関西納材協同組合と合板取引所設立協議会関係で、大変お世話になり、昭和五十年に長男勝弘さんの結婚式にお招き戴き、同じ和歌山県の出身と承り、一層御交誼戴き、その豊富な学識経験と、卓越した指導力、熱意溢れる行動力、特に後輩の面倒見の良さと、其の上斯界の誰よりも、木材を愛する第一人者として、心より尊敬申し上げて居りました。
一九八八年秋、中川さんより、永年木材業に携わる五名が歩んで来た過程で、先輩や、周囲の皆様に教えて戴いたり、自分自身の体験や勉強した木材に関する、あらゆる事柄を平易に纏めて、通勤電車の中でも気楽に読める様な本を、関係者の方々から求められているので、業界の後輩の人や、建築関係の方達の参考資料にも役立つ様な本を、出版しようと思うので、来春迄に準備して置く様云われました。
翌年早々、山王木材株元常務稲垣実さん、小浜木材株専務小浜輝行さん、多田庄材木店店主多田欣市さんと共に、当初は美原の組合の一室で、打合せを重ね、其の後中川さんの自宅で、お互い都合の良い休日毎に会合し、早朝より時間を忘れて、夕刻遅く迄、原稿の加筆修正を続け八月中に原稿の七〇%程修正も終り、掲載する写真の準備をして、九月の集会を楽しみにしていた矢先、中川さんの突然の訃報に接し、「生者必滅は世の習い」とは申し乍ら、全く驚愕し、夢の様で信じ難く、あの様に至極健康そうにお見受けしたのに、永遠のお別れをせねばならないとは、茫然自失、表わす言葉もありません。
中川木材店グループ各店のトップとして活躍され、大阪木材工業団地協組を始め、全国各種団体の代表者として、文字通り東奔西走されたのが、健康上御無理があったのではないかと、返すがえすも残念でなりません。
平成元年一月廿二日、中川さん宅の遺影の前で、発刊作業続行中、私が突然心不全の発作で呼吸困難になり、中川さんの御子息や、会合の皆様に伴われ、国立循環器病センターに入院させて戴き、間一髪一命を取り止める事が出来ました。
其の発作で意識不明中、よく会合で話題が横道に逸れた時、中川さんが「本題に戻ってボチボチいこか」とよく言われた場面が、はっきり記憶に残って居ります。
病院に大変近い中川さんのお宅で、発作が起り、助かったのも中川さんのお蔭と思ってなりません。
中川さんが御臨終の瞬間迄、お気に止めて下さったであろう本の完成を、皆様と共に一日も早くして御霊前にお供えする事を誓います。
安らかにお眠り下さい。