・みかんの未完成レポート

皆様お元気でしょうか?

 皆様お元気でしょうか?みかんです。
 メーリングリストで参加したい研修が流れるなか、夜中にネズミと格闘してる有様です。現在、大阪府教員長期自主研修制度を利用してインドネシアのロンボクに来ています。
 こちらでみた体験を少しでも皆様と時々共有出来たらうれしくおもいます。また、自分で気が付かないことも教えていただけたらと思ってます。なにぶん、あまり文章をうまく書けないので「未完成」のまま流すことお許し下さい。
 ははは・・・小学生の作文みたい(^^;)
みかん  (^O^)   2001年8月17日

1. 独立記念日 8月17日

 今日はどこの学校でも8時ぐらいから「ムルデカ・独立」の儀式が行われています。家の前のお母さんは「まだうちの子ども寝てるわ」といいつつカメラを持ってる私を連れて小学校へ一緒に行ってくれました。参加してもしなくてもいいのだろうか?いつもの子どもの数よりも少ない気がしました。
「参加しなくてもいいの?」ときくと「tidak apa apa 大丈夫」と返事。(ええのかいな、ほんまに?)
 並び方もどこが1年か5年かわかりません。そういえば、別に1年からきっちりならばなくても良いような気にもなりました。比べるものがあるというのは違いを見つけるのに有り難いことです。
 しばらくして、長い間練習したと思われる行進とともに国旗が出てきました。真っ白な制服の女の子3人です。そういえば司会、歌の指揮者、旗関係のこどもはみんな白の制服です。正直、こんな田舎でオリンピックの旗を揚げるかのような重々しさです。この日のために市場では山ほどの旗が売られています。独立の旗です。インドネシア56歳!道路にも赤白の国旗が並んでいます。
 そして、国旗に向かって敬礼!続いて「インドネシア・ラヤ 国家」を声高々と子どもたちが歌います。このような司会を全て子どもたちで執り行っていて先生たちは前に1列に並んでいるだけです。子どもたちも練習をどれぐらいしているのか、先生に助けを求めることもなく司会が進んで行くのは感心しました。まあ、日本の運動会の段取りよさです。(あの段取りの良さを得るのに苦労するものなあ~~)
 校長先生の話が始まると、やっぱりどこの小学校でもいっしょなのか、だらだらとなってきて後ろの子どもはポットからポケモンカードを交換しだす始末です。話の内容はこの日がインドネシアにとってとても大事な日だということ、みんなはいい子にならなくてはいけません。神様は見ています。といつもイスラム教の話が出てきます。さすが90パーセントがイスラム教の国です。そして、最後には「今日はお休みなので学校はこれだけです。」というと運動場にわ~~~と言う歓声が広がってみんな帰って行きました。
2001/08/17

2.これがこっちの子ども会?大人会?

 「今日は自転車のデコレーション大会しましょう。」とその地域のおくさんが声をかける。
 自転車を持っている子供たちが自分の自転車にいろいろかざり付けをする。そのかざり付けに大人も一緒に手伝う。まさに自転車のファッションショーです。それが終わると親たち・子どもたちでだれが一番よくできていたか品評会。さらに「ねえ、ねえ、奥さん。次はなにをさせてみましょうか?パン食い競争ってのはどう?」との相談会。
 どう見てもお母さんたちが子どもを使って楽しんでるとしか(私には)見えない。それでも、子どもたちも楽しそう。なんだか、昔なつかし子ども会を思い出す光景でした。
でも、違うのは大人が無茶苦茶楽しんでいるということです。どうも日本の子ども会は大人が見守る形式になってるような気がする。(日本の大人はこんなにばか笑いせえへんわなあ。)
 それに、やれ行事だというとだれが役員で、だれがテント借りてと完ぺきにして「さあ!」ということが多いですが、こちらは何となく思いついた人が役員、空いてる場所を使ってやろう、雨がふったらやめましょう。その間に忘れてなくなったわ~~(^_^;)みたいなのりがあります。
 ええ加減といえば良い加減なのかもしれません。絶対に無理をしない。お父さんたちも時間があったバレーボールをトーナメント制でしており、脇で子どもたちがやいのやいのとかけ声をかけています。優勝が決まった日にはまとめて「自転車デコレーション1位」「パン食い1位」「木登り1位」などの表彰式が地元のバンド付きで毎年あるそうです。
 まだまだ、インドネシアにはこんな地域が山ほどあると思います。 「さあ次、何しましょう!」と思える空間、これが「ゆとり」でしょうか? 時々、「たのむから時計もって」とも願いますが。
2001/08/28>

3.すごいダンス 

 
 インドネシア・マタラム21番の小学5年生として毎日小学校に通うことになりました。インドネシアの文部省にはどうにか「研究員」という意味で通過したようです。教育委員会みたいなところでは「君は後で報告書を作ってもらう。しかし絶対にインドネシア教育の悪口を書いてはいけない。」との誓いがありました。
 「は~~~い (@_@)」って感じです。(どうおもいます?)
 朝、7時ごろには子どもたちがちらほら学校に来ます。(つまり、今日から私も5時半起き)だいたいがそろったところで、いきなり音楽がなりだしました。日本のラジオ体操みたいな?エアロビクスみたいな?盆おどりのようなダンスが始まりました。あちこちにまだねむたくってぼ~~っとたってる
 子どももいます。それにしても約20分強のダンスをよく覚えてるものです。これはすばらしい。だいたいの小学校で同じ音楽でこの「体にいい」体操があるらしいです。
 月曜日・・・・・朝礼(校長先生の長いお話、国旗掲揚、国歌
 火曜日・・・・・体操
 水曜日・・・・・体操
 木曜日・・・・・体操
 金曜日・・・・・お祈り(イスラム教の人はこの日はすべてお祈りの日)
 土曜日・・・・・体操
と言った、いわゆる朝の会インドネシアバージョンです。
 おもしろいのは先生の見本はなく(後ろで、おしゃべりに花が咲いていた。)1年生からいきなり見よう見まねで高学年につられて「まねて、覚える」らしいです。よくみると、全く違う動きをして喜んでいる子。ただただつっ立っている子。アイドルのような動きの子と様々です。一汗かいたところで次はお祈りの体制に移動しました。そのころにもまだポツポツ・・・と子どもが来ます。
 このダンスを帰国までに覚えれたら「自分で自分を誉めてあげたい。」
 2001/09/13
 

4.尊重された お祈り  

 
 朝のお祈りの時間には子どもたちが自分の宗教ごとに集まります。ほとんどの子どもたちがイスラム教なのですが、15人ほどヒンズー教の子どもたちがいます。先生もそれぞれ自分の宗教の所へ移動します。
 運動場(といっても50m×30mのコンクリート)に場所を分けて並び一人の代表がそれぞれの前にでて、なにやら「今からお祈りを始めます。」っと言うようなこを言うと大きな声で祈りの合唱が始まりました。
 イスラム教のお祈りとヒンズー教のお祈りのリズムがあまりに違うのでとっても「妙」な感じです。
ふと、後ろの方を見ると男の子が一人で木の下にポツンと立っています。彼は何をしてるのか聞くと、彼だけがクリスチャンなのだということです。たった一人でのお祈りがちょっとかわいそうに思ったのですが、まあ宗教というのはもともと自分と自分の神様とのつながりだから、それがこんな小さなときから尊重され当たり前のように守られてるというのもいいものだと思いました。日本でもそうなのでしょうが、こんな場面はあまり見ないのでそう、感じました。宗教をめぐっては、どれだけ愛していてもイスラムに改宗しないと結婚出来ないといった問題もあり恋愛関係にある人には大変な問題みたいです。そんな、つらい話も山ほど聞きました。それでも、話の最後には「これも神様のみぞ知る」といった感じです。
 お祈りが終わるとやっと授業です。でも、まだ来てない先生がいるんだなあ~~。これが。
2001/09/14>

5.一番!簡単な方法伝授 

 
 算数の授業です。体操・お祈りが終わってやっと教室に子どもたちが入ったのは8時。時間割では、もうとっくに1時間目が始まってる時間です。つまり、毎日の朝の会が1時間目に思いっきり食いこんでいる計算です。(30分も食いこんでる)昨日の復習から始まりました。「三角形と長方形のいろいろな組み合わせの面積の求め方」のところです。まあ、元気に手を挙げて前に出て書くのは大好きみたいです。
 見た感じ、5年生ですが全体に幼く、日本の「3年生」ぐらいです。(体も小さい子が多い)驚いたのは、新しい問題をするときに先生が「一番早く解ける方法を今から伝授する!」みたいなことを言ってやり方を教えてしまうのです。
 せっかく、あんな解き方や、こんな方法を子どもが考える場所なのに~と残念でした。が、子どもが多くて昼から(12時から5時まで)交代の教室があるぐらいだからゆっくりしてる暇もなく「早く、楽に解く算数」が主流のようでした。それでも、創造力は育つのかな?
 コピーは町には十分あるのですが、学校教育にはまだまだ入っていません。(日本の小学校のクーラーなしとええ勝負です。)子どもたちは黒板写すのに大変です。(特に図形・・・・・もう、わやな図ですわ。)
村の奧の方ではまだまだかけ算ができない大人が多いそうです。というよりも、そこの生活にはかけ算がいらないのでしょうね。そう思ってると「次の時間も算数」宣言がありました。
  2001/09/15

6.休み時間

 
 どこの子どもたちでも休み時間は待ちどうしいものです。私も一緒に過ごしてベルをかなり待ちました。(それまでのちょっと休けいは先生任せです。)
 ちょっと遅れて「ブ~~~~~~~~ッ」と校長先生がならします。かなりの音です。その音と一緒に子どもたちは学校の中のだがし屋さんと外の屋台(お菓子)にダッシュします。
 そこからは日本では想像できない、きっと多くの先生が気がおかしくなるようは光景がありました。ジュースあり、アイスクリームあり、駄菓子あり、持ってきた弁当あり、アメ玉あり、果物ありの世界です。これを見た日本の小学生はなんというだろう。よく、放課後に運動場でたこ焼きを食べてた男の子をしかったものです。(ははは・・・)
 でも、子どもたちが5時過ぎに起きて、7時からあの体操をして12時半まで何も口にしないのはちょっと体験してみて大変なのはわかりました。(暑いし、ふ~~となります。)
 日本はどうにか、給食まではがまんできる時間設定になっています。ちょっと、気になったのはお金も家からも何も持ってきてない子供がちらほらいることです。
 休み時間 9時半~9時50分と11時10分~11時半の2回です。 
2001/09/17

7.月1回の外そうじ・カード大好き!

 
 毎朝のお祈りの後、先生が「今日は月に1度の外そうじの日(土曜日)です。」と言うと「わ~~」と歓声があがりました。何をするかというといつも、自分たちが食べ散らかしているお菓子のカスと果物の種などを拾うのです。どこでも「ペッ」とするのは見てていただけないのもです。
 一応ごみ箱はあるのですが、この仕草だけはかわいいと思えず「ごみ箱が目にはいらんか!」と言いたくなります。まあ、男の先生も種をペッと運動場に捨てるのをみてると、当たり前になってるのでしょうが。
 掃除の方は、場所を分けるとかだれが教室だとか、そんな細かいことは気にしないでひたすら友達とやりたいところをするという感じです。だから、楽しい。先生は見てるだけ~~~~、最後に火をつけるだけ~~~~子どもも自由だから「先生もやってよ~~」とか憎たらしい事はいわない。
 ここでも、だれかがするという図式ができあがってました。それでも小さい小学校の周囲はきれいになりました。考えたら日本の学校って大きいですよね。
 遊ぶ子はひたすらカード交換をして遊んでいます。その1枚を落として、だれかが捨てたとかで遠くの方でケンカしてます。それでも、先生は知らん顔。または、「ほほほほ・・・・っ」と笑ってる。
 「掃除しない子は神様がみてる。」といった感じです。教室は毎日してるらしいのですが、どう見ても警備のおじさんがキレイ・キレイしてる様に感じます。
   2001/09/19<>

8.ポケモンカード大人気

 
 今やアジアのどこへいっても、「日本のアニメ」でうまっているのでは?とおもほど大人気です。ピカチュウとクレヨンしんちゃんに関しては「ちょっと、この顔うそでしょう?許せないほどかわいくない!」というのもありますが、とりあえずピカチュウだったらいいみたいです。
 コミックも1冊7500ルピア(100円ほど)で売られていいます。1日の子どもの平均おこずかいが1000ルピア(13円)とすると、ちょっと高い気もします。どうでしょうか?学校で売られているアイスが200ルピア(2.6円)となってます。
 <私はここロンボクしか知らないので、ジャカルタ、ジョグジャなどの大都会はもっと高いでしょうね。インドネシアは広い。そしてロンボクは都市から遠い。遠い。>
 カードは大人気です。「掃除の時間」=「カード交換」の時間を思ってる子どももたくさんいるようです。それを見ても「さあ、さあ」と先生は言うだけ。(ええんかいな、そんなんで!)
 そこに、ちょっと年輩の1年担任の先生が来て「私はねえ、教室では取り上げるのよ。ふふふ・・・売れるほどたまったわ。」と後で言われた。
 この間、送り出した6年のガラクタを取り上げていた自分を振り返ってしまった・・・・・
 でも、ほっとした。
    みかん  (^O^)2001/09/21

9.学校でお買い物!

 「わ~~~、学校で先生買い物してるわ。これぞまさしく『開かれた学校』だわ。」と思ってしう光景です。買い物といってもセシールとかの通信販売とか生協とかでなく、頭の上にドカッとかごに野菜を乗せておばさんがやってきます。そして、運動場の真ん中でその野菜や魚を広げ出します。この買い物おばさんはほぼ毎日来ます。
 校長先生は「ここは、場所が広いからねえ~」とニコニコしながら、例の「まけといて~」をやってます。関西ののりがありますねえ。
 さすが、女は買い物に強い。その間、子どもの遊びは自動的に移動。
 そこへ、近所のお母さんもぞろぞろと来て立ち話。野菜おばさんもいつもの顔のようで先生たち、近くの主婦、子どもたちと楽しそうにしゃべってます。
 (そして、校長はまたもや、始まりのベルを鳴らすのを忘れている。でも、気にしてるのは私だけ・・・・・いつものことらしい。)
 そんな、強引なコミュニケーションの場がここにはあります。近くのお母さんも自然に学校に入ってきてるし、雰囲気としていいのは「買い物=今晩のおかず(家の中の事)」であり、その周りに集まった人は当然気持ちが近くなるということです。気持ちが開かれて初めて「開かれた・・・・」と使っていいんだと思います。大きな行事とかよりも日常にその答えがあるように思いました。(いつも勝手に思ってるだけで、また教えてください。)
 スーパーの中の奥様方の“あの”おしゃべりが学校の中というのもおもしろい。
2001/09/23

10.お祈り・お祈り・・・お祈り・・・さらに金曜日は特に

 ここロンボクは特にイスラム教を熱心にとりこんでる。ローソンの勢いでモスクがあると感じてしまう。(ああ・・・これがローソンやったらなあ。)となりの島・バリはバリヒンズーなのに、海を飛行機で30分越えただけで環境はがらりと変わります。
 なんでも、女の人は肩を出したらだめ。ショートパンツはだめ。と言うのが本当らしく。なんせ、肌をあまり見せてはいけないのです。かみの毛も不浄の物でありそのためにお祈りの時はきちんと髪を隠します。
 金曜日と言う単語はジュマットといい、お祈りに使われているジュマタンという語から来ているものです。つまり、ジュマタンする日、だからこの日が後々「金曜日」と言う意味になったと教えてもらいました。
 この日は朝から「お祈り用の服」を着て、男の子はきちんと帽子をかぶりやってきました。女の子はほぼ白ですが、とにかく顔以外肌が見えなければいいようで、かわいい柄のもあります。
 授業のように遅れることなく7時すぎにお祈りが始まります。すわる場所はきちんと男女分けて当然女が後ろ。見本のお祈りも男の子、さらに学年の高い子が前の方に座っています。校長先生と言えども男のガキンチョの前には行きませんでした。はっきり、男性中心社会を見ました。
 そう思うと、7月の末に大統領になった「メガワティ」さんは今やこの国を背負って男の上に立ってる。インドネシアにしては「すげー事」だったんだと一人で感心してました。
 それにしても、長い・・・・お祈り。
2001/09/25

11.「ぼくの家族はインドネシア語です。えっへん。」

 これを聞くと当たり前のように感じますが、インドネシアは3000以上の民族がすんでいて、各民族の言語は250ともいわれています。一番多いのがジャワ人(ジャワ語)、スンダ人(スンダ語)などになっています。だからそれぞれが地方語を持っている形になるのです。実際に目の前でインドネシア語からジャワ語にかわると、分からない言葉が→→全く分からなくなります。
 ここロンボクではササック語を習います。どこへ引っ越ししても地方語は教科の中にあって子どもたちはそれを習います。つまり、地方語が違うところへ親の転勤で行くこどもは一言「大変」です。私はこのクラスの子どもたち(ササック人)はみんなササック語がしゃべれると思ってたのですが、実際は村の奧の生活にしかしっかりと残っていないとのことです。
 また、村の奥地にはインドネシア語がしゃべれない人がいっぱいいます。
☆「ねえ、ササック語しゃべってよ。」
★「無理、難しいもん。」
☆「家でだれがしゃべってるの?」
★「うちの家はインドネシア語だけ!聞きたかったら村に行ったら聞けるよ。」
と言う会話の中で、いかに統一されたインドネシア語を誇りに思ってるかを感じました。
(また、インドネシア語ができない村人をちょっと下に見てる言い方だった気もします。)
地方語の時間は古典でラオ語・タイ語などを勉強してる感じです。
分からないのに座ってるのもつらいものです。まるでお化け文字 トホホ・・・・
一つの国、一つの言語。オランダ・日本の占領を経て独立。
1945年の憲法で「インドネシア語に統一」となりました。
2001/09/28

12.ごっつい、正直な小学生!

 朝のお祈りが終わりました。終わるスピードは一人のクリスチャンの男の子→ヒンズーの子ども達→イスラムの子ども達の順番です。その日はイスラムのお祈りが眠いのか?だらだらとしていたらしく、先生が「~~のところからもう一度」と声をかけてやり直し。
 その後、数人の男の子が運動場に残されています。教室内の女の子集団にきくと「朝のお祈り(5時半ごろ)をまたさぼったのよ。」というのです。時々「朝のお祈りを忘れた子?」と宗教の先生が聴くらしい。
 10人ほどの男の子は順番に先生に理由を聞かれています
●「なぜ、お祈りをしなかったのですか?」
☆「眠たかったからです。ごめんなさい。」と言った感じです。
 そして、鼻をぴっとつままれてお仕置きはおしまいです。
 叱られているのだが、自分の鼻をつままれたら次の子の顔を見て笑ってる・・・・・
 ちょっと、見てて楽しい光景でした。その後教室に入ってきた子どもに、
★「どうして、先生にばれたの?一緒に生活してないのに・・・・?」
☆「そんな、お祈りをさぼって、先生にも嘘をついたら罪が2個になるやんか」
☆「嘘をついたら、だめなんだよ。僕らがわるいねん。えへへっ。」
☆「正直でなくっちゃだめなんだよ。」
 あああっ~~~~~日本の小学生に聴かせたい!
 というよりも、そんなアホな質問をしている自分が無茶苦茶はずかしかった。ちょっと、「うっそ~~~」て感じで見られた。
 私の罪はいくつあるだろう?
 あらためてこの国は「宗教教育」が一番だと感じました。
2001/09/29

13.コミュニケーション能力・MAX

 買い物に行くのはベモに乗ります。がんばって乗って13人~15人?(もっと乗っていたかも)もう、この時すでに、学生たちは外につかまって乗りなさい。と指示されたりします。料金は一度降りるまで、大人が1000ルピア(13円)・学生が半分です。
 いつも驚くのはいつでも・どこでも・だれとでも会話がとだえない事です。以前に一度乗り合わせた人と一緒になった事がありました。とその時も向こうから「あんた、前にあったな。日本人だからおぼえてるわ。最近どう?」みたいに声をかけてくれました。気をよくしゃべってると、今日は市場の日で混むわ、混むわ・・・・・・このまま、ベモが倒れたら完全に圧死だろう状態が日常です。そして、そのおばさんは乗ってきた人に
★「最近、あんたのだんなはどうよ?働いてる?子どものお金はらってる?」といきなり会話が始まって、聞かれた人も別にびっくりすると言うほどもなく。
☆「男っていやねえ。子どものことなんかほったらかしで朝っぱらから出てゆくのよ。学校のお金は今度ね。」
★「実はうちもそうなのよ。まあ、いいか。今日は市場だしねえ。で、それいくらで仕入れたの?」と言う会話。後でそのおばさんに知り合いなのか?とたずねたら、今、初めて見た人らしい。え?
 初めて会った人とそこまでいきなり会話できるのもすごい。きっと、人にも土地がらにもよるのだろう。きっとジャカルタではないだろう。と思いつつもインドネシア人のコミュニケーション能力はすごいと思った。
2001/10/01

14.小学生の落第!

 インドネシアの小学生がびっくりしたのは、「え!日本の小学生には落第がないの?」ということでした。こちらはほぼ単元ごとに(日本よりも細かい)小テストがあります。先生もまめにノートを集めます。そんな積み重ねと日ごろの態度で進級の時期に先生から「あなたはもう一度3年生です。」と言われるそうです。
 また、毎年、学年があがるごとにクラス分けと一緒に「合格者・不合格者」を張り出されるとのこと。スラバヤから来た先生も「そうだ、そうだ。」といっていたので、ほぼインドネシア全土でそのようです。
 私もちょっとびっくりしました。その後、子どもたちと話してるとこのクラスには数人落第者がいるようです。(見てたら、だれか分かってしまいましたが。(^^;) しかも、まあなんと、3年生を3回した子がいるとか。あまりの厳しさに、「かわいそう。」というと
★「そうね。でも、何もできないまま大きくなってもしかたないし。」
★「はずかしいけど、また友達増えるから、クククッ」と返ってきました。
 その横で、きっと落第しただろうその子が体をよじって笑ってます。
 周りがそういう目で見てくれてるので、「何かができない事」はそんなに恥ずべきことではない雰囲気があります。ゆっくり、ゆっくりでも、出来たらいい。これは、そんな言葉を言える本人が偉いのでなく、そういう何でも受け入れる雰囲気が「小学生の落第」も受け入れてると思います。ある意味丁寧な教育です。落第がいいとは思わないが、地域も学校も親もそういった「雰囲気作り」が大切だと学びました。
2001/10/03

15.入学の年令がバラバラ?

 「小学生の落第」が大変やなあと思ってると、なんとそれの対抗策がありました。入学の年齢を早めるのです。(まあ、なんと安易な。)調度、家の前のアニィちゃんはまだ5歳になったばっかりなのに、もう1年生なのです。お母さんにそのことを聞くと「体が、大きいしね。中学に行ったら難しいから。もし早く卒業できたらそれはそれでいいのよ。」と答えが返ってきました。つまり、もし何度か落第しても正規の年齢でいけるからいいのだ、と言うことです。すごい。すごすぎる。
 「だったら、どこのお母さんもそうするから年齢がうんと下がると思うのですが?」
 そんなまたもや私のアホな質問に
 「これよ、これ!」と親指と人差し指をスリスリしました。そうです。お金がいるのです。では、誰に渡すのでしょうか?
 それは校長先生!!!!思わず、「そんなこと、いけませ~~~~ん。」と言いそうになり開いた口がふさがりませんでした。そう思うと日本の校長先生が輝いて見えました。(一瞬)それでも、なんだか信じられずにこちらのマネージャーに聞くと「そう。僕んところはお金がなかったから、でも落第してないよ。今は6歳以上でないと入学できないと思うけど。どうかな?」とのこと。
 また、もっと村にはいると子どもが多くて
「君は6歳だが、まだ、体も小さいし、今学校いっぱいだから来年ね。」
とか反対バージョンもあるらしい。誰がそれをきめるのだ!きっと校長先生でしょう。
 自分の価値観が壊れて行くのが今はとっても楽しい。
 落第3回の(@_@)君、その分君はいろんな人に会ってると思うとうらやましい。
 でも、次は落第しないように勉強もしてみよう。
2001/10/05

16.「早く!早く!早くしなさい。」

 小学生が一番きらいな言葉 NO1で、彼らを取り囲む人たちが一番多くするこの言葉。「早くしなさい。」私も、なんどこの言葉を使ってきただろう。4年前、5年生を担任させてもらった時、私の口まねに付け足して男の子が「もう、早く、早くしなさいよ。早く死になさいよ!」といった。その子はいつものギャグのつもりだったのか笑っていたが、あの時はゾッとした。
 早く 早く 早く 早く 早く・・・・・と追いつめて心は何も感じなくなり早く死んでゆくのだろうか?そうだとしたら、恐ろしい。それから出来るだけ使わないように気をつけた。それでも、まだ、日本ではうっかり使ってる時があった。ここインドネシア・ロンボクの小学校に小学生として通っていて改めて思う。
 誰も言わない「早くしなさい。」
 聞いたとしても日本のそれとは違う響きがある。結局は子ども達から学ぶ事の方が多い。
 早く、早くと心を殺してしまう必要なんて絶対にない。子どもに「早く」と迫るのなら、大人は温かい目で「どれだけ待てるか」自分にチャレンジしてみたらいい。きっと、子どもに負ける。
 と、久々にしんみり思ったけど、こっちの先生は「我慢して待ってる」と言う感じが全くない。「早く」とも思わない。ただのんびりしてる。この学校の先生が日本に来たら何を良いと思ってくれるかな?きっと、そう感じる「もの」が今お互い教育に足りない物なのかもしれない。
みかん  (^O^)

17.宿題わすれ、耳・鼻パッチン!

 昨日でていた宿題は算数で、「1年+5週間+3日=?日」といったもので、最後の方の文章問題はとってもややこしかった。国が変われば算数の単位も変わるらしく、日本に無いものがある。例えば 1windu=8年 とか 1dekade=10年とかで先生は「日常でも使う」と言うがまだ、聞いたことがない。子ども達も「知らん」と文句を言っていた。(今習ってるので当たり前。)
 そして、案の定、あまりの難しさに半分の子どもがしてこなかった。また、最悪なのが担任の先生が研修でいないので隣の(怖がられている)先生が「今日は一クラス」といって入ってきたことだった。隣もまったく同じ宿題。
 「してないもん、手をあげろ~」と始まって片っ端から子どもの耳をピンと思いっきり人差し指ではねていく。ちょっとでも避けた子どもは鼻を付け加えられる。子ども達いわく、鼻の方が痛いらしい。そんなお仕置きをなんどか見ていてやっと気が付いたのだが、男の子ばかりが耳をピンとされている。女の子はされないのだろうか?女の子は全て宿題をしてるのだろうか?そんなことはないだろう。
★「なんで、女の子は耳パッチンされないの?」
☆「だって、女の子だから・・・・」
 これってありでしょうか?世のフェミニストが聞いたらなんと言うだろう?
くっきり、はっきり男性中心社会の裏返しと思いますが。後で聞くともちろん先生によるらしい。きっとそうなのだろうが、それにしても全体的に女の子にやさしい。それは肌で感じる。
2001/10/09

18.理科の実験大好き

 「日本には実験道具がいっぱいあるのでしょうね。」といわれると、なにかしら申し訳ない気持ちになる。5・6年生が持ってるのは1セットだけ。大きな戸棚から大事そうに出してきた中身は、試験管・ビーカー・温度計などだった。大事に使ってるのがよく分かる。だが、実験といえども1セットしかないので見本となる先生しか使えない。子ども達がそれぞれ好きな葉っぱを実験するなんて事はない。
 5年生の「太陽が植物にどのように影響してるか」とういう題目でクロロフィルを中心に習い、その後実験だった。黒のシートをかぶせた葉っぱを持ってきて、おきまりの実験なのですが、なんと、算数と同様に「ほ~~ら、この液を着けたら色がかわるぞ。」とか「なぜなら、太陽の光が当たってないからだ。」とかを言ってしまうのです。考えさせないで結果が大事なのだと思った。
 誰かが教えてくれた、最も早く先進国に追いつく方法なのだと。日本も昔はそうだったと。もっと不思議だなあと思って欲しいのだが、それでも子ども達の目は先生の実験に釘付け状態だった。自然にふら~~と立って前まで見に行ってしまう子どもがいる。しばらくして、後ろの座席部隊が「なんでおまえが前におるんじゃ!後ろにかえれ!」という声が何度かかかる。そんな実験の風景でした。
2001/10/11

19.学校銀行

 子ども達は毎日、誰かしら学校へ小さな通帳と一緒にお金を持ってくる。それは1000ルピアだったり、500ルピアだったりとバラバラなので気が付いたのだが、持ってこなくてもいいようである。この間、そのお金はいったいなにか?と集計している先生に尋ねたら、とっても面白い話をしてくれた。先生は全学年の子どもの名簿に誰がいつ、いくら持ってきたかをきちんと記録する。
 そして、学年が上がるときにまとめて個人に返金する。そのお金は新しいノートや文房具を買うお金になる。親の方も一気にお金がいると困るが、毎日の積み立ての中から新しい学期を向かえるのは気が楽だろう。(日本の修学旅行積立金と似てる。)また、途中でどうしてもお金がいることがあったらそこから使えるらしい。だから、別に貯めたくない子ども、その出費も無理な家庭は別に学校貯金をしなくてもいいわけだ。子どももおじいちゃんとかおばあちゃんにお金をもらったら、「その一部を学校へ持って行きなさい。」と躾られているらしい。
 さらに、ある程度、学校でまとまったお金は町の銀行へ預けられる。その利子は学校で一番貧しい子ども達へ割り振りされる。という図式になっていた。利子がその様に使われるのはとってもいいことだと思う。その先生がまた、話上手な方だったのでとっても感動した。なのに、「この記録の仕事はとってもつかれますわ。給料に入ってないのにね。面倒だからみんな嫌がってね。いつも僕がしてるんだ。」と言うからがっくり。
 この宗教の先生(イスラム)はその後、ジャカルタでアメリカ国旗を燃やしてるデモの写真をみて悲しそうに、人が亡くなった時は熱くなってはいけない。一番心を静めた者が導いてくれる。とも話してくれた。これ以上人が亡くならない方法がきっとあるとおっしゃってました。
やっぱり、ええ人や。
2001/10/13

20.ままごと

 こちらの子どもも「ままごと」が好きです。よく、近所を歩いていると小さな女の子が集まって楽しそうにままごとをしてる。ただ違うのはやり方。日本では(今の模倣遊びは廃れてるのかどうか分からないが?)お父さん役、お母さん役、子ども役とかを決めて劇みたいなことをしてた気がする。小さなお茶碗があったり、土でこねた泥団子があったりと。
「もう、学校へ行く時間ですよ。」
「はい、新聞ですよ。」
「お父さん、そろそろ犬の散歩にいってください。」とか会話を楽しんだ記憶がある。
 ところが、こちらはじ~~~っと見ててもほぼお母さん役だけ。一家に何人も母親がいるのか?(イスラム教は4人までOK)と思いきや、ひたすらみんなで料理の下ごしらえをしてるのである。こちらのままごとではこれが一番重要なのだろうか?片手に石をもってあちこちの木の実、葉っぱ、砂(塩の代わりでしょう)を混ぜ混ぜ、すりつぶし、料理の香辛料のルーを作ってる。
「まだ、辛さがたりないわ。」
「まだ、まだよ。」ってな感じで。
 こちらの料理が美味しいのはいかにこのルーを丁寧にすりつぶしたかによるらしい。こんな小さい頃から本当に上手にすりつぶすこと、びっくりです。子どもっていつも、素知らぬ顔をして家でお手伝いさんやお母さんがしてることを見てるのだとつくづく思った。
2001/10/16

21.職員会議・・・テスト編

 授業が始まったかと思ったら、校長先生から集合の呼び出しがあった。今から職員会議らしい。決まった時にあるのではなくて、こちらの教育機関から通達があったら行うらしい。今日の案件は「第1回、テストについて」だった。日本だったら職員会議に外部者は入れないが、
★「はいりなさいよ。いいわよ。お茶があるわよ。」
★「~~先生と***先生のやりとりおもしろいわよ。」というので中にいれてもらった。確かに吉本の漫才を見てるみたいだった。となりの先生を何度も
★「あんた、何をいってるの!!」とばんばんとたたくから先生が痛くて席を移動する? そんな風景がある。まあ、要するに先生たちも仲がいいのです。会議の内容は今まで先生たちが自分たちで買っていた子どものテストを教育委員会から用意されることになったとのことです。別にいいやんか?と思ってきいてると、昔は1000ルピアで買ったのを2000ルピアで子どもに売っていたらしい。つまり学校は1000ルピア×人数分もうかる。でも物質(テストプリント)が送られてくるとそうも行かなくなる。お金を子どもから取れないということらしい。
 まあ、そうした方がいいのでは?と勝手に思ってしまった。なぜか後半はガゾリンが値上げになる話になってた???
 この会議の約2時間、子どもたちは遊びまくり、食べまくり、休み時間満喫だった。
 今日の勉強はまた明日。さて、帰りましょう。
2001/10/17

22.ケンカ・・・しても先生不要

 時間がゆっくりしてるだけに、教室の中でのケンカはびっくりするほど少ない。クラスを持っていた時はお決まりのように、ちょこちょことよくケンカに出くわした。時間がゆっくりしてると言うのはケンカも少なくなるのだろうなと思う。お母さんにしても時間がたっぷりあったらイライラしないだろう。まあ、そんな当たり前のことを思ってしまう。今日は久々にケンカを見た。
 こちらの子どもたち、するとなったらそれは激しいかった。あらゆる悪口を言い、さげすみ、ばんばんとたたき、額から汗を流し・・・・・最後には男の子を泣かしてしまった。そして、女の子も大泣きを始める。ここまできたら先生の登場でしょう!と一人で思っていたがだれ一人先生を呼びに行かない。もう、私は職業柄ウズウズと止めたくて、立ち入りたくてイライラしてたが今は子どもとしてクラスにいるのでやめた。ひたすら、眺めていた。そのうち取り巻きがいろいろと口を出し始めて、おしまい。大きな怪我でもしない限り先生は不要なのだと感じた。日本のチクリ(いい言葉ではないが)はまずいない。(先生に言いつけても来ないかも?)思ったのは
1/クラスの問題解決能力が高い(人間関係)・・・・1年からすでにそう。
2/先生、楽でっせ~~いいな。いいな。でも、ちょっとさみしいかも。
その後、先生が教室に入ってきて言った言葉。
「ケンカしてたのですか?お互いあやまりなさい。」・・・・理由は聞かないのかいな?このケンカ日本だったら、「先生無関心!」とプリプリされそう。
そして、子どもたちは握手をしてケンカ集結宣言をしてた。
 これを読まれて、「え~~、子どもってそんなものでしょ。」と思われた方。私も本来子どもはそうであってほしいが、「学校」と言うところで子どもたちは結構大人なみに「人間関係」に疲れ、気を使ってる子が多いと思います。どうでしょうか?
2001/10/31

23.進級テスト・・・今年度第一回目

 今日から(現在10月8日です。)第一回進級テストです。子どもたちの様子はいつもと変わらずに、「用意した?」と聞くと、決まって「まだ~~。」と返ってきます。子どもたちを目の前にしてると小学生なのですが、さすがテストの威力!今日ばかりは、雰囲気が日本の中学生。
 このテスト週間は今、どこの小学校(公立)でも行われているということで、家の前では朝から晩までコーランを読まされていました。ところどころで、お母さんが「違うでしょう!」とカツが入ります。
 お~~コワ!
宗教のテストだから。さすがに熱心。日程は全学年
 8日・・・インドネシア語・宗教
 9日・・・算数・この国の基本精神で道徳みたいなもの(パンチャシラ)
 10日・・・理科・社会
 11日・・・地方語(ここはササック語)・家庭科みたいなもの
 12日・・・体育
★「一人ずつすわりなさい」といっても、人数的に2人席が3つできる。そうすると、
★「君はカンニングしそうだから、一人。君は2人席 OK。」と先生が選ぶのです。
 すげえ~~。こんなこと日本で言ったら、お母さん方が飛んできそう。でも、先生はよく見てる。彼は先生が新聞読んでる間、やっぱりカンニングしてた。 
 で、すべて2時間ずつなのですがお決まりのように始まったのが8時前で、帰るのが早かった。
ラララ♪
 
2001/10/21

24.幼く育てるに限る

 日本で「おぼこ(い)」といったら、①世慣れない、②うぶと言う意味らしい。(辞書あってよかった。)こちらの子どもは、さらには大人も「おぼこい」と感じる。今5年生のクラスにいるが日本の3年生を見ている気がする。確かに体格も小さいし、栄養のいきわたってない子どももいるだろう。それにしても、幼い。
 体育の時間、サッカーが終わり先生が始めたゲーム。いつものことらしい。
右手を鳴らしたら、右側(5-A)にいる子どもが手をたたく。パン。
左手を鳴らしたら、左側(5-B)にいる子どもが手をたたく。パン。
 しばらく練習してから、いよいよ本番となり、なかなか上手な先生は手を鳴らしそうでやめる。そうすると、失敗者がでる。4~5人集まったところで、一言。
★「なんか、しなさい。」子どもたち、大拍手。
なんか、しなさいって・・・・・そんな、何をするのかと思いきや、女の子が歌手になりきり
☆「じゃあ、今日はわたしが、歌いま~~~す。」といって歌いまくり、踊りまくり。
 男の子は数人で今はやりの歌を歌ってました。しかも恋の歌(分かってるのかしら?)。
 他の教室の先生も見に来る始末。幼いと一言でかたずけるのは簡単だが、要するにそこらにある楽しいこと本当に楽しいと思える。らっきょが転んで笑える感覚がクラス・家庭・地域にあったら幸せ。そして、先生もそんなのりを無理にしてないから、すごい。
どうだろう、このゲーム日本の3年、2年ならするかしら?笑い転げていた私を見て
★「みかんがそんなに喜ぶなら、今度もっとすごいことやらすわね。ふふふ。」だって子どもは先生のなんだろう。私からみると、この先生かっこいい~~!
 いや~~、人間いつかは大人になるんだから『幼く育てるに限る。』
 その方がきっと人生楽しい。
みかん  (^O^)2001/10/23

25.子どもよりも早く帰る先生

☆「先生。もう、帰るの~~。ええなあ。」
★「ちゃうわ。出張。終わりの会には戻るわ。」
 これは日本の小学校の会話。こちらは朝の子ども達は12時半には終わるので、1時ぐらいにはみんな昼の子ども達・先生と入れ替わってる。でも、誰よりも帰るのが早いのは先生。
 まだ、校門のあたりでポケモンカードを交換してる子。アイスクリームを食べてる子。今日の宿題してる子。(このくそ暑いのに)運動場で鬼ごっこ(^^;)。
 先生たちは全くと言っていいほどノートも持って帰らないし、残って仕事もない。さらにぎりぎりに来る。バイクで相乗りしてブ~~~ンと帰ってしまう。日本での何かしら「遅く来る・早く帰る」をしたら、自分に対して仕事さぼってる気になるのは何でだろう?子どもまでに「ええなあ。」と言われて、真面目に「言い訳」してしまう。「日本人は勤勉でまじめ」と誉めてくれるが、それはそれで、本当に美徳とつくづく思う。行き着いた答えは、「先生にゆとりが無くてどうして子どもにその雰囲気を伝授できるか?」だった。でも、日本では次から次ぎへと仕事は来る。こちらは、会議も子どもを平気でほっといて2時間も出来るのりがある。いいところ、悪いところ半々だと思う。
 一度、どこかの学校全体で1ヶ月間、先生は朝9時に来て、3時に子どもをほっといて帰る。その分、笑顔を増やしておもろい話を日に2時間はする。そうすると、クラス・学校はどう変わるかやってみたい。学力は下がるかな?でも何かいいことがある気はする。(きっと、アホか!と反対されるだろう。。。いつもそんなハチャメチャなこと考えてる。)
 日本では無い、先生の副業も調べてみたい。
2001/10/25

26.体育のテスト・・・これで最後

 本日は体育のテストでだった。それでも朝のお祈りはかかせないので、朝からお祈り用の服を着てカバンに体操服をつめてみんな学校へ来ていた。ところが、1.2年生の女の子数人が「今日はテストだからお祈りはないと思って・・・・」と体操服(体育の日は終わってから学校で制服に着がえる)で登校。その後お決まりの 大泣き!
 「知らなかったのだから、神様は怒ってないよ。」と先生がなぐさめる。なによりもお祈りに参加してない自分が嫌みたいだった。
 さて、テストは毎朝してるダンス(体操)だった。3~6年生は学年ごとに体操をする。先生はそれをチェックしてノートに記録。運動会の後、ダンスを覚えてるか?日本でも簡単なテストをするときがある。あの感じ。それにしても3~4人ずつでなく学年まとめてするからすごい。
 先生がいうには「出来る子、出来ない子はもう分かってるわ。まあ、きっちり手をもばしたりしてるか?順番を覚えてるか?最後までへばらないか(20分もある。)?見てるの。」他の学年がしてるときは見学。これが4回繰り返されて、1日は終わった。ボールとか走りとかは第2回・第3回テストでするらしい。体操服を忘れた子は運動場を10周走らされてテストを受けれず怒ってた。
2001/10/27

27.研修

[現在テスト休み中(10月27日まで、来週から2学期スタート)つまり、本日から2学期です。]
 子どもたちを早く帰らせて(ここがポイント)今日は「研修」、この研修は校長先生がみんなに見てほしいと思った小学校を選んだようだ。まあ、校長絶対主義(クラス分け・クラス担任・行事・資金集めなど、など・・・・すべて校長命令)なのでほとんどの先生が出席。行ったところは山が近く水が豊かで周りは田といった環境の小学校。
 一言「涼しい」とまずマタラムの埃っぽい蒸し暑い所から来た私達はびっくり。校長は「でしょ!でしょ!でしょ!」と繰り返していたのが面白かった。お互いの小学校・先生方の紹介を校長が交代でしてくれる。その中で村の小学校の状況の説明。例えば、親の収入が少ないから毎月子どもから1000ルピアしか集められない(マタラムは3500ルピア)、図書館の本は持ち帰りはさせてない、昼からのクラスはない、ほとんどの親は農業で家計をまかなっていて公務員は数人、という内容だった。
 その後学校内を見学するのだが、雰囲気的には「自由に学び会いましょう。」というものであった。いつもコミュニケーションMAXなので、しゃべりまくり、聞きまくり。こんな研修は2ヶ月に1度あるらしい。ある先生が「うちの校長はもう年(58歳)でいろんな小学校しってるのよ。次もたのしみ。」と言っていた。つまり、まだ若くあまり顔のきかない校長だと研修学校・内容を満足に探せないとか?ここまできて校長の「でしょ!でしょ!でしょ!」が分かった。いかに下っ端を導くか!校長にかかってるんだ。上ってどこでもしんどいなあ。帰りは途中でみんなでご飯を食べるのが習慣みたいです。辛かった・・・・・
2001/10/29

28.先生の手作り

 研修先の村の小学校はとにかく「お金がない!」という話だった。でも、無い、無いといっていても学校運営が回らないから、
★「わたしたちは魚を飼ってます。」(この会話の展開に一人だけ笑った。はぁ?魚?)
☆「ほう、そうですか?見せて下さい。」とうちの校長
★「なかなか立派なものでしょ。」
☆「いや~~、キロいくらですか?」
と裏のでかい水槽を見ながら会話が続く。え?学校で魚を飼って、売って資金にしてるのだ。幸いこの小学校、水には恵まれてるので魚を飼育する水はいくらでもある。また魚は理科の実験・家庭科にも使われるらしい。また、ここでアホな質問をまたしてしまった。
●「誰か、持って帰ったりしませんか?」
★「子ども達も自分たちの学校のためって知ってるから、まずないですね。神様も見てるし。大事に餌やってます。」
この情けない質問、私も知らない間に随分と嫌な人間になってるのかな?
★「そこの通路は私達が造りました。」
☆「いや~上手ですね。」
★「いえ、いえ、職人がいないのとお金がないだけですよ。」
 [ない」と人は考えるものなんだ。
2001/10/31

29.先生のお給料表示

 どこの学校にも校長室に大きな表示がある。子ども達の体重・身長の平均値、時間割、などなどである。先生の顔写真も貼ってあり校長から順番に若い先生までピラミッド型に並べてある。一番びっくりしたのは先生方の基本給料表示である。校長○○○○ルピアとしっかり記録されてる。自分の給料がこんな誰でも見れる形に掲示されてるのをみると、なんか居心地が悪い気もする。だから簡単に
★「みかんの日本の給料はいくらだ。」と聞けるんだ。
☆「いや~~、ひとりで充分生活出来るぐらいです。」
★「だから、いくらだ。」
☆「ルピアだと・・・・○○○○ルピアぐらいかな?」
★「お~~~、メッカに何回もいけるじゃないか!」この発想はさすがです。
それから永遠にお金の話が続いて毎回のことながら困ってしまう。
 その他にこの先生の宗教はイスラム・仏教・ヒンズーと掲示されていてどの宗教を信仰してるかはっきり分かる。日本でプライベートだと思われてる事がこちらでは、オープンにしないといけない。隠す方が変なのだろうか?それにしても先生のお給料は低い。
 「他にもう一つ仕事を持ってないと家族は食べていけない」というのは嘘でもなさそう。
 もっと、もっと村には子ども達がきて先生が今日も休み、週に2~3回しか来ないところがあると新聞に載っていた。平均的に先生の数が足りない。子どもが多い。
2001/11/02

30.町の学校と村の学校

★「いや~~水がきれいですね。きっと、子ども達ものびのびしてることでしょ
う。」
→→マタラムでも充分のびのびしてるで。
★「マタラムではそうはいきません。」→→え?
★「ごみはゴミ箱に捨てないし。」→→先生達もそうやんか!
★「やっぱり自然の中の小学校はいいですね。」→→夜の停電恐そうやなぁ。
と言われるだけあり、この研修先の小学校は水が豊かだった。トイレにはいつも止むことなく水が流れ、校内のカエルの置物(子ども達の手洗い場)からも水が溢れていた。山が近いだけあって水もきれいだ。
 こんな小さな島でも場所により環境ががらりと変わる。水に年中苦しんでる場所もあると思うと自然は酷だなあと感じる。「自然」と言ってもこちらの先生が言うのは大自然、すぐそこは密林・ジャングル。町から車で1時間でジャングル近くまで到着。ジャングル3丁目小学校の先生は
▼「町には物も多いし子どもの知識が広がるでしょう。」という。でも、学校はその地域にあるもの、動かないものだから、それぞれその土地の味を出してゆくのが一番いいのだと思う。そうしてると、裏で採れたものです。とバナナとマンゴーが山盛りでてきた。ジャングル3丁目小学校ではこれは大自然の恵み。(これ、毎日タダで食べてんだ。)
当人には気が付かないが、他人からみると「ほ~~すげえ。」と思う。その学校の味なんてのはそんなものでないかな?
「うちの学校の地域に誇る特徴は!」と職員室で言っててもつまんない。とちょっと思った。
2001/11/04

31.はやりの遊び

 学校でお菓子を食べていいと言うことは、それについてるおもちゃで遊んでもいい。ということらしい。こちらにも「グリコのおまけ」みたいなのがあって最近、男の子はそれにはまってる。おまけには日本語?中国語?で「恐竜世界」と書かれてあり、小さなプラモデルになってる。パチパチと型をはずして組み立てると、恐竜ミニチュアの出来上がり。
 それが休み時間、机の上にいっぱい並び、友達と交換。その後、恐竜が恐竜を食べる劇をして結構楽しそうに遊んでいる。なにやら、その時の「ぎゃ~~、」とか「うぉぉ~」ってのが楽しいらしい。しばらくしてると自分たちが恐竜になってる・・・・え?
私には分からないがなにかしらルールーがあるみたい。チャイムが鳴ると「次、おまえからな。」と約束してる。女の子はゴム飛びをしてる時が多い。
 でも、休み時間が長くなってきてお菓子を食べた後の話。やっぱりみんな休み時間はまずお菓子に走る。ゴム飛びは本当に小さい頃によくやったので懐かしい。飛べたらだんだんと高さを上げていくやり方は全く一緒。そして、絶対に男の子は一緒にしないらしい。ただ、飛んでる女の子のじゃまをする。どこでも一緒だな。
2001/11/06

32.見せびらかしテスト返却


 
 進級テストが終わるとテストが個人に返ってくる。いくら問題が多くても、点数表示されるときは1~10段階のようだ。そして、5が付いてるともう「最悪」らしい。周りを見渡したが3とか2とかはいない。いない代わりに点数表示がない。5以下は書いてもくれないのだろうか?それにしても問題の多いテストだと思う。しかも小さい字。
 今日は算数と国語と宗教が返ってきた、返却するときは名前を呼ばれて前に取りに行く。自然と前に人が集まってクラス全員終わるときは教室中がぐっちゃぐちゃ。5年生ともなれば自分の点数のところを良くても悪くても折ったりして隠す子が多い。自分も昔、あまりの悪さによく破ったりして捨てた。悪かったらちょっとはショックだろうが、こちらはそんなことはないに等しい(この小学校だけかどうかは分かりません。)
 何をしてるかというと自分の答えと友達の答えを見せ合いして(点数なんかどうでもいいって感じ)
「先生、これでもOKでしょ。」
「これ、間違ってないわ。」
「言い方ちがうけど、私の気持ちはこういう意味なの」と自分のことを訴えに来る。
(ものすごい、うるさい瞬間だった。)
★「さあ、さあ。分かった。今から答えを言うからな。」と答え合わせ。面白いのが、その時に先生に「その答えでもいい。」と言われると。
「やった~~」と大喜びで、点数を正せ!とか言わずにニコニコする。
「点数を上げてくれ!」とセコイことは言わない。何かしら変な気分になったが、結局は自分が納得したらいいようだ。点数・点数・点数・点数を気にしてると点数に踊らされてしまい、何のための勉強かわからなくなる。
「100点とかいてあったら、中身が全くわかってないのに喜ぶ子」いませんか?ようは、遅くても分かったらええ!いったい、どんな風に教室内の雰囲気をもっていってるのか興味津々。現任校で点数表示せずに全てにコメントを書いてあげる先輩がいる。改めてすごいなあと思う。すぐに子どもの周りは「何点だった?」と聞いてしまう。「お母さんの言うた漢字、書けてた?」ぐらいにした方がいいのかも。この雰囲気を作る方法は絶対あると思う。でも、なんだろな?
みかん  (^O^)
2001/11/09

33.家庭科での食事

 みんなが帰る中、4年生の家庭科の授業が始まった。そういえば、先ほどから保護者がなにやら食べ物をせっせと持ってきている。2クラス使ってそれらは子ども達がきれいにセッティングしていった。この授業、家庭科の中でも「Pendidikan Kesejahteraan Keluarga」と言われて、そのまま訳すと「教育・福祉・家族」となる。子ども達はとってもこの授業が好きみたいで、班分けされた席についてもうワクワク。先生と一緒に昼ご飯を食べるのだ。その時に、マナーなどを勉強するらしい。
 とにかく、家庭科室なる物がないので、この料理は家の人と一緒に子どもが作って最後にお母さんが運んでくるらしい。いろんな家庭の料理が並ぶ。ひとつ、ひとつ料理の名前を聞いて何をつかったか?誰と一緒につくったか?など話がなずむ。
「私の家はお父さんの方が力あるから、ルーを作るのはうまいの。」
「この秘密味はおばあちゃんしかできない。」などの話が飛ぶ。ほのぼの・・・・
と、外で。ガッシャ~~~~ン
持ってきたプリン(みたいなお菓子)を子どもがひっくり返して地面にベチャリ。
お皿は二つに割れてしまった。
▼日本の場合(あくまでも5年間の個人的体験談)
「あ~~~、おまえなにやってんじゃ。」
「先生!うちの班のプリンなくなって最悪!!最低」
「先生!どうすんの~~よ~~~。」・・・・・・先生は悪くない。いつもそう思う。
▼インドネシアの場合(あくまでもこの学校の目の前の子ども)
「○○ちゃん、怪我はない?」
「大丈夫!うちらの班いっぱいあるから。」
「水であらったら食べれるよ。」
そして、相変わらず先生は「あら?」といった感じで知らん顔。まってるだけ。
 水であらったプリンは何かしら無茶苦茶うまかった。
 日本でもこんな事はあるだろう、でもちょっとそれに無関心になってた気もする。
2001/11/10

34.水泳のテスト

 体育に水泳テストがあった。月に2度ほど(年間夏なので、日本の約13時間より多いでしょう。)学年ごとにつれたって3時ぐらいから大きな公共施設のプールに行く。なんどもあったことだが、子どもたちに約束してて
「今日は、なし。なぜならプールに水がないから」とか
「今日は取り消し、違う小学校が入ってるから。」など前もって分かってるだろうことで取りやめになる。こういう時、本当に日本って段取り上手だと思う。しかし、これには子どもも怒りまくる。よっぽどプールが好きなのだろう。
今日はテスト。例のベモに乗れるだけ乗って息苦しくなって出発。テスト内容は平泳ぎとクロールを13mほどどうにか泳ぐものだった。その中でも月に2度ほどの練習に来てない子どもはプール端で固まっていた。よっぽど水が怖いらしい。面白いのが泳ぎ方を教えるというよりも「自力能力開発作戦」である。
 「どうにか向こうまで泳げたら後はフォームが付いてくるわ。」と先生はのんきに言う。そう言われるだけあって凄いへたくそな犬かき?これには水泳部の私は、時間がもったいない!ちゃんと教えたらあの子もこの子もすぐに泳げるのに・・・と思ったが。ここでは「夏という明日」が永遠に続くのであって、ひと夏13時間のなかで泳げるように手助けしなくてもいいのだ。ふ~~~ん。やっぱり子どもの能力引き出し作戦には時間がかかるものだ。
 (まあ、即席ラーメンと手打ち麺はある状況下でどちらが美味いかの議論に似てる。)
 また、子ども達は水着をきているが、大人になるとその上にTしゃつ・短パンが必修になる。イスラム教では女性はあまり肌を見せてはいけないので(画像のように)日本の水難防止訓練のようだ。これじゃ、女性のオリンピックスイマーは育たないだろうなあ。と言いたくなるが、そんなことよりもちゃんと上下肌を隠して泳ぐ方が礼儀正しいのだ。
「みかんは宗教が違うから泳ぎやすいように、脱いだらいいよ」という。まあ、そう言われても一人だけ水着で泳ぐのは嫌なもので結局泳がなかった。
2001/11/12

35.ユニフォーム紹介

 インドネシアの人って本当にユニホームとか勲章とか書類とかチームバッチとか・・・・
 そんなものが大好き。要するにみんなでそろえるのが好きみたい。先生への政府からの援助資金も布が来る。みんなでおそろいのユニホームを作って「どうだ!今年の柄は?」ととっても嬉しそう。(ロンボクだけかも?)
「毎年作るの?絶対に?ユニホームを作らないといけないの?」と聞くと、別に作らなくてもいいらしいが、ほとんどの学校は一緒の柄で自分の好きなデザインで作るらしい。よく見ると公務員の茶色の服でさえ少しずつデザインが違う。この茶色の公務員服はどこでもほぼ同じ色で、あの人は公務員だなとすぐに分かる。
 研修に行くときなどにみんなで作った今年のユニホームを着て行くといった感じ。こちらはササック族なので、日本の絣着物の柄に似てる。ジョグジャやスラウェッシはどうなのかな?この間行った研修先の先生方も同じ柄のササック・シャツをきて出迎えてくれた。
 面白いシステム。小学校も4つの種類のユニホームがある。これはインドネシア全土で同じらしい。
 月と火・・・・・・・白のシャツに赤の半パン・スカート
 水と木・・・・・・・水色のシャツに青の半パン・スカート
 金・・・・それぞれの宗教に適した服装(後で茶色の服に着がえる。
 土・・・・上下、茶色の服
宗教の時間がある曜日は宗教の服のほうがより良いらしい。
この3つに加えて上下白の儀式の服がある。
 なんとまあ、多いことだろう。間違わないのかな?と心配してしまう。
2001/11/14

36.プアサ (断食月)

 今日から(11月16日)からプアサ。プアサとは断食月のことで、この間は朝の6時ぐらいから夕方の7時ぐらいまでたばこも・水も・唾も飲み込んではいけません。1日のうちでそれが始まる時間はカレンダーに細かく書かれていて例えば11月17日はその日の断食が終わる時間は18時44分となってる。毎日ちょっとずつずれる形でおこなわれる。(当然、その時刻はモスクから大きな音が~~。)それは、1年が354日からなる陰暦を用いてるからである。イスラム歴では西歴622年4月16日が紀元になるので、今年は1422年にあたる。
 「数えなおすのややこしいね。」と言うと、日本にいったことのあるおじさんは「日本のように、パタパタ変わらないよ。」と言われた。なるほど(@_@)約1ヶ月のプアサが終わると家族や親しい人の家を訪問して御馳走を食べる。まさに、日本の正月。「Mohon Maaf Lahir Batin」という言い回しがあって、「全てにおいて神の許しを請う」という意味合いで、「あけまして、おめでとう」ぐらい会う人、会う人に言うらしい。
 また「カード」もあって、差出人はどんな宗教の人が出してもかまわないのだが、イスラム教の人が不浄と嫌う豚や犬の絵柄はスヌーピーでもだめらしい。というか、そんなカードは売ってない。自分でカードを作った時のことでしょう。
 ここ、ロンボクではかなり熱心なイスラム教の島ですが、人によっては犬大好きな人も多くいます。さすがに豚肉を探すのには一苦労です。まあ、その水も飲んだらだめというプアサをちょっとだけ知人の家で体験させてもらいます。いったい1日は、どんな流れでしょう?トンカツの夢を見ているやもしれません。
2001/11/16

37.ほのぼのプアサ

 日本でどのようにプアサ(断食)が放送されてるか知らないけれど、昨日体験したほのぼのプアサを紹介。知人の家に行くなりもう始まってると思って朝から何も食べてなかったのに、いきなり
「今日の夜からだってよ。まだ月が新月になってないって放送あったの。」とのこと、いきなりがっくりときて、水を飲みまくり。そんなにきっちりとイスラムの偉い人が月をみて判断するのにも驚いた。これを地球全土のイスラム教の人がしてると思うと、すごいと思い。見られてる月も大変だなあと思う?この月は「聖なる月」というらしい。
★16日夕方・・・・・普通に夕食をたべる。
★17日真夜中3時・・・・・「食べるわよ」と起こされる。この時にみなさん夜中なのに、おそるべき食欲。これを食べてないと次の日ふらふらすると言われて、口にするが夜中3時なので食欲はすすまない。あまり水を飲むとこれからも寝るのにトイレに困るのでやめた。食事が済んだらお祈り。さあプアサ開始。もう食べたり飲んだりは出来ない。そして寝る。
★17日朝~昼・・・・・プアサが始まったばかりの初めての朝。何となく島全体が静かな気がする。結局、体力保存の方式で昼近くまでごろごろしてた。仕事がある人は大体お昼1時まで。水が飲みたいが飲めないのが早速つらい。
★17日昼~・・・・・・今日のプアサ開けの食事を2時ごろから作り始める。「プアサの時期にはこれがないとね。」と言われる物が必ずあって、その地方によって料理のメニューがちがうらしい。それにしてもお菓子からカレーからいろいろと正月メニューのように量が多い。作ってる間、味見が出来ないので、まだプアサをしない子どもに「どう?」とか聞くらしい。でも、「ちょっと、ターメリックが多くて、塩味が?」とか言えないので結局いつもの感が物を言う。
★17日6時半・・・・・・ラジオのボリュームを上げて「今日のプアサおしまい」の放送を聞く、と同時に甘いココナツヤシのシロップをみんなで飲む。昨日の夜4時から何も飲んでないので最高においしかった。一息ついたらご家族は「お祈り」する。それが終わって、やっと食事。これがまた昼間につくった豪華メニューである。
 毎日だいたい、がんばってこういったメニューを1月作るらしい。
 日ごろ食べたいときに食べるインドネシア人だが、この月ばかりは、毎回家族が顔を見合わせていろんな話をして、おたがいの健康を祝福してほのぼのと食事をする。一ヶ月長いだろうけど、プアサを日本語に訳したら私の気持ちの中では「家族団欒」となった。
 イスラムがどうのとか教典の教えが?とか考えると、さっぱり分からない。他の宗教についてもそうだ。けど、そのイスラム教を信じてる個人とつき合うとその人の優しさが悲しみが伝わってくる事がある。その時、ちょっとはその人の持つ宗教感も理解出来る気がする。テロから以降世界で「イスラム・イスラム・イスラムが~~」と新聞に載ってるらしいが、きっと読んでてもあまり心に入ってきてないと思う。だから、空爆も終わらない。自分の心が動いたとき、その対象はきっと自分と対等な気もする。
 家族団欒の時に空爆はよけいにアカン!
と、偉そうなことを考えて朝からコーヒーを飲んでる。私は1日で充分。
 真面目にプアサしてる全世界のイスラム教の人すごい!
2001/11/18

38.マンディー・フジャン(雨の水浴び)

 雨季に完全に突入した。果物のおいしい季節なのだが、毎日降るこの激しすぎる雨には参る。雨の降る前は夏休み前の閉め切った体育館のよう。だいたい2時間から3時間バケツをひっくり返したような雨。うっかり買い物に行ってるとどこかの軒で足止めをくらい、ひたすらジーとしてる。それにしてもこちらの人は、特に子どもは雨がお好きなようで、
 「マンディーフジャン!!!」とか言って、このどしゃ降りの中でサッカーしたり、さわいだり、訳もなく歩いたり。もちろんビシャビシャ・・・・最初は笠がなかったのか?と思ったけれども、最高に暑い数時間から雨が降るともう、踊り出たい気持ちもわかる。雨が降ると決まって子供たちは外で騒いでる。昨日は帰りに雨に降られ子どもと同じように自分の体が重いぐらいぬれて帰った。でも、ホットシャワーなんてないので、水浴びして感じたのは「お~~、水の方が温い!」体が冷えきったところに貯めてある水はあったかい。幸せ~~。自然は面白くできてるなあ。
 こちらの大人はドボドボにぬれて帰ってもだれも怒らないだろう。「こんなに、ぬれて帰っても怒らんの?」と家のまえのお母さんにきくと「だって、雨だもん。」
 梅雨の時期、子どもは遠慮がちに水でピチョピチョ遊びながら帰る。ここまで水にぬれて遊べたら喜ぶだろうなと思う。自然を感じたい気持ちは止めずにほっといた方がいいねんなあ。と改めて思う。自然の代わりは親でもできない。
 2001/11/20

39.成績発表  
 
 1学期の最終日、なぜかこの日は私服だった?成績表をもらうだけの日。日本では学年ごとに新しい「あゆみ・きぼう・はばたき・・・・・などなど」のいわゆる、親向けの通知票が子どもに渡される。こちらでは1年から6年まで書き込まれたノートになってる。引っ越しするとそれを持って新しい学校に入るらしい。だから、インドネシア全土でそれは通じる。
 成績表を返す前に、
★「頑張ったら6の人も2学期には9になるし、浮かれて勉強しないと5に下がったりします。自分の成績をよく振り返るように。」とのお話があった。当たり前と言ったら当たり前だがそのころにはもう、クラス中がドキドキ・ハラハラ・ワクワクって感じで、先生の話を聞いちゃいねえ。(こういうときって、教師って悲しいのよね。前に立ってて蚊帳の外)
★「では、発表します。」何を発表するのかと思いきや?
★「3番、○○○」
わ~~~~~~~~~~~~~っと歓声。
★「2番、○○○」
★「1番、○○○」
きゃ~~~~~~~。ぱちぱちぱちと大拍手。
 こちらではクラスのトップ3番をみんなの前で発表する。3人は英雄!うちのクラスのエルマちゃんは2回連続トップで大満足。おまけにトップの10番まではノートに自分がクラスの何番か明記さいれてる。その他、次も頑張りましょうチームには「-」と横線が引かれてるだけ。まあ、25人中「25」と書かれるよりはいいだろう。
 スラウェッシから引っ越してきた子どもが、
☆「俺はスラウェッシでは。ほら見てみろ4年の時は2番やったのに・・・・・」
▼「スラウェッシはアホばかりだからさ。」(失礼な。自分も「-」のくせに)
☆「おまえもアホ。俺もあほ。」ってな感じの話をして転げ回って遊んでる。もう気分はテスト休み。(今ごろ、がんばってプアサしてるのだろうか?)
 こういう自分でぼけるところ、なぜか大阪の子ののりがある。だから、なじんでしまう。
2001/11/22

40.成績はいかに?

 クラスにはいつ落第したのかわからないが、結構な数の12才がいる。日本で12才といったら6年・中学1年である。そうかと思うと10才もいる。入学を早くしたり、遅くしたりして落第してる子もいるので一概にいつ落第したのか?してないのか?わからないが、この5年の集団は10才から12才で成り立っている。成績表が配られた後、おきまりのようにすることは「見せ合い」で、今まで持った高学年の子供みたいに2人とか3人でチラチラするのでなかった。(画像にある)女の子たちがのぞきこんでるのは、となりのクラスの○○○君のもの。
★「こんなに悪いと、チャロンだね。」・・・候補者という意味のチャロンはこの時
は選挙でも、クラス代表でも、水泳選手でもなく、落第候補者と言う意味しかない。
ああ~~
★「え~~でも、見て算数結構いいじゃない。」
★「だれだれとどっちがいいか見よう!」という感じで自分の手もとに成績表が返ってくるまで時間がかかる。いったんもらった成績表はくるくると教室を回る。また、おもしろいのが子どもや親が5を6とか7を8とかに書きかえないように数字の横には5/lima  7/tujuとか書きこんでセコイことを防いである。ここではお役所もみんなそうらしい。記述はすべて1~10(実際は5以下は見なかった。)で表されていて、その横に平均点もついている。厳しい!そして親向けの一言はすっごく簡単で「bagusすばらしい。」「もっと勉強するように」「なまけないように」だった。短い!!!
 前任校で慣れない所見(親向けに教師が書く、最近ないところの方が多い。)に苦しんだのをふと思いだした。
2001/11/24

41.礼儀正しいあいさつ

 

 初めて、そのあいさつを子どもから受けた時はとってもハラハラした。そして、なんだか申し訳なくて腰をかがめてしまった。こちらの礼儀正しい挨拶は大きな声で「おはようございます!」と言うよりも、目上の人の右手を取ってキスをするように鼻の辺りに持っていくのである。もちろん子ども同士はしない。
 朝のお祈りが終わりこれから1日始まる時、また帰る時に子ども達は先生のとこへいってその挨拶をする。まだ、よちよち歩きの時から親や周りに教えられる。全員がすべての先生にするわけでもないが、目があったりすると駆けてきて手にキスをしてくれる。習慣とか文化とかはすごいものだと思う。また、大人になると握手した右手を胸にあてる。周りがそうなると自分でも気づかずそうしてしまってる。
 子ども達も「嫌いな!うっとうしい!いなかったらいいのに!」と思う大人はいるだろう。絶対にいる!でもここではそれと目上を敬うのとは次元がちょっと違う様な気がする。簡単にいったら(例に無理がある?)
★「むちゃくちゃ、嫌いな八宝菜が出てきたが作ってくれた人には笑顔で感謝!そしてこの八宝菜を好きな人もいるんだなあ?『今、おなかいっぱいなのです』と言おう。」と思える余裕がある。そうそう、嫌いな人は一人で仲間を作らずに嫌ってたらいいんだ。こんなところにいじめが育たない気もする。どうせ、嫌いなもの無理に好きにはなれない。
 それにしても、子どもマニアのみかんとしては手にキスをされると一瞬「ハーレム」状態と錯覚するのはどうしたものか?
2001/11/26

42.虫歯鬼だよ、歯を磨きなさい!


 オバケ・妖怪の話が大好きで、よくクラスでカーテンを閉めてそんな話をした。一度2年生を担任してた時に調子に乗って「妖怪話」をしすぎた。怖がりの子どもが夜に寝れなくなって、「先生、うちの子が聞きたいが夜恐くて寝れなくなってるのです。ちょっと控えてください。」と注意された。
 ガ~~~ンッだった。反省だけして、次の5年の時は山ほどしてた。すっきりした。
 さて、インドネシアでもお化けの話は通じるか?こちらには「神=Tuhanツゥハン」と言う単語がある。その反対が「Hantuハンツゥ=お化け」なのである。お化けと言うよりも神の反対の恐いものというイメージがある。
 あんまり、こちらの子どもが虫歯が多いので小さい子を集めて「虫歯鬼」の話をしてた。頑張ってインドネシア語に訳してるのだが、もう面白がって面白がって、さっぱり無理だった。虫歯といっても口の中にそんな「虫」が夜に来て入るわけがなく、「先生、あほかいな?」って感じだったのである。こういう時、国によって本当にイメージの捉え方が違うと思う。(そして、きっと自分のインドネシア語が悪いのだと簡単にあきらめる。)
 それにしても、ほとんどの子どもが虫歯である。辛いもの、甘いものが大好きなので小さい時からたくさんの甘いものを取る。歯がやっと生えた子どもがコカコーラーをがぶ飲みしてる。ところが面白いことに永久歯になると虫歯の人がすくない。私の銀歯を見て
「永久歯は大事にしないと、だめです。」と先生に注意された・・・・・・(T_T)
「ほんだら、乳歯は抜けるからほっといてええのかい?」と言いたかった。
腹立ち紛れに「きっと神様は洗ってない汚い歯はきらいだよ。毎日3回洗いなさいね。」というと「虫歯鬼」の時の笑顔が消えて口を閉じて黙ってしまった。神様の威力はすごい。
2001/11/28

43. まだ見ぬ友達へ-11月11日の話

 現任校の5年生から手紙が届きました。それはそれは大喜びで、まあこんな子どもの顔を見ると本当にうれしいです。先生を含め、なんども驚くのは日本には「漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字」があってそれを使いこなしてる。すごい!ということです。
 言われてみればそうです。それで先生は子どもに、「だから日本人は頭がいいんだ。」と説明するのはどうかと思いますが?インドネシア語はアルファベットであり、宗教のアラビア文字・地方語の文字とあるのですが(個人的に完璧ではなく)、4種類には負けます。大人はいいとして5年生が使いこなしてると言うのが驚きだったようです。
 「小学生でも4種類を混ぜて書くのか~~~」と言ってました。
 早速手紙の返事を書き始めたのですが、なかなか面白かったのは
▼「日本は暑かったり、寒かったりします。」の返事に
☆「インドネシアも日本と気候はきっと一緒です。」と答えてるとか
▼「ロンボク島は雪は降ると思います。」の返事に、私なら「赤道教えたやろ!」を
☆「実はね。インドネシアの気候はトロピカルで~~つまり~~」と長々と説明が
あったりすること。あと、ファミコン・プレイステーション・ゲーム・テレビの話も多かったです。
☆「ピカチュウはきらいだけど、クレヨンしんちゃんは好きなの」という感じです。
 読んでいていろいろ共通する点が多いので「さすが子ども」と思ったり「この宗教の話に日本の子どもはなんて答えるかな?」とワクワクしています。
2001/12/16

44.校内放送

 日本で校内放送といったら、「○○先生、お電話です。職員室までお願いします。」とかの呼び出しに使う事が一番多いと思う。もちろん、子どもがいつまでも帰らないとか危ない事してるとかにも使う。
 それにしてもここの小学校はやたらめったら「よく聞きなさい。ゴミはゴミ箱にいれなさい。」が何度もかかる。でも言ってる尻からあちこちに捨てる。アジアの多くでこの光景は目にした。要するにゴミ箱に捨てれない子どもが圧倒的に多い。言ってる先生も誰もみてないなら~~の感覚で捨てる事がある。
 大人がそうだから子どもにも浸透しない。昔はバナナの葉っぱだったから捨てても問題は無かっただろうが、今はどこのゴミもダイオキシン製造中である。大都会ジャカルタの(常識あってほしい)警察官が平気でゴミを道路にほるのを見た。がっくり。それでも周りは驚かない。言い方は悪いが自分の周りさえきれいだったらいいという感覚が多分にある。
 それを言うと日本もそうだ。不燃物を夜に川辺に捨てると言われそうだが、言いたいのは、大人が平気なお顔でゴミを公共施設で悪いとも思わずにあちこちに捨てるのである。やっぱり当たり前雰囲気はなかなか消しがたい。
 そして、いくら毎日、放送しても学校が終わる頃には今日のお菓子のゴミが山ほどある。日本の小ガキ生よ!ゴミ捨て感覚は絶対に君たちの方がすばらしい。
 今はプアサで捨てるごみも少ないのだろうか?
2001/12/02 

45.うんこの話

小学生ってどうしてこんなに「おなら・うんこ・おしっこ」の話が好きなのか?謎である。もしかしたらこのネタは小学生にとって万国共通かも知れない。絶対に笑ってしまう。5年生でも
★「先生~~~、すっごいうんこがトイレに~~きゃ~~見に来て!」ということが何度もあった。そのたびに(結局見に行って一緒にきゃ~~とか言ってるのだが)
☆「トイレにあるねんから当たり前!そのごっつい うんこ が校長室にあったら絶対見に行く!」と言ってた私もどうかと思う?
 とにかくインドネシアでもそれらのうんこの話は好きである。うんこの話の「傾向と対策」としてはすべて「笑い」に変えれることである。この法則はすばらしい。こちらではトイレットペーパーは使わないのが普通であって、高級ホテルなどにはあるのだか一般の家庭は左手で洗う。もう、慣れてしまって「紙でも手でも」大丈夫になっているのだが、どうも左手で洗うのがやりにくい。右手の方が使いやすそう。そんな話をすると、
★「絶対に左手でないとだめだよ。」と子どもに注意された。人間なれるとなんて事はないのであるが、最初はどうやって洗ってるのか?水はどの位置からかけるのか?正直教えてほしかった。そして、
☆「どうやって、洗うの?」と子どもに聞いた。
★「日本は?」
☆「紙で拭くの、こんな感じで。」(ここで大爆笑)
★「ふ~~ん。汚いなあ~~」・・・・・・え?
☆「で、どうやって水で洗うの?」
★「キレイになるまで洗うだけ。」・・・・・なるほど。
よくよく考えると手に着いたソースを人は水で洗い流す。紙でこすって伸ばしたりしない。お尻についた うんこちゃん もきっと同じ感覚だろう。そう思うと、こちらの人には「紙を使う」とはお尻のうんこちゃんを紙で伸ばしてるイメージがあるのでは?ちゃんと紙でもキレイになると説明したが、数人首をひねっていた。
まあ、習慣はなかなか変えれない。とにかくお尻がキレイだったらいいんだ。
 「手で洗うの~~?汚い!」と思ってる人が、実は反対に「紙で伸ばしてるの~~!最低」と思われてる話。
 各国の1年生を使って「どこの国の子がお尻キレイか?」誰か調査してほしい (-_-;)。
2001/12/04

46.手が感じる味

 「あなたは味を何で感じますか?」と聞かれたら、迷わずに「舌」と答えるだろう。
 ところが、「本当に舌だけだろうか?」と聞かれたら「目」と言う。でも、友達と、子どもたちと、知り合いと、先生方と何度か手で食べてると実は「手」は味を感じるのではないかと思う。手で料理をさわっているその瞬間からこちらの人はもう、「おいしい」と思ってる気がする。なんと得な感覚だろう。そして、手で食べた方が絶対おいしい。それはなんでかわからない。
 けれども、京料理なんかを手で食べたらきっとおいしくないだろうなあ。おにぎり・すし以外はやっぱり「はし」を使いたい。 
 「先生も手でたべてるの?え~~!」といったメールを子どもからもらった。その後の文は想像におまかせ。子どもが好きなのはまだまだ自分を飾れないところかもしれない。そして、自分を飾れない子どもの方が柔軟な気持ちを持ってる。「え~~!」と言ってるその子もまだまだ反応するだけ感心があるのだと思う。この分岐点が大人になるまで山ほどあると思う。
 そして、「きたないなあ~~最低」か「そういうこともあるねんなあ。やってみたいなあ。」と思えるか?前者の考え方はいろんなところで道がすくなくなり、後者になると道が増える気がする。
 そんな、子どもの「やってみたい」根性、子どもは元々持ってると思う。いつしか、大人が挫いてる気もする。人の迷惑や命に関わらんかったら好きなだけ好きなことやらせたら満足する。この満足感、大人でも大事だと思う。「好きなこと」するのに、どれだけその障害と戦ってる小学生がいることか?そして、いつしか戦う事に疲れてあきらめる。満足感を知らない子どもの多いこと。
 時々、そんな嫌な大人になってないだろうかと自分を心配する。
 学校で時々出る昼ご飯。
「なかなか、上手に手が使えるようになりました。えらい、えらい。」と校長先生に褒められると、1年生が上手に鉛筆が使えた気分になる。う~~ん満足。手は味を感じる。
 2001/12/08

47.校長室で注射「イタタタタ~~~」

 今日は注射の日だった。日本でも1年生とかは、先生数人で押さえ込まないと「実行」できない子どもがいる。恥ずかしげもなく「ぎゃお~~~」と泣いてくれると、それが電波して10人後ろで早々と「ぎゃお~~~」とやってる。
 今日の注射はこの間、お休みした3年生数人だけ。ところが、注射の話が電波して知らないうちにあちこちで涙ぐんでる女の子がいる。これは、よくある男の子の意地悪らしい。
★「ヘイ!おまえ、前も泣いてただろ。今日、注射ってしってるか?」みたいな事をいう。そして、涙ぐむ女の子をからかって、後でうそと言ってさらにからかう。
 どうも、いちいち今日は「何年生」とか親にも連絡がないし、その場で元気かどうか医者が判断して「実行」らしい。 
 注射の内容はジフテリアと破傷風だった。てっきりマラリアかと思ったけれども、マラリアに予防注射はない。ならないようにするだけ。マラリアに予防注射があったら協力隊の隊員も苦しむはずがないものなあ。
 結構、マラリア持ちは多い。「持つ」というのは「一度なったらず~~と体内にいて疲れたら出てくる」らしい。また、一回きりのマラリアもあるとか。学校の先生も「いや~~昨日はマラリアでなあ。」とよく休む?
2001/12/09
 

48.数字の並ぶ音楽

 ピカチュウのお菓子があって、そのタイトルが「NIKIMON」となっている。よく見るとトム&ジェリーとかクレヨンしんちゃんとかまで描いてある。
☆「ああ、そうか。『人気もん』なんだ。」と分かって大笑いした。ここまで日本語を変えたらインドネシア語らしくなってしまって分からない。
さらに分からない物もう一つ。後ろに並んでる数字であった。
  123 323 342 244・・・・・
と並んでいて、しばらくするとそれがテーマソングだということは分かった。でもなんで数字なのかと思ってると、音楽の授業でもなんと数字ばかりを見て子ども達は笛を吹く。
☆「ああ、そうか五線を使わないんだ。」とわかる。
それでも、音階は分かっても、五線をつかわなかったらリズムが取れないだろうと思う。それは数字の上に長い ⌒ なマークがあって問題ないらしい?ほんまかいな?
★「僕はこの数字見ててもよくわからん。でもほらっ、吹けるよ。」と言う。そんな言葉が子どもから聞けるだけあって、インドネシアのみなさんは音感がいいと思う。ちょっと聞きかじったメロディーを夕方にはギターで弾いてる。数字も楽譜も何もなしで、すごいなあ。その後、決まって教室では習った歌の大合唱を誰かが始める。その歌を下の学年が覚えて参加する。そんな雰囲気である。
 とにかく、小学校の音楽は数字であった。笛は持ってる子、学校のを借りてる子と様々。それでも、全員で吹くだけの数はこの小学校にはない。
 2001/12/12 みかん (^O^)

49.マクドナルドもプアサを応援します!

 マクドナルド、ここのコーヒーだけはおいしい。インドネシアのお米と共に煎った「上澄みを飲みましょう!インドネシアコーヒー」も好きだけど、マクドナルドのコーヒーはクーラーが効いていていい。横のケンタッキーはだめ。最初から砂糖が山盛り2杯もはいっている。さらに、砂糖をくれる。
「砂糖抜きにしてね。」
「一袋セットで作るから、無理です。」と言うぐらい、インドネシア人は甘党である。
 そのマクドナルド、出身はアメリカなのだがしっかりこちらに根付いているので、現在プアサ(断食)を応援している。トレーの上に敷くシート、これはだいたい新しい商品の宣伝とか、占いとか、食べながら読んだりして楽しいものだとばかり思いこんでいた。が、しかし現在目の前のシートは「お祈りの時間割表・毎日いつ断食が明けるか」の表になってる。イスラムの人がこれを見ながら食べて良いのは夕方7時前ぐらい。それまではプアサなので店に入らない。誰をターゲットにこれを作ってるのだろう?と不思議になった。イスラム圏でアメリカ資本がしっかり受け入れられるためには、ここまでそのノリに参加しないといけないのかも知れない。テロの影響で一時デモのために閉まった時もあったのだ。
 それでも、このシート良くできていて。「隣の島では○○分ずらしましょう。」とか「3日おきぐらいに2分ずつずれていく」様子がよく分かる。もうすぐ、イスラム歴1422年のプアサがあける。
 例えば、西国三十三カ所の札所で「西洋人」が筆で記入して
「がんばりなはれや~~」なんて言われたら・・・・・・どうも???気分になる。
ふとそんな気がした。このシート、マクドナルドが応援してるプアサ。現地の人はどう思っているのだろう?と疑問が残る。
 で、お昼には断食に関係ないツーリストや現地に住む西洋人、それにインドネシア華僑の人々がそのシートを眺めながら、もりもりビックバーガーをほうばってる。
 
訳・・・・「神なる信仰プアサを実行しましょう」ってなかんじかな?
  2001/12/15

50.花火の季節

 プアサ(断食)の間、路上には花火屋が出回る。夜中になると、どこかでヒュ~~~~と打ち上げ花火やら線こう花火を楽しんでる。ちょうどプアサの時期は日本のお盆みたいな感じ。昼間はたこあげが日ごろよりもさかんに行われてる。そして、あっちこっちの電線に空まで挙げてもらえなかったたこがダラリと下がる。 そんな遊びを子どもたちはしたい。きっと日ごろよいもしたいにちがいない。
 夜、プアサに入ってからドッと増えたのが、食事時、家庭をめぐる子どもたち。しかも、団体である。
 「施しをください。」と言っては各家庭を6時半かか9時ごろまで回る。くれないと、さらに声を張り上げて、家の前でねばる。なんどかお金を渡した。すると、「あそこの外国人はくれるわ。」と情報がいったのか、すごい数の子どもたちの手・手・手・・・
 これではゆっくり食事も気が進まない。
 近所のおばさんに「あの子たちは、そのお金で花火するんだから、お金あげなくていいわよ。」と注意された。家の前で叫ばれると、前の家もうるさいのだ。そう言うだけ、子どもたちの顔にそれほど悲壮感は無い。
 ときどき、歌いながら、「施しくだちゃ~~いまし。」みたいにふざけてる。そして、げらげら笑ってる。そんな声を聞く方がまだいい。お前、あそこの道行って来い!ってな感じだろうか?
 それでも、花火一本を求める子どもたちと、毎日ように花火ができる子どもたち。そしてその日の気分で施しをあげたり、あげなかったりする自分。子ども集団が来ると戸を閉める家。この差は何なんだろう?
 いろんな気分になったプアサだった。本日15日プアサがあける。イスラム教のお正月レバランがやってくる。日本よりちょっと早めに1年がまた始まる。
2001/12/15

51.おじぎ草

 低学年の教室に置くと喜ばれる物、「おじぎ草」。これを教師の机の上に2鉢ぐらいおいておくと、休み時間には子どもが集まってくる。そして、さわりまくる。そして、聞きまくる。そして、笑ってる。
 その間「なんでやろなあ?不思議やな?」と教師は言ってるだけでいい。笑顔が電波。
 そんなもの、説明なんてできない。知らないもの・・・・・けど、触るだけで葉っぱを閉じて寝てしまう。これだけすぐに反応してくれる植物は、低学年の格好の「自然のおもちゃ」である。
 インドネシアではこの草「putri malu=恥ずかしがり屋のお姫様」という名で、なんと雑草である。もう、至る所にある。学校での草むしりの日に、生徒がバリバリと抜いてるのを見てちょっとかわいそうになった。やっぱりシュ~~ンと葉っぱを閉じている。日本では春に、ポット100円ぐらいで売られてると話した。この雑草が100円!!!
 それは、けっこう豪華な昼飯ぐらいの値段。
「先生、遠慮せずに日本に持って帰って売ったらええわ。」とすぐに商売根性をだしてくれる。マンゴー、おじぎ草、ミントなどの自然に手に入るものが日本には「なかったり、高く売られていたり」するのに興味津々なのだ。
 その話の決着は「雪がコップ一杯だったら、昼飯一回抜いても触ってみたい。」で落ち着いた。しばらく、6年相手に草むしりをさぼって「ある・ない話」をしてた。
 それにしても、こちらの「恥ずかしがり屋のお姫様」熱帯でやたら大きくなりすぎていっぱい棘がある。痛い。姫様にも棘が~~
 子どもが野原を駆けると、やっぱり恥ずかしいのかその後を追うようにシュ~~ンと下を向いてしまう。むらさき色の花がほっぺに見える。
2001/12/18

52.停電三昧

 停電といったら、台風の時ぐらいしか経験したことが無いのだけれど、ここでは3日に一度停電がやってくる。そんな時間にパソコンでも開いていたら、無念!の一言。
 それも、特にこの島だけの気もする。ジャワ島のジャカルタの大都から見ると、「え?停電!そんなものないよ。」といって笑い。
 「で、ロンボクの人っていったいどんな生活してるの?」といった質問。
同じインドネシア人というよりもこちらの人は私は、ササック人。私はジャワ人。私はスンバワ人といった感じであって、どうも話をしてると同じインドネシア人という気がしない。だから、ジャカルタからしたらロンボクは「とてつもない田舎で、違う国のようだ」と思われてる。
 さて、停電はだいたい6時頃にやって来て10時ぐらいに去って行く~~。
 電力会社の計画停電。「今日、この地域いっときまっか~!」てなノリだろう。その間、約4時間どこからともなくギターの音が流れてきたり、最近は花火をしている。ただ、扇風機は止まり、音楽も聴けない、ゴキブリは見えないので殺しにくい、そして後ろで怪しげな音が・・・・と私は停電がやはり大嫌い。しかもその時間は無性に暑い。いいことは、新月だったら星は振るように見えるけど。ひたすら、ろうそくの明かりで本を読む。そして、目が悪くなる。目だけはよかったのに・・・・・
 子ども達に停電の時は何をしてるか?と聞いたけれども、あんまり面白い答えは返ってこなかった。つまり、「いつもと同じ」なのだ。ろうそくがあったら、そのままやってることを続けるし。なかったら月明かりでブラブラ。トイレも水浴びも困らない。停電が日常化してると、「今日は雨だ。いやだなあ。」ぐらいの感覚なのだろう。
 電気が来たときはいきなり扇風機が動き出し、灯りが道路にあふれて、冷蔵庫が動き出す。その時、日本では味わったことのない感動が3日に一度味わえる。無いと初めてありがたみが分かるもの。電気・・・・
 しかし、電気代を払っていて「消費者」として怒るという考えが無いのか?あきらめるのか?住民がもっと問題意識をもって動けば改善されることはいっぱいある。ゴミしかり、公共施設の雨漏りしかり・・・・
 そして、お金持ちだけが自家発電機を買えて停電のとき一軒だけ赤々としてる。
2001/12/22

53. イスラムのお正月・レバラン

 約1週間のお正月が終わり、そろそろ店も完全に開きはじめてきた。学校も始まる。ちょうど2学期のど真ん中にプアサ・レバランがある感じで、長い休みが終わってもまだ2学期なのである。
 レバランにはそれこそインドネシア民族大移動となり、飛行機のチケットから何から何までいっぱいである。この時期にインドネシアに旅行しようものなら大変!しかも毎年レバランの日はずれてゆくので要注意である。丁度、日本のお盆、12・13日に空港に降り立った感じでしょうか?一度、新年とレバランが重なった時はツーリストも大変だったらしい。
 なぜ、大移動をするかと言えば家族・親戚が集まるのである。見てるとまるで小さいころのお正月。久しぶりにあった子ども達、親やきょうだい、年のいったおばあさんの嬉しそうな顔。そして、近況を報告してからお墓まいりをこの時にする。小さな入れ物にいい匂いの花をいれ、お墓に水をかける。最後にのこった水すこしを顔にかけてお祈りをする。イスラム教は土葬である。そこのお墓の周りはこの一族のものだった。他の家族は入れない。
 そして、でるわでるわの甘いお菓子と甘い飲み物。初日はだいたい、父親方の方へ挨拶に行き次に母親の方の家族へ行くらしい。そこらへんもきっちり男性社会だと思う。
 そう言えば、今は亡き明治12年生まれのうちのおばあちゃんも「うちの家から先に墓まいり」と母に言ってたとか? 近い方から行ったらいいやんか、と思ってしまう。
2001/12/26

54.恋人の条件

 自分の恋人を褒める時、なんと言うだろう?数ヶ月ここで住んでいて感じるのだがやっぱり感覚が違う。必ず自信を持って褒める言葉は「俺の彼女は『白い』のでかわいい。」といった感じである。
 白いにもいろいろあって、アジア的に白いといった感じである。西洋人の真っ白でそばかすはだめみたい。極端にいうと、男女問わず「白い」と必ずもてるのである。そんなこと、すぐに反論したくなり、「本当は性格がいいから、好きなんでしょ!」と言うと「もちろん。でも、白いんだ。」とのろけ話に花が咲く。とにかく「白」にこだわる。
 肌が白い人はインドネシア華僑がやはり多く、華僑なので商売で成功してお金持ちといった考えが定着してる。
 バンドンの華僑の10年来の友達、現在26歳のナイスレディー、彼氏は歯医者。同じクリスチャンで宗教問題なし。経済的にも大丈夫。しかし、彼女は好きだけど結婚できないとのこと、
★「今は、彼だけど・・・家族が認めないわ。」と最近の悩みはそれ1点。
☆「でも、好きなんでしょ。あなた達が好きなら、いいじゃない。」
★「だって、彼、色が黒いもん。」
☆「は~~~?」
★「おとうさんにも、今は楽しくつきあってもいいが、彼は「黒い」からやめなさい。って言うの。できれば同じチャイニーズかな?やっぱり。実際、私も親戚に恥ずかしいしね。」
☆「は~~~?恥ずかしいって?本当に、それが問題なの?そんな感情でよくあれだけイチャイチャしてくれるね!」
 彼も彼でどうして、彼女が好きかと聞いたら「白くてかわいい」だった・・・白い? この信じれない会話は衝撃だった。あんなに仲がいいのに、肌の色を問題にするなんざ、「人権侵害」も甚だしい!しかし、ここインドンネシアその裏にある社会がそうしたものを「常識」にしてる。友達に聞いてもよくある話だそうだ。
 民族をひとくくりに出来ないこの国、根に持つ問題はシビアである。子どもでさえすでに大人の洗脳を受けて、「日本人のみかんよりも私の手の方が白かった」ともう嬉しそうに、言いまくってる。日本のガングロなんて絶対に信じてもらえない話である。日焼けにお金を使うなんて、論外も論外である。
 でも、ここまで「白」にこだわるのも、人の気持ちの中にもともと「白」に対する。そういった感情があるのかな?ともちょっと思った。

55.これは楽しい始業式

 さすが、レバラン明けだけあって子どもたちがきちんと並び「始業式」らしく校長先生の話が始まっていた。学校の外に、早く起きそこねた子どもたちが数人たむろをくんで草をむしっている。今さら入るのがイヤみたい。
★「guru(先生)みかんも遅刻ですか?」といきなり手厳しい。実はそうなのですが、私は未だにはっきり何時に始まるかわからない。今日はいつもよりみなさん早いではないか!
☆「先生も遅刻だから、え~~~い。一緒に後ろからコソコソ入ろう。」といって、4人と連れたって入ったが、全校生徒にふり向かれちょっと情けなかった。
 先生の話が終わると、6年から順番に一人一人先生とこちらの丁寧な挨拶をしてゆくのである。そして、自分が終わると先生の後に並んでゆく。つまり全員が全員と輪になって挨拶・握手をする。これは楽しい。長い休みの後、ひさいぶりに見る友達の顔はちょっと気恥ずかしいらしく、誰もがクスクスわらってる。昨日家の前で喧嘩してた子ども達もまあこれで、仲直りだろうか?きょうだいとの挨拶もなかなかたのしく、弟の手を思いっきり握る。
 それが、終わると先生達は木の下にすわってプアサ・レバランの近況報告。リラックス、リラックス。子ども達はアイスをかじったり、真面目な子どもは1ヶ月ほったらかしのおぞましい教室の掃除をしたり。ここら辺がすごいなあ。掃除をしたい子どもは掃除して、お菓子を食べたい子どもは食べる。誰も強制しないし叱らない。先生も「掃除しなさい。」とも言わない。こうなると、掃除してる子はだいたい決まってるのだが。見てて、その全体的感覚が「ゆとり」である。
2001/12/26

56.「お土産は?」

 学校へ行くと私が年末年始出かけていたのを知っていた先生が、いきなり
★「ところで、お土産は?」と聞かれる。
☆「学校用に、カレンダーを校長先生に渡しました。後で、見てね。」
と言うと、いきなり
★「私には?」とくる。じぇ~~~?(?_?)
 これが、びっくりしたことに数人の先生に同じように聞かれるのである。そんな経験は日本では言われたことはないので、びっくりした。何となく申し訳ない気になる。長く住んでる友達いわく、「言ってみてるだけ!あいさつ代わりよ。」とのことである。でも、頭の中で日本語に訳すと、かなり自分が気がきかない人間みたい。
 高校の時に知り合ったアメリカ人の友達が、どうして日本人にプレゼントをあげても「ありがとう。」と言うくせに、そのまま奥にしまいこむの?私の国では、その場であけて見て喜びを伝えるものよ!(しかも、開け方はビリビリ~~の方がいいみたい。)と友達のお母さん(英語教師)に訴えていた。そんなビリビリ~~とその場で開けたら、なんだか「ガサツだ!」と今でも誰かにしかられそうな気が私はする。
 生きてきた環境が違うと、いろいろと考え方が違うなあとつくづく思う。まあ、本当にお土産がほしかったかもしれないが、買ってこないからといって嫌われないだろう。言ってみてあったらラッキ~~という感じ。そして、昨日またもや言われた時は「ああ、忘れてた。今度、日本から来たときは北海道の雪でも持ってくるわね。ガハハハハ。」と言うと、「トラックにいっぱい持ってきて2人で商売しよう!」と返ってくる。大阪商人の上を行く。まあ、そういったノリである。
 どんな場所でも、何処の国へ行っても、そこのノリが分からなくても、人間性で勝負出来たらいいなあと思う。そして、どうしても自分が合わなかったら素直に「ここは、合わないんだ。」と自分に合う場所を探せる勇気があったらいいな。
2002/01/10

57.手紙の中の「寒い」という表現

 日本への2回目の返事を子どもたちが書いた(日本45人・インドネシア47人)。1対1でつながってるこの手紙、だんだんと内容が個人的になってるのがおもしろい。
・○○さんのペットはどうですか?ボクのペットはとてもいたずらです。
・ここの女の子も棺おけからでてきたばかりのように、おそろししうるさいです。
・君は彼女はいるかい?ボクの友達の××君はもういるんだ。その子の名前は・・・
・今度の空手の試合で勝ったらジャカルタの試合にでれるんです。
・僕は今パーマンとクレヨンしんちゃんにはまってます。
などなど、時には「こやつ!この手紙、誰が訳してるのか知ってるのだろうか?」といった内容もあっておもしろい。そして、どちらも6年生(どちらも7名参加)になるとうんと文章力が上がる。子どもの成長はすごいなあと感心してしまう。
 その中でもみんなよく書いてるのが、「今はインドネシアでは雨季で、とっても寒いです。朝起きるのがつらいです。」
(-_-;)「うそをつけ、毎日暑いでしょう!」
 説明文を付けないと、日本の子ども達は本当に「ああ~~インドネシアも冬があるねんわ。」と思ってしまう。どこから、「涼しい」でなく「寒い」と感じるのだろうか?未だに不思議である。
 日本に来たあるインドネシア人、最初の冬にず~と体を壊していたとか? 分かる気がする。「雪の北海道に人が住んでるのですか?へ~~。」という半分本気の質問も今ならちょっと理解出来る。
2002/01/13

58.大好きなたこあげ

 プアサが終わってから続いている「たこあげ」。日本への手紙の中でも何度も、「今、ぼくはたこあげにはまってます。」という文がでてきた。それだけ聞くと、な~~んだと思うかもしれないが、なかなかこのたこあげはスリリングでおもしろい。
 こんな細い路地でよくもまあ天高くあがるものだと感心する。見えないぐらい高くあげてしまう。時々夕方に、散歩をしてるとおっちゃん二人が屋根の上に登って「たこあげ」をしてる。考えると屋根の上で最初にたこを上げるのにはどうするのだ?誰が風をつかんで走るの?危なくないのか?と思うが、ゆうゆうとたこが夕日をバックにまっている。
 このたこあげ、数人でして相手のたこを落とすのである。見ているとうまい具合に上になったたこが下のたこを押しつける。下になるとやばい!
 しばらくすると下のたこは プチンッ(T_T) 「はい。さようなら~~」といった感じで飛んで行く。飛んだ方向へ長い竿をもった別の集団の子ども達が走って行く。きっと落ちたところでゲットしたらもらえるのだろう。
 学校が終わるとあちこちの広場ではなく路地で子ども達がたこあげを楽しんでる。それも男の子だけ。男の遊びだと暗黙の了解があるらしい。たこの糸は切れても友達の縁はおっちゃんになるまで切れないようだな。
2002/01/19

59.体育の時間・始まりは衛生検査終わりは音楽

 1年生のクラスは楽しい。今日は1時間目が体育だった、きちんと体操服をたたまないと外に出してもらえないらしく、みなさんきちんと折り目をつけて机の上で畳んでいた。この風景を見ると日本の1年生と同じ。ただ違うのは、焦らせないことだろうか?
 数人残っている後ろ向きの子どもに担任の先生が「もう、やめなさい。」とワハハッと笑ってる。何をやめないといけないのかその時は分からなかった。
 運動場にでると、体操が出来るように広がるのだが、これまた先生の雷が落ちるまで出来ない。やっと、雷が一番やんちゃな子に落ちて準備体操が終わった。
 「では、今から一人一人爪と歯磨きを見ます。」と言うとみんなウサギのように両手を前に出して口を開けて待ってる。体育の時間にこの小学校では衛生検査をするらしい。爪を切ってなくて、歯を磨いてない子どもは先生が鼻をつまみビ~~ッとひっぱる。(これは画像を見てほしいです。)そして、「わ~~~臭い!」と言われる。子どもはと言うと、痛いのだろうがエヘヘと笑って次は誰がやられるか当てっこしてる。なるほど、先ほどの「やめなさい」は爪を歯で・・・・・・応急処置だったのだ。ムダ!
 授業は簡単な鬼ごっこゲームでグループ作りが目当てのようだった。最後にみんなで歌を歌うのだが、どうも名詞がいっぱい続いた歌のようだ。ある名詞のところで先生が合図するとハミングに変えないといけない。誰かが歌ってしまう。それが面白い。それにしても、もりだくさんの体育だった。
「はい、おしまい。」で、お菓子を買いに散らばってしまった。休み時間のお菓子は必修のようだ。
2002/01/23

60.3年生からの英語教育

 1年生が早く帰った後、昼組の3年生が入ってきた。なんでも試しに英語教育を導入するらしい。先生がやたら「これは塾でないので、お金がいらないからね。」と言っていた。この小学校では初めてらしい。これも校長裁量で事が決まる。いったいどんな風にインドネシア語で英語を教えるのかと思うと、若い先生は黒板に書き始める。
A=ei B=bie C=cie D=die E=ie F=ef G=ge(ji:) H=eits I=ai
J=jei K=kei L=el M=em N=en・・・・・・・・
いかにインドネシア語がローマ字読みに近いかよく分かる。
 これがアルファベットのインドネシア版読み方である。どちらもアルファベットの時はこうなるんだと面白かった。
 更に面白いのが、11・12より後ろの10の位は teen を付けて「ティン」と言いますと言ってしまったので、thirteenはスリーティン、fifteennはファイブティンとなるらしい。ちょっと、笑ってしまう。でも中学生の時に必死に英語の単語をカタカナに書き直していた自分を振り返ると、まだまだマシである。そんな間違いは彼らは後ですぐに気が付くだろう。しかも3年生!歌付きのABCD~♪
 そして、きっと文法や間違いをゴチャゴチャ言われないので体で覚えていくんだろうなあ?と感じる。
 語学はやはり「通じて楽しい!」といった空間か「直、生活に関わる。」状態が必要なんだろう。この英語の授業、どんな風に進んでゆくのかが楽しみである。
2002/01/29

61.ウパチャラ

毎月曜日、朝の朝礼にはウパチャラ(=儀式)が行われる。が日本の朝礼とは全く違う。朝の7時前から約40分近くも行われる。今さらのように、これを毎月曜日しているから、8月の独立記念日にも子どもたちだけでスムーズに出来たのかと納得!
 最初から最後まですべて子どもたちが行う。台本は大きな紙に書いてありすでに言うことが決まってる。6年生が代表になり進行される。やたら多いのが整列!敬礼!であった。また、国旗掲揚の時の3人の女の子の行進がみごとだ。低学年はいつか自分も国旗掲揚をあんな風にしたいとあこがれるらしい。
 宗教の先生がパンチャシラ(憲法の前文の建国五原則)を声高々と全員で言う。
1/絶対神への誓い(これは、自分が信じている許された4つの宗教の事で、イスラム教・ヒンズー教・仏教・キリスト教)・・・・・これが一番に来てるのがすごい。
2/人道主義であること
3/インドネシアは統一国家であること
4/民主主義であること
5/社会正義であること
 その先生の声の後にほぼ全員がすでに暗唱していて、くりかえす。
 そういえば、時々「ウパチャラごっこ」をしてるのを見る。先生役をしたり、旗をあげるまねをしたりである。行進が合わなくてやり直しをしてるところなど、とってもかわいい。
 日本の面積の約5倍もあり、多民族であるインドネシアを一つにまとめるにはやはり大変な事だと感じた。小さいころから「私はインドネシア人である。」「インドネシアは一つの国家である。」と徹底して教える。それでも私はジャワ人・俺はスンダ人となる。また、多民族の統一にイスラム教が深くかかわっている。わざわざ、「わたしたちは日本人である。」と習ったことがなく、当たり前のように日本語を日本で話しているのと比べるとどっしりと重みが違う。
 この国の人がオランダ語や日本語をぺらぺらと喋ってなくてよかったと思う。インドネシアはインドネシアなんだと思った。 
2002/02/04

62.こんなのあったらいいな・ボランティア

 まだ明るい夕方・・・忙しい、小さい子どもをかかえた家庭に若いきれいな大学生ぐらいのお姉さんが来る。そして、「今からいっしょに、かけ算の暗唱をしましょうね。」なんて甘い声をかけてくれる。その間、わずか20~30分だが、お母さんが横目でみながら用事ができる。そして、「とってもよくできました。明日は近くの公園でみんなと本読みでもいっしょにしましょうね。バイバイ。」と帰ってゆく~~。
 こんな地域のボランティアがあったらいいなあ。と常々思っていた。自然と地域のお兄さん・お姉さんとつながりが出来ていく。しかし、この20~30分でも毎日となったら大変だ。それこそバイト化してくれないと、だれがするだろうか?でも、そんな毎日の20~30分うんと他人に親の前で誉められることもいいもんだ。また、学校のいろいろを報告する相手も自然と増える。
 と思ってたら、この地域にあった!本当に夕方きれいなお姉さんが2人ペアで回ってきて勉強をみてくれるらしい。が、勉強の内容は「神の名において、いっしょにコーランを!」ということだった。難しいアラビア文字を小さい子が読んでゆく。さすがインドネシア、宗教に関してはやることなすこと徹底してる。そして、これが算数や本読み(も)してくれたらもっとええのに、と思ってしまう。
 路地のあちこちに5~6人すわれる板ぶきの高床式座敷?のようなものがある。夕方、だれともなしにそこに集まって話をしてる。そんな「場」があれば人はそうするのだろうか?都会には作るスペースもないし、人もほしいとは思わないだろうか?
 でも、なんで日本の中高生はローソンの前にたまってるのだろう?話してる内容を聞くと先生の悪口・彼女の話・物の値段と、あまりこちらの高床式座敷の若者とかわらないかもしれない。そう思うとあの子らは「場」を見つけるのに苦労してるのかもしれない。小さいころに友達と高床式座敷で勉強したことは、きっとなつかしい思い出になると思う。そんな、思い出が作れる地域であってほしいなあ。
2002/02/11

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63.障害を受けた心

 小さいときから祖母に足がないことが私には“気にはなったが普通”だった。
「うちのおばあちゃんは足がないねん。」
「なんで?」
「病気で、足を切らんかったら死んでたって。」
「ふ~ん。かわいそうやな。」
「うん。」
 と友達と遊びながらよく話していた思い出がある。
 割合的にはどうかわからないが、この島に障害を受けた人はかなり多い気がする。病気の時に医療の力が追いつかなかったり、事故、生まれながらといろんなところで障害を受けた人に出会う。
・ちょっと背が低い、指が数本ない大工さんに食事を出した奥さんの会話。
「大きくなるようにいっぱい食べてね。指が生えてくるかもよ。ふふ。」
「そりゃ、奥さん無理ですぜ。がははは。」
・海岸で仲良しの二人組
「おまえ、(目が見えないから)たばこに火をつけたるわ。わ、わ、わ、美人。見ろ!」
「どこ?」
「うそ。」
「俺ら、この冗談なつかしいんだ。」彼に視力があった頃のことだろう。
・ある村で
「彼女、いろいろあって気が触れてしまってねえ。(訳の分からない事を喋り続けている)しかたないから、いつもここで食べてるの。」と言ってのけて面倒を見ている村の人たち。
・ある村で
「この子の家ね、焼けてしまって親が死んだのよ。だから今日からうちの子ね。本当にかわいそうだわ。」
 など、よく聞いたはなしで、どれをとっても私は言えないことばかりである。なんで「言えない」かと考えると心のどこかに「そんなこと言ったら申し訳ない。」とか「最後まで責任がおえない。」といった思いだろうか?
 しかし、反対にもし自分が何かしら障害を受けたら「この島の方が気が楽だ。」と思ってしまう。周りに気を使う度数がうんと減る。足がないことを、視力が無いことを、親がいないことを、大変だが「へ~そうなの。」とそのまま受け入れる度量が個人にも地域にもある。それだけ人との繋がりがしっかりしてるのだろう。
 「助ける人を援助する」関係がある。うちの子どもにするわ!と言ったところで隣の奥さんたちも当然面倒を見ることが前提だろう。助ける人を援助する、この感覚が日本よりもはるかに高い。そして、障害を受けた人に対して“気にはなったが普通”に接する事がもっと多くなったら、結局は自分が住みやすい空間を得ているのだろうと思う。
 駅で車椅子の人に、
「お母さん、あの人何で足が無いの?」と大声で言った子供に、
「これ!シッ」と言うか、
「ほんまやなあ。何か手伝えるか行って聞いておいで。」と言うか。
 人って無関心という「障害を受けた心」の方が治りにくいと思う。 
2002/02/22

64.月に行ったらいいことあるよ

 テンバーヌ村の小学校の先生と話す機会があった。その先生が言うように(訳すと)「ここはまだ森ですから・・・」と言うだけあって、大自然、周りはみんな緑色である。
 この小学校の一番の悩みは、みんな大きくなるに従って勉強しなくなる。ということだった。入学人数が80人なのに卒業してゆく子供が40人、その後中学・高校へは10人が進学。大学へ行ったのは一人だそうだ。
 たとえば、「月に行ったらすばらしい地球がみれるよ。だから、一生懸命勉強しなさいね。」と言われたら、なんて言いますか?
「はあ?別に行きたくない。」
「行くのが怖いわ。」
「コーヒーでも飲みながらテレビで十分!」
「そんな勉強するよりも、明日のバーゲンに行きたい。」まあこんなところだろうか?
 中には、
「母ちゃん!おれ宇宙が見たい。」と言う子どももいるだろう。でも、
「そんな、アホな話してる暇があったら部屋を片付けなさい!」とやられる。
「月に行ったら・・・・」感覚で「勉強したら・・・・」を村で言い続ける。それは先生も子ども出来たらいいのだが、村には出来ないムードがあるらしい。ある日パタッと子どもが来なくなる。そして、家庭訪問。「この子が行きたがらないのですよ。」と母。その後息子は、「お母さんがもう、4年生だから行かなくていいって言ってる。」というあべこべの返答がいつもらしい。子どもは行きたいが、親はもう十分遊ばしたから家を手伝ってほしいのだ。
 これが本当にかわいそうだと先生は言う。
「子どもはね、学校楽しいから行きたいのですよ。」
 お金がないのではないらしい。奨学金も4年生までは70人、5~6年生は14人と政府から援助が出ているらしい。危険を冒して、家族と離れて月から美しい地球を見るよりも、地球で家族のそばで暮らし結婚して子どもを抱く方がいい。周りがどっと月に行かないと、だれも行かないだろう。
 ここの村人にとって「勉強する」ことはまだまだ自分たちの生活に入ってない。この村で生活するにはまだまだ必要ないのだ。 でも、町から市へ、そして都会へ行くほど進学率もぐんとあがる。
 しばらくの間、「別に月に行かなくっても、十分すごせるよ。」そんな感覚だろう。子どもに対して、保護者に対して、周りに対して、そしてボランティアなどを通して何かをいっしょにする時に独りよがりにならずに、十分相手の話を聞くのが大事だなあと思う。でないと、とんでもないことをしてるかもしれない。
 ちょっとふり返って「してたかも?」と思ってゾッとした。
 
2002/02/25

65.つなぐ人

  久しぶりに職員室へ入るとそこには歯医者さんのような音楽が流れていた。帰国したら日本のテーマは「癒し」だと聞いた。なるほど、癒されていない人が多いし、癒されなくてもいいのに、癒されてしまってる人もいる?
子ども達の引きこもりも年々上がっている。新聞も悲しい記事が多すぎる。たった1年だったけど帰国してから自分が何を感じるか?を知りたかった。何も感じないのも怖かった。でも、「インドネシアどうでした?」と聞かれると、「ここで、聞いていただけるなら原稿用紙500枚越えるけどいいですか?」と言いたくなる。
じわじわと感じるのは今の日本には「つなぐ人が少ない」ということかも知れない。人と人をつなぐ人、あなたの手と友達の手をつなぐ人。知ってる人と知らない人をつなぐ人。少し話すと「いいわね。日本の昔みたいねえ。」と言われるインドネシア・ロンボク。学ぶことは多かったが、かといって昔には戻れない日本。私が学んだ事は何が一番大切で、何が出来るのだろうか?
それは「つなぐ人」だった。
1年でいろんな人と出会った。現地の学校の先生や子供たち、いっしょに過ごした人、NGO関係の人、協力隊のファイターたち、日本とインドネシアをまたいで商売をしてる人々。彼らと話して飽きないのは子ども達を含めて、どこかしら何かを「つなぐ人」なのだと思う。
本当に「つながりは広がり」だと感じれた。つながった人・ものが自分の中で「広がり」にうつる瞬間は本当に楽しい。うれしい。私もまた何かをつなぐ人でありたい。
そして「つなぐ人」・・・といってもどうやって?の問いが残る。でも「問い」はあった方がいい。そんな方法を探してる間にまた誰かとつながりが増えるかもしれないから。 こんな大きな地球で、手を握れる距離で出会えたことは奇跡だと思う。本当に。
心からそう思えたら、その時十分に癒されるのではないだろうか?
 
・・・・・・・・おしまい。・・・・・・・・・・・・・
 
「つながりは広がり」の言葉を教えてもらったのは、あの荒川共生さんでした。どこかのワークショップで叫んでましたっけ?1年研修が終わり、改めて地に足のついたすごい言葉だと思いました。また、彼も私の中では「つなぐ人」だと感じ、尊敬します。
本日より小学校に戻り、階段を3回上がったり下がったりしただけで疲れ果てております。が、どうにかなるでしょう? 「レポート」にコメントを下さったり、応援して下さった方々本当に有り難うございます。
いつ辞めても「未完成」でええわ、ふふふ。と思ってましたが自分の歳の数より多く書けてよかったです。また、皆さんにどこかで会えたらええなぁ~と思います。
田中先生、帰国してじっくりHPを見ることができました。改めて感謝します。

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