万博後のインドネシア駐在時代
友人
日本万国博覧会インドネシア館に来日していた、スカサニー。当時バリで一番の売れっ子で
バリの絵葉書はほとんどがスカサニーのものだった。
左はスゥエントラ、彼はもうすでに世界的に有名でジョゴツグの演奏で多くのCDを出している。
日本万国博覧会インドネシア館に来日していた、スマトラ出身のニイヤルイ。妹と ナニーを訪問したあと立ち寄った、テイシナさんもきていた。
住原と訪問時、 ミシンをかけるお母さん
トリダツの女性事務員
始めて着いたジャカルタの翌日が日曜日で早速市内を探検した。パンリマポレム通りで道をたずねたら、
ご主人が日本人かと聞くので「そうだ」と応えたら、その時から友人に、ちなみにサインしている女性が
日本に留学した経験あり。
トリダツへの出張時に利用し、タンジュンカランのホテル
>
ミンク カシム 当時まで17歳だかすでにミスセレベス受賞や雑誌の表紙を飾っていた。左は兄
ハルミのご両親、奥さんが日本人。ジヤカルタでインクの会社を経営していた。
彼は日本留学むのあと、これからインドネシアは軍人の国だからと幼年学校に入学した。ムスリムの弟
踊り子のナニ-とその婚約者