当時二十三才の若輩の私にとって、業界の大先輩でもあり、元会長ということで、まるで雲の上の人と逢うようでした。
その時の印象としては、小柄乍ら、バイタリティーに富んだ全くの大阪の商人という感じが一杯でした。
もう一つ私にとって中川先輩との忘れられない思い出の一つとして御一家に大変お世話を掛けたことであります。
それは昭和五十九年春のことです。
私が大青協会長を受ける迄の心の動きの時であります。
御存知のような突然の出来事があり、同輩後輩会員の全面的な協力の後押しの約束はとれたものの、歴代会長としての座をけがしてはならず!!との思いから、あつかましくも多田先輩に御無理をお願いして一緒に、豊中の中川先輩の御自宅迄御伺い致しました。
閑静な佇まいのお屋敷に案内され、材木屋らしい置物、家具等々拝見し、座敷で懇々と過去の大青協の歴史及会長のあり方、又今自分の置かれている立場、大阪の木材業界との関連性、今後の業界のあり方等々をふまえ、先輩諸氏の全面的な応援を約束のもと、会長心得を拝聴し、中川先輩の心の偉大さ、業界を思う情熱等々に感服致しました。
又奥様の御出身校が私の子供と同じで学校の昔話等を聞き、懐かしく思うと共に種々お教えいただき、公私共に中川先輩御夫妻に御世話をかけた事が昨日のことのように思われてなりません。
本当にありがとうございました。
又御活躍の一端として、営林局、大阪府庁を始め全国津々浦々迄、業界発展のため、有言実行、リーダーシップを発揮され、東奔西走の御多忙な日々を過ごして我が木材業界住宅業界を背負って努力されていたお姿を思い起こす度に大切な、惜しい御人を亡くしたという気持で一杯でございます。
又ある時には先輩と酒をくみ交わし、御自分で作詞された大青協の唄を肩を組み声高らかに歌い続けた日々を懐かしく思い出されてなりません。
その他にも先輩との思い出話は思い起こせばきりがありません。
でも二度と再び先輩のにこやかなお顔に接することが出来ませんが、今も私の瞼の中に生々と映り、私達に若々しく、業界の益々の発展、そして御遺族の方々、又会社の隆々発展を見守っておられることと存じます。
在りし日の先輩を偲び謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
合掌