万博後のインドネシア駐在時代
取引関係の現地業者の方々
スマトラ トリダツ タンジュンカランTRIDATU tandjung karang
トリダツ コハル社長の自宅にて 使用人のうちのひとり。 この家によく留めてもらつた。
トリダツ事務所のマネージャー サヌシ氏 経営の話をよく聞いた
トリダツの事務所にて。時間つぶしに本を読む津田木の椿さん
スマトラ ランポン ロックポンド logpond
本船からの帰路、ロツクポンドの責任者アッチャンが自ら運転している。横は荷役責任者のバスキー
まかないのオカマ氏と身の世話を焼いてくれるスピン。
税関の人と この人とよく一緒になつた。温厚な人だった。
本船達が立ち寄るパンジャンにて。港から本船へ。
本船で待機するアチャンと役人
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ログポンドにて柿ノ木さんがスピンを肩によせている。柿ノ木さんはいつもこういうスタイル
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ロッグポンド事務所兼宿舎にて
本船との交渉役だったタスリム氏。よく喧嘩をした。一番したかも知れないが、信頼もしていた人。
本船での作業中、手前は夕食のごはん(米)。
この人ともよく一緒だった。はにかみやでやさしくいつもにこにこしていた。
バスキー この人ともよく喧嘩をしたが、仲はよかつた。
スマトラ ランポントリダツ キャンプ D Sumatra Lumpug Camp-D
左端の人 ロッグポンドのログリスト作成人
左から2人目キャンブ の造材責任者の人と。このひとはいつもはキャンプにいる
医師の先生。 私も足の親指を切断する間際までになつたことが....
キャンブ の造材責任者
三星丸の船長とて 前の晩はトラ狩。左から松本氏、ババイ、船長、私、ハバイの弟
このあとトラ狩へ
ババイ(左)と実の弟
スマトラ ランポンメランティの人々 Sumatra Lumpug Lampung Meranti
この人がコンセッションの内部を知り尽くしていた。しばらくの間いたが、
のちに他社に引きぬかれカリマンタンへ行った。
社長の甥っ子で見地責任者
ランポンメランティの幹部たち、左から3人目は椿氏
社長の自宅で子供たち。ほんとうにかわいかつた。
スマトラ シンキルバルー シンキルティンバーの人々 Sumatra Sinkil baru
現地ロッグポンドの責任者。このボートはほんとに怖かった。
私も一度運転したが、筏に接触しあやうく転覆しそうになった。
船外エンジンは進行方向と逆に切らねばならないため、素人には
まず運転するには無理。
シンキルティンバーの社員。一度だけ現地に案内してくれた。
当時メキシコオリンピックがあつた翌年で、自分がつた事を何度も
話してくれた。
シンキルティバー、シンキルバルー現地の人と。
この人がここで一番のチェンソーの使い手と聞いた。
西カリマンタン ポンティアナック>Pontianak トルクアイルTelok Air
当時、住建産業の豆原氏(現院庄林業 社長)と木材の検品にきていたとき。
ブミラヤ事務所の人と。取引はなかったが、情報収集で立ち寄ったとき。
このあと日本に帰ってからもコンタクトがあつた。
カリマンタンサリの木材(ラミン)積み出し、現地エージントの人と
トルクアイルにある島での記念写真、真中はシンガホール本社からきた、チュー氏。このような休憩はこの時だけだ。
カリマンタンサリ トルクアイル事務所。立っているのは責任者のチュー。この人ともよく喧嘩をした。
トルクアイルの税関職員の人々
西カリマンタン ポンティアナック Kalimantan Pontianak
カリマンタンサリ ポンティアフック事務所のスタッフ