早過ぎました。
本当に残念でなりません。
今もそう思っています。
いつ迄も思いが残っている人が私の心の中に数人います。
昭和四十八年五月、御坊市庁舎を新築した記念に、石像彫刻家鈴木政夫氏製作の"道祖神"のレリーフを寄付された時、四十余年振りに二、三度逢って、ゆっくり話をする機会が出来たのでしたが、その時の印象は子供の頃の印象と少しも変っていなくて、お互「ふじちゃん」「のーちゃん」でした。
子供の時分は年齢が五つ六つも違っていると一緒に遊ぶこともあまり無いものだけれど、藤ちゃんの従兄に当る藤次郎君と私は同級で家も近く何時も遊びに中川家に行ったものだから、自然藤ちゃんともよく顔を合せた。
藤ちゃんは、静かな子で、色白くふっくらした顔で、話かけるとニコニコと笑って本当に可愛らしい子だった。
小学六年生頃だったと思われるのだが、陸上競技の県下大会があるとかで、選手達の練習を二、三度手伝ったことがあり、その時の様子を今もハッキリ覚えている、背はあまり高くはなかったけれど身長に似合わぬ程の大きいストライドで良い走りをしていた、この頃も小さい頃とすこしも変らず、ニコニコっと笑って話す可愛いい少年だった。
私などはその日その日をアクセク追われる様に過して来たけれど、振り返って見れば、昭和を生きて来た人間は誰しも、その立場立場で苦労して来たと思われる。
中川藤一氏も実業界にあって、一生懸命努力し、仕事にも成功し立派な人生をした一人と思われるが、風貌も印象も幼年時代から一生を通じ少しも変らず、柔かい心を持ってニコニコと笑顔で話す"ふじちゃん"だった。
御坊市には立派なお宅があり、いづれはその内に帰って来られるものと期待し、また以前中学時代の恩師橘央先生から「中川藤一君は奥さんもとても良い人でね……」と聞いていまして、ご夫妻の帰郷される日を心待ちにしていたのでしたが、今は帰らぬ人になってしまわれ残念でなりません。
(平成元年二月二十四日記す)